巨大ダムのカリスマ 黒部ダム

くろよんプロジェクトは大規模電源開発の礎を築き、インフラツーリズムの先達でもある


東京都市大学名誉教授

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自然との過酷な戦いを克服した黒部川第四発電所建設プロジェクト

 北アルプスの3000m級の高い山々に挟まれた黒部峡谷は、降雨量が多く急峻な河川であることから水力発電に適した条件を具備している。黒部川の水力電源開発は大正期に始まり、戦前には黒部川第三発電所が完成していた。
 そして、戦後、我が国の急速な経済復興の中、関西地域の深刻な電力不足を克服するため、関西電力は世紀の大工事に挑んだ。黒部川第四発電所建設プロジェクトは昭和31年(1956年)に着工し、当地の厳しい自然環境のもと7年の歳月を掛け完成に至った。総工事費は約513億円で、このうち約4分の1は世界銀行が貸し出しを行った。戦後復興の真っただ中、欧米各国は我が国の基盤インフラの整備を後押しした。

柱状ブロック工法による工事最盛期を見てもらいたい

 本プロジェクトの中核となる黒部ダムの構造形式はアーチ式コンクリートダム(ウイングアーチダム、または、アーチ式ドーム越流型ダムとも称される)であり、我が国最大級の規模と威容を誇る。現在では、多くのwebサイトや観光メディアによってその雄姿が報じられているが、ここでは、建設当時に撮影された2つの画像を紹介したい。[1]は柱状ブロック工法による工事最盛期の画像、[2]は竣工直後の全景を写し出したもので、ダム工学的にも貴重な技術資料である。

[1] 柱状ブロック工法による建設中の黒部ダム(画像提供=世界銀行 The World Bank)
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 柱状ブロック工法とは、158万m3に及ぶ大容量のコンクリートダムの堤体を1辺20m程度のブロックに分割して柱状に打設するもので、[1]のように先行ブロックと後行ブロックにて隣同士が凸凹になっている。これは、セメント水和熱による堤体の温度上昇を抑制するためのものであり、当時の標準的なコンクリート打設工法である(現在では、例えばレヤー工法やRCD工法に取って代わられている)。
 全ブロックの打設が完了すると、当初の設計図に記されたコンクリートダムの本体が完成する。再度、竣工後の華麗なフォルム[2]を見てもらいたい。直上から俯瞰するアーチダムが、華麗な2曲面構造を見せていることが分かる。このアーチ形状が上流側(水圧側)に凸に迫り出していることにも着目されたい。下流側にオーバーハングしていることも見逃せない。「黒部ダムは、こんなに薄いんだ」。平成期のベテラン技術者が見ても感嘆の声を上げ、そして往時の技術陣にリスペクトの念を抱く。

[2] 本体完成後直上空撮。華麗なフォルムを見てもらいたい(画像提供=世界銀行 The World Bank)
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 余談だが、当時の建設会社(旧 (株)間組)が、バケットによる1日あたりのコンクリート打設量の世界新記録に挑戦したとのこと。ダムサイトには実際に使った施工資材が展示されていて、欧米より導入した大型重施工機械を駆使した建設従事者の奮闘に思いを馳せることができる。
 やがて湛水し膨大な水圧が作用するが、この迫り出したコンクリートアーチが支える。アーチダム部は無筋コンクリートであるが、合理的なアーチ形状により全圧縮状態になり、膨大な水圧に抗する。

土木史に語り継がれる破砕帯突破

 “くろよん” の愛称で親しまれている黒部ダムと黒部川第四発電所建設を語る上では、大町トンネル(現・関電トンネル)に触れなければならない。資材搬入用のトンネルを大町側から掘り進んだところ、昭和32年(1957年)5月に地下水を含め大破砕帯に遭遇し、工事は中断を余儀なくされた[3]

[3] 難工事を物語る関電トンネルの施工写真(画像提供=関西電力)
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 国内外の地質学者が調査し、「この水は抜けない」という結論であったが、事業者関西電力と建設会社熊谷組とが一体となり、7カ月の苦闘の末、80mの破砕帯を突破した。我が国の土木史上に残る難関工事は、やがて、映画『黒部の太陽』(三船敏郎・石原裕次郎主演)にもなり、多くの共感を呼んだ。現在、関電トンネルバスでは破砕帯[4]の通過がアナウンスされるが、このお知らせがなければ破砕帯を知る由もない。

[4] 現在の関電トンネル。バスの中ではかつての破砕帯の通過がアナウンスされる(画像提供=OCEAN DESIGN WORCS)
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黒部ダムもう一つの戦い『36mの攻防』

 一般に、アーチダムは上流側からの水圧をアーチトラスト(推力)として、ダムの基礎地盤や両アバットメント(堤体が接する両岸部分)に伝達させるもので、スレンダーな形状で大きなダムを建設することができる。複雑な形状ゆえ構造設計は難しいが、少ないコンクリート量で効率的なダム形状が可能となる。
 黒部ダムの構造設計は、15回の設計変更(Solution I~ Solution XVI)など紆余曲折を経て、現在の基本構造「両翼にウイングダムを併設するドーム型アーチダム」に至っている(Solution:設計案を意味する)。
 設計変更の過程では、1959年12月、フランスのマルパッセダム(アーチダム)の崩壊が伝えられ、世界銀行が黒部ダムの再調査を開始した。そして、崩壊事故の5か月後、“両アバットメント上部の岩盤強度に問題があり、ダム高を36m下げる”ように勧告が出された。これは、計画発電量の大幅な減少を意味するもので、事業者として受け入れがたいものであった。そこで、関西電力は構造計算と岩盤実験によって堤体の安定性を立証し、米国ワシントンの世界銀行との協議に臨んだ。その後、現地会議とパリ会議を経て、ようやく当初のダム高186mが承認された。
 足立紀尚氏(京都大学名誉教授)によれば、「上から見ると鳥が飛んでいるような形で、始めは奇異に感じましたが、実にきれいな形です」と述懐し、当時の事業者の対応を賞賛している。関西電力の技術陣の力戦奮闘は現在もなお伝えられ、我が国の岩盤力学とダム工学の礎を築いたとも言われている。

