産業革命前の気候は完璧で人類は安全だったのか?

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監訳 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 杉山大志 訳 木村史子

本稿はロジャー・ピールキー・ジュニア「The Honest Broker 2023.12.27 When the Climate Was Perfect: Was the global climate of 1850-1900 really so great?」を許可を得て邦訳したものである。

 世界の気候政策は、気候変動に伴うリスクの軽減に重点を置くものから、エネルギー政策によって精密に調整できる「世界の平均気温」を地球上の生活の質を示す指標と捉えることに焦点を当てるものに変わってきた。

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC) の最新の評価報告書(IPCC AR6 WG2 Figure FAQ16.5.1)の中にある、「異常な気象現象」 や「大規模な特異現象」を含む「気候に関連するハザード」についての「懸念する理由」を取りまとめた下図に(変わってきた)焦点が明らかにみられる注1)


IPCC AR6 WG2 16.5.1

 図は少々複雑だ。5つの異なる “懸念する理由 “が濃淡のある棒グラフで示されており、それぞれの棒グラフの下にある白い部分は、このレベルにおいては影響は “検出不可能 “であることを示している。黄色、赤色、紫色は、ゼロから5℃までの縦軸の世界気温の変化に応じて、リスクと影響が徐々に大きくなることを示している。摂氏ゼロ付近では検出可能なリスクはなく、気温が上昇するにつれてすべてが急速に悪化する。

 この図は、30年以上の歴史を持つ「燃え上がる残り火」と呼ばれる図の最新版に過ぎない。2012年、マホーニーとハルムは、この図は「表現主義の絵画によく似ている」と主張し、こう説明した:

 『燃え上がる残り火』の図は、現象(気候の変化)を比喩的に表すのではなく、むしろその見えない影響を表そうとしている。これらの影響は、危険やリスクのレベルの高まりであれ何であれ、感情を揺さぶる色彩などによる文学的・視覚的な習慣を用いることで、たちまち人々の感情に影響を与える。『燃え上がる残り火』の図は、未来に対するある種の不安を煽る; 私たちは、レッドゾーンがベースラインの無色の安全地帯に向かって進んでいく注2) につれ、その運命はより避けられないものになっていると想像し、自分たちが赤熱の中を力なく歩いていると感じるのだ。

 そもそも科学、政治、信念とは何だろうか。そして、「地球の平均気温」が人類の幸福と地球の健康を示す唯一で信頼できる指標であるという考え方、つまりハルムの言う「クリマティズム (気候主義)」が、気候に関する議論の病的な崩壊をもたらしていることについて、ここで紐解くことができることは多い。

 だが今回は、深い問題には触れず、IPCCが提唱する1850年から1900年の「産業革命前」の時代について、実証的に考えてみたい。つまり、「燃え上がる残り火」の図の一番下の白い部分、気候変動が起こる前の時代を表しているところについてである。パリ協定の1.5℃と2.0℃の気温目標は、このゼロ℃の時代を起点として設定されている。

 気候運動家たちは、歴史的な「産業革命以前のベースライン」よりも温暖化が進むごとに、人々や地球への被害が拡大すると主張している注3) 。例えば、最近発表された第5次米国国家気候評価報告書では、自然保護団体であるザ・ネイチャー・コンサーバンシーのキャサリン・ヘイホーが報告書の主執筆者として次のように主張している:

 この報告書は、10分の1度の温暖化も重大だと言っている。どんな些細な値でも重要なのだ。それによって私たちは救われ、リスクや苦しみが回避できることを明確に示しているのだから。このメッセージは非常に強力だ。

 世界の平均気温を0.1℃まで(以下の図に示すように例えば、2020年について、IPCC AR6は信頼度90%の範囲を0.25℃としている。)測定することができないことや、0.1℃の差による気候の影響を判定することなど全く出来ないことは、とりあえず今は置いておこう注4)


出典:IPCC AR6.
グレーゾーンは気候の安全を示す。
1870年代後半の高温ピークに注目して、以下を読んでほしい。

 1850年から1900年という期間が気候ユートピアの基準として参考にされる重要な理由の一つは、当時の気候が実際どのようなものであったか、ましてや気候の影響が実際にどう起こったか、ほとんど誰も知らないからである。現代の気候記録のほとんどは20世紀から始まっており、IPCCが20世紀以前の気候を考慮するとしても、それは物理的な量の観点からであって、影響やリスクの観点からではない(例えば、すぐ上の図が示している通りである)。最近の気候研究は、気候モデルのレンズを通してはるか未来に焦点をあてているが、気候コミュニティには、昔はどうだったかということへの注目が非常に乏しいのである。


出典:Verso Books

 ここ数週間に、マイク・デイビス著『ビクトリア後期のホロコースト:エルニーニョ飢饉と第三世界の誕生(Late Victorian Holocusts: El Niño Famines and the Making of the Third World)』を読んだ。1990年代後半から2000年代前半にかけてアメリカ大気研究センターで科学者として働いていた頃、私はミッキー・グランツの指導の下、エルニーニョとラニーニャの影響とそれへの対応について多くの時間を費やして研究していた。1877年から78年にかけてのエルニーニョ現象とその甚大な影響については知っていたが、その重要性を現代の気候に関する議論と結びつけることは最近までなかった。

