事業の基本を理解しない地域の新聞社は生き残れるのか?


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

印刷用ページ

事業の基本を理解しない地域の新聞社は生き残れるのか?

 1月28日付け「河北新報」に、「原発費用 電気料金底上げ 東北電女川2号機再稼働しても・・・引き下げ効果の約4倍に」との記事が掲載された。簡単に言えば、原発を維持管理する費用が、再稼働による燃料費節約の約4倍にもなるとして、「標準家庭では引き下げ分月140円に対し維持費に611円支払うのは不合理」との大学教授のコメントを紹介している。
 この主張の問題はいくつかある。まず、「将来も長い間続く燃料費削減の効果を現時点での効果で考えている」ことだ。仮に、将来燃料費が高くなり、燃料費の節約効果が高ければ、河北新報は原子力を支持するのだろうか。
 次に、記事は、再稼働の効果を燃料費の軽減額だけで判断しているが、原子力発電は「電力安定供給、二酸化炭素削減に寄与する大きなメリットを持つ」。再稼働のもたらすメリットは経済性以外にも多くあるが、すべて無視されている。

 新聞社の方にもよく理解できるように、新聞社の輪転機への投資を例にあげて河北新報の記事の問題点を以下に説明するが、発電のことが分かっている方は、後半だけお読みいただければ、記事の問題点を理解いただけると思う。

企業の投資とコストの関係を輪転機で考える

 企業に勤務している多くの方は、働いているうちに事業の仕組みを学ぶことになる。会社は投資を行い、その投資に基づき物品あるいはサービスを売り上げる。その中から従業員に給与を支払い、資材など事業に必要なものを購入し、借入金があれば、金利も支払う。結果利益が残り、税金を支払い、株主に配当を支払う。
 どんな会社であれ、投資を行わないと事業は成立しない。鉄道会社であれば線路の土地から駅舎、車両など固定資産への投資が多くなり、スーパーマーケットであれば、流動資産である商品への投資が多くなるはずだ。設備、商品への投資だけでは事業はできない。人も必要、原材料、エネルギーも必要になる。コストだ。投資額も減価償却費としてコストになる。
 その投資とコストの基礎は企業人が知るべきことだろう。新聞社の人も当然知るべきだが、必ずしもそうではないようだ。次のたとえ話をすれば、新聞社の人にも理解できるだろうか。
 ある新聞社が工場設備に投資し、輪転機のラインとしてAとBの2つを作った。年間売り上げ12億円の新聞を刷るのに紙代、インク代、電気代、人件費、減価償却費などにラインAで10億円、ラインBでは7000万円必要だ。ラインAだけでも印刷可能だが、3000万円の追加コストがかかる。ラインBの稼働が遅れたので、ラインBを維持したまま、ラインAだけで年間売り上げ12億円の新聞を、11億円のコストで印刷していた。
 ラインBは、ラインAとの比較ではエネルギー消費が少なく、安定的に印刷することが可能だ。ラインAはエネルギー消費が大きく、コストの大きな変動に加え時として印刷が不安定になり部数が減少し、すべての購読者に配達できないこともある。ラインBが稼働すれば印刷も安定し、いつも必ず配達ができる。エネルギー消費も減少するので、環境にも貢献し追加コストも不要になり、コストは3000万円下がり、10億7000万円になる。
 さて、この新聞社は維持費、コストが7000万円かかるラインBを不要と考えるだろうか。廃止すれば、コストは7000万円下がり、費用は10億3000万円になる。利益は増えるが、ラインBの安定的な印刷、必ずできる配達、エネルギー消費・二酸化炭素排出削減のメリットは大きい。新聞が配達できないことがあれば、読者の信頼を失うだろう。その可能性が減るだけでもラインBの効果は大きいのではないか。
 だが、中にはラインBを不要と考える新聞社もあるかもしれない。時として配達できず読者の信頼を裏切っても、コストをかけたくない、温暖化問題にも関心が薄い新聞社もあるだろう。ラインBがなければ、長期的に収益は棄損されるが、目先のことがもっとも大事と考える社だ。

原発のコストと燃料費削減額を比較する非論理性

 河北新報が上記のたとえ話と似た話を報道している。原子力発電所を再稼働すれば、燃料費が節約でき料金が下がる。当然だが、原子力発電に限らず全ての発電にはコストが必要だ。そのコストが燃料費の節約分より大きいとの大学教授の指摘を「原発費用 電気料金底上げ」の記事にしている。
 具体的内容は次だ「東北電力の総原価1兆9743億円の内、維持管理コストを含め原発関連費用は年間1617億円に上る。女川原発2号機の再稼働による料金原価の引き下げ効果年間372億円の約4倍に相当する。標準家庭の料金引き下げ効果月額140円に対し原発を維持する費用は611円だ。これは不合理だ」。
 燃料費の節約額が原発の維持管理コストより少ないので、電気料金底上げという主張は全くロジカルではない。コスト以上の節約額があるかどうかは、燃料費次第だ。今はたまたま燃料の節約額がコストを下回っている。そんな偶然に左右されるものと比較し、不合理というのは、まったく不合理そのものだ。
 燃料代が上昇すれば、節約額はコストを上回るかもしれない。そうなれば河北新報はもろ手をあげて原発を支持するのだろうか。
 この記事の指摘内容は、輪転機Bを廃止すれば、Bの7000万円のコストが浮くが、新聞を配達できない日が出てきたり、ある月には購読料の値上げをお願いしなければならないたとえをあげれば、間違っていることは明らかだ。
 コストに対し得られるものを燃料の節約額だけとして、比較する意図は何だろうか。将来の燃料費節約額を現時点の節約額で断言するという無茶な非論理的な主張で読者を混乱させてでもしたい主張は、「原発は不要」ということにつきるのではないか。
 原子力発電には、燃料費削減以外に安定供給、二酸化炭素削減があるが、それをすべて無視している。
 新聞であれば来なくても、テレビ、ラジオ、インターネットと代替手段はあるが、電気は来なくなれば代替手段はない。命に係わることすらある。
 安定電源の原子力発電を止めれば、時として停電するかもしれない。電気料金もやがて上がる。火力発電と再生可能エネルギーだけで全ての電力需要を賄うとすれば、遠隔地の再エネ設備の電気を送電する費用、常時発電できない再エネのバックアップ費用、要は統合費用と呼ばれる追加の費用が必要になるからだ。

マスコミは社会的厚生を考えるべき

 この記事の最も大きな問題は、電力会社が安全対策などに注力し原子力発電を維持するのは、温暖化対策、安定供給さらに電気料金引き下げにより社会的厚生を増すためのインフラ企業の使命感からという視点を完全に忘れていることだ。東北電力が原発の再稼働を諦めれば、やがて安定供給が失われ料金は上昇する。東北地方が国内競争で不利な立場に追い込まれ、企業は来ず地域は疲弊する。
 地域の新聞社は地元を支える立場でいて欲しい。結果として地域の企業、延いては地域が疲弊するような主張は止めて欲しい。地域のマスコミには地域の社会的厚生を増やすことを常に考えて欲しい。