くろよんがNHK 紅白歌合戦の舞台に

 平成期にはいり、黒部川第四発電所の施設が再びメディアを賑わしたことがある。平成14年(2002年)大晦日のNHK紅白歌合戦にて、シンガーソングライター中島みゆきさんが、『プロジェクトX 〜挑戦者たち~』の主題歌「地上の星」を披露したのだ。当日の夜更け午後11時過ぎ、黒部川第四発電所の資機材搬送用トンネル(関西電力専用)の特設ステージを舞台に、本人はもちろんバンドマンやスタッフが、極寒状態で見事敢行した。地上の星を力強く歌い上げる姿に、プロジェクトXに参画した“リアル地上の星” の方々も感極まったに違いない。“挑戦者たち” の子や孫の方々も視聴したと聞く。

黒部ダムはインフラツーリズムの先達でもある

 “くろよん” は半世紀にわたり電力供給を継続しているが、一方では、立山連峰と後立山連峰が間近に迫るダムサイトが、我が国屈指の観光地や登山ルートとして多くの来訪者を出迎える[5]。扇沢駅と黒部ダムを往復するトロリーバス(無軌条電車)[6]は54年間供用され、すでに電気バスに引き継がれた。

[5] 観光客で賑わうダムサイト(画像提供=関西電力)
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 関電トンネルを抜けた観光客(途中、破砕帯にも気を留めて貰いたいが)は、広大なダムサイトの開放感に浸り、ときに観光放水を楽しみ、そして殉職者慰霊碑“尊きみはしらに捧ぐ” にも足を運ぶ。
 現地の原風景と化した大規模ダムのフォルムをカメラに収め、FacebookやInstagramで発信する。立山黒部アルペンルートの来客数は平成末には年間100万人に迫ったとも伝えられ(立山市商工観光課)、まさしくインフラツーリズム(土木観光学)の先達(せんだつ)であり、そしてダムツーリズムを先導している。

[6]トロリーバス、かつての雄姿(画像提供=関西電力)
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 竹村陽一氏(関西電力株式会社OB)が、土木学会誌(2021年6月号)のインタビューで語った言葉を抄出したい。「黒部ダムの設計を主導したエレクトロ・コンサルタント社(イタリア)のセメンツァ博士は、“目で見て美しい形状の構造物は、力学的にみても応力集中のない均等のとれたものである”と語っています。私も同感です。心にとどめておいてください」。
 すでに半世紀が経過した現代にあっても、私たちは唯一無二ともいえるその華麗な構造美を享受することができる。

土木のレガシーを体現する巨大ダムのカリスマ

 自然との過酷な戦いを克服した大規模アーチダムの建設技術は、我が国の土木技術者に連綿として受け継がれている。そもそも、戦後のダム建設の発展史は、大型土木機械による本格的機械化施工を導入した佐久間ダム(重力式ダム)・黒部ダム(アーチダム)・御母衣(みぼろ)ダム(ロックフィルダム)から始まり、大規模電力事業の礎が築かれたともいえる。
 黒部ダムと同規模のアーチ式コンクリートダムは、良好なダム候補地がほとんどなくなり、平成期に竣工した新潟県奥三面(おくみおもて)ダム(堤高116m、堤頂長244m、堤体積25.7万m3)と広島県温井(ぬくい)ダム(堤高156m、堤頂長382m、堤体積81万m3)が最後になるかもしれない。
 “くろよん” は、竣工から六十余年関西の地に電力を安定的に供給し続け、令和に入りCO₂を排出しない純国産エネルギーとして存在感を増している。巨大ダムのカリスマ・黒部ダムは、再エネとしての電力供給×観光インフラの二刀流でレガシーを積み増している。

黒部ダム

  • 所在地:富山県立山町
  • 河川:黒部川水系黒部川
  • ダム形式:アーチ式コンクリートダム
  • 堤高186m、堤頂長492m、堤体積158 万m3
  • 完成年:1963年(昭和38年)

参考文献

「関西電力黒部第四水力発電~日本が世界銀行から貸出を受けた31のプロジェクト」:世界銀行HP
https://www.worldbank.org/ja/country/japan/brief/31-projects-kuroyon
土木学会土木史研究委員会編『図説近代日本土木史』(鹿島出版会、2018)
竹村陽一(インタビュー記事)「黒部ダム 堤高36mの攻防――黒部川第四発電所工事の設計変更の変遷を追う」(土木学会誌、2021年6月号)
日本ダム協会 ダム便覧2022:ダムインタビュー(49)足立紀尚先生に聞く「ダムの基礎の大規模岩盤試験を実施したのは、黒部ダムが最初でした」(2014年6月作成)
「黒部の太陽」〜黒部川第四発電所・大町トンネル工事:熊谷組HP
https://www.kumagaigumi.co.jp/kurobe/index.html

追記:
 本文「巨大ダムのカリスマ黒部ダム」は、著書『DISCOVER DOBOKU 土木が好きになる22の物語』(平凡社)より引用しています。
 本寄稿に際しては、さらに「黒部ダムもう一つの戦い『36mの攻防』」を加筆しました。