 デイビスは、1870年代半ばに5000万人以上の人々が異常気象と気候に関連して死亡したことを示唆する推計をまとめた。これは世界人口の約4%に相当する。今日、世界人口に占める同じ割合は3億2,000万人以上、つまりアメリカ全土のほぼ全人口に相当する。私たちは、このような大きな人的被害を想像することさえできない。

 1870年代の大規模な気候変動の近因は、1877年と1878年の非常に強いエルニーニョ現象であったが、この現象はおそらく1997~98年と2015~16年の強いエルニーニョ現象にも匹敵するものであった。1870年代の大規模な人命損失の原因はいったい何なのか?デイビスはこのことを深く掘り下げているが、シンプルに答えれば、それはマルサスの思想に突き動かされた植民地支配である注5)

 例えば、デイビスは当時の英国財務大臣であったイヴリン・ベアリング卿の言葉を引用している。彼は、大英帝国が、干ばつによる国民への悪影響を軽減することに消極的であったことを、マルサス流の明確な言葉で正当化している:

 飢饉や衛生状態の欠陥の影響を軽減するために行われるあらゆる慈善的な試みは、過剰人口がもたらす害悪を増大させるだけである注6)

 そして当時の英国の1878-1880年飢饉委員会はこう結論づけた:

 飢饉の時には貧困者は救済を要求する権利があるという教義は……おそらく、いつでも救済を受ける権利があるという教義につながるだろう。これにより、一般的な貧困救済制度の基礎が築かれることになる。これは深刻な懸念なしに考えることができない……注7)

 下図は、1870年代から半世紀ごとの4つの年代における、10年間合計の「気象と気候の異常」に関連した死亡者数の推定値を示している。


1870年代、1920年代、1970年代、2020年代(過去10年間の死亡者数を基に推定)の40年間における気象・気候の異常に関連した死亡者数の推定値。
これらの推定値は非常に不確実であり、1870年代と1920年代の数字は確実に過小評価である。正確な数字としてではなく、あくまで桁として解釈すべきである。
出典:Davis 2017, Our World in Data

 1877年~1878年のエルニーニョに関連した大規模な影響だけでなく、2,400人もの死者を出した1871年の中西部大火災1872年のバルト海洪水、1875年の米国中西部で発生した12兆5,000億匹とも言われるイナゴの大群、10万人もの死者を出した1878年の中国台風米国に6回上陸した大型ハリケーンなど、近年とは比較にならないほどの影響を及ぼす異常気象が数多く発生した。だが2010年代はわずか3つである注8)

 このように1870年代の様々な出来事をざっと概観すると、1850年から1900年までの期間は、気候の極端さや影響という点で、安全であったり、極端さが少なかったりした、という考え方は、単なる誤りであることがわかる。もし気象の神様が、私たちの目の前にある不確かな未来ではなく、1870年代の気象と気候を今後10年間で再現する機会を私に与えてくれたなら、私は間違いなく不確かな未来の方を選ぶだろう。1870年代は、近代人類史上、最も異常な気候の時期の1つであったと言っていいのである。

 もちろん、気象や気候の影響の強さは、技術や政策、社会全体の豊かさなど、私たちの集団的な適応能力に大きく左右される。気候や気候の未来がどのようなものであれ、今の私たちには150年前よりもはるかに優れた対処能力が備わっている。

 このように歴史を注意深く見れば、地球の平均気温は、「苦しみを防ぐ 」という目的で好みの値に設定するコントロールノブなどではないことがわかって頂けると思う。

注1)
IPCCは、国連気候変動枠組条約よりも広範な「気候変動」の定義を使用していることを忘れないでほしい。具体的には、IPCCは気候変動を次のように定義している。「気候の特性の平均値および/または変動性の変化によって(例えば、統計的検定を用いて)特定することができ、長期間(通常は数十年以上)持続するような気候の状態の変化」。気候変動は、自然の内部プロセスによる場合もあれば、太陽周期の変調、火山噴火、それに大気組成や土地利用の持続的な人為的変化などの、外部からの影響による場合もある。
注2)
Mahoney 2015.も参照のこと。
注3)
この考えと、私が同じ考えを持つマイク・ヒュルムの見解を対比してみよう:「1.5℃(あるいは2℃)を超える未来には、これらの温暖化の目標値を超えない他の未来よりも、望ましいものもある。望ましくない未来を選ぶべきではない。」
注4)
もっと大きな気温差であっても、気候の影響の違いを判別できるかどうかは不明である。地球の平均気温は統合された指標であり、特定の場所での天候や気候が集計されてその指標となる。地球のエネルギーバランスが変化するとリスクが高まるということと、そのリスクが特定の時間や場所でどのように現れるかを正確に特定し予測することは、まったく別のことである。
注5)
デイビスの書いた歴史には本当に困惑する。「 ヴィクトリア朝後期のホロコースト」という表現がぴったりだ。
注6)
この引用を、気候変動を理由に、エネルギーの乏しい地域での化石燃料開発を支援することに消極的な一部の現代人の言動と、照らし合わせて考えてみよう。
注7)
この言葉は、”損失と損害 “をめぐる最近の議論を思い出させる。
注8)
1850年から1900年にかけての世界的な気候偏差と異常気象を体系的に評価することは、価値のある研究プロジェクトであろう。