ネイチャー掲載のために真実を書かず気候危機を煽った

ネイチャー誌に私の論文が掲載されたのは、編集者が好む気候危機物語に従って執筆したから。 だが、それは科学のあるべき姿ではない。


ブレークスルー研究所(Breakthrough Institute) 気候・エネルギーチーム 共同ディレクター

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監訳 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 杉山大志 訳 木村史子

本稿はパトリック・T・ブラウン I Left Out the Full Truth to Get My Climate Change Paper Published を許可を得て邦訳したものである。

 カナダからヨーロッパ、そしてマウイ島まで、この夏の山火事に関するニュースを読んでいれば、そのほとんどが気候変動の結果であるという印象を受けるに違いない。

AP通信: 気候変動が山火事と煙害を悪化させ続けている。科学者はこれを “新たなる異常事態 “と呼ぶ。

PBS NewsHour: 気候変動による山火事が増加中-スペインはもっと対策を強化すべきだと専門家。

ニューヨーク・タイムズ紙:気候変動はいかにして緑豊かなハワイを燃えさかる火種に変えたか。

ブルームバーグ: マウイ島の火災は、気候変動がもたらす甚大な被害を示している。

 私は気候科学者である。気候変動は世界各地の山火事に影響を与える重要な要因の1つではあるが、それのみに注目すべき唯一の要因とは言い難い。

 では、なぜマスコミは根本的な原因として気候変動に焦点を当てるのだろうか?おそらく、世界的に最も権威ある学術誌のひとつであるネイチャー誌に掲載された山火事に関する学術論文で私がそうしたのと同じ理由だろう。その理由とは、単純な筋書きに従うことで語り手が報われるから、である。

 私がこのほど発表した論文「気候温暖化がカリフォルニアにおける異常な山火事のリスクを増大させる」は、気候変動がいかに大規模な山火事の発生と拡大に影響を及ぼしたかにのみ焦点を当てている。 私の研究では、気候変動以外の重要な側面を定量化しようとはしていない。なぜならば、ネイチャー誌やそのライバル誌であるサイエンス誌のような権威ある学術誌が伝えたがっている内容が薄まってしまうからだ。

 そして科学者にとって、知名度の高い学術誌に掲載されることは極めて重要であり、多くの意味で、学術界で成功するための登竜門である。そして、これらの学術誌の編集者は、たとえそれが社会にとってより広範な知識を犠牲にするものであったとしても、事前に承認された特定の物語(ナラティブ)を支持するような気候変動に関する論文を求めていることを、何を載せて何を却下するかによってはっきりと明らかにしている。

 単刀直入に言えば、気候科学は、世界の複雑さを理解することよりも、気候変動の危険性を緊急に警告する、一種のカサンドラ(吉凶の預言者)としての役割を果たすことに重きを置くようになっている。そのような思いを抱くこと自体は理解できなくもない。しかしこのことが気候科学研究の多くを歪め、一般大衆に誤った情報を与えてしまっていることは問題であり、そして最も懸念されるのは、現実的な解決策の実行をより困難なものにしているということだ。

 なぜこのようなことが起こるのか?

 それは、研究者のキャリアとは、自分の研究が広く引用され、重要であると認識されるかどうかにかかっている、という事実に端を発する。これが引き金となって、知名度、資金、博士課程の学生やポスドク志望者からの質の高い応募、そしてもちろん研究者として賞賛を得るという自己強化的な結果の循環が起こるのである。

 近年、研究者の数が急増している。毎年米国で取得される博士号は、1960年代初頭に比べて6倍近くになっている。その群衆から抜きん出ることは、かつてないほど難しくなっていると言える。そのため、ネイチャー誌やサイエンス誌のような学術誌で論文を発表することには、常に大きなプレミアがつくのだが、同時に競争も非常に激しくなっているわけだ。

 そもそも科学研究は、好奇心、冷静な客観性、そして真実を明らかにしようとする姿勢を重んじるべきものである。そして、それは科学学術誌の編集者が重視すべき資質でもある。
 
 しかし現実には、編集者(および彼らが投稿を評価するために招集する査読者)の偏ったものの見方こそが、その分野全体の研究成果に大きな影響を及ぼしているのである。編集者は、多くの応募論文からどれを掲載するかを選択し、またそのことにより、より広い意味においては研究の進め方まで作り出している。賢い研究者は、自分の研究が採用される可能性を最大化するよう、研究を調整する。私がこれを知っているのは、私もその一人だからだ。

 その仕組みはこうだ。

 聡明なる気候変動研究者が最初に知るべきことは、主流派のナラティブを支持すべきであるということだ。すなわち、気候変動の影響は広範かつ壊滅的であり、それに対処する方法としては、インフレ抑制法のような温室効果ガス排出削減を目的とした政策を採用することが重要であり、より強固で耐性のあるインフラ、より良いゾーニングや建築基準法、より多くの空調設備といった実用的な適応策、あるいは山火事の場合は森林管理の改善や送電線の地中化といった対策ではない、とすることなのである。

 そこで私は、7人の研究者とともに執筆した最近のネイチャー誌の論文で、気候変動が大規模な山火事に及ぼす影響に焦点を絞った。 間違いなく、気候変動の山火事への影響は現実に存在する。しかし、森林管理の不備や、偶然あるいは故意に山火事を起こす人の増加など、それと同じかそれ以上に重要な要因も他にあるのだ(驚くべきことに、アメリカでは山火事の80%以上が人為的なものである)。

 私の論文では、このような明らかに関連性のある他の要因の影響を調べることはしなかった。それらを含めることで、より現実的で有益な分析ができることを私はわかっていたのだろうか?もちろん分かっていた。しかし同時に、気候変動の悪影響を全面に出した明確なナラティブを損なうことになり、ネイチャー誌の編集者や査読者にこの論文が受け入れられる確率が低くなることもわかっていたのである。

 気候変動の影響だけを非現実的に切り離して考えるこのような構図は、注目される研究論文の常である。例えば、最近発表された影響力のあるネイチャー誌の別の論文では、科学者たちは、気候変動が社会に与える2大影響は、猛暑による死亡と農業被害であると計算している。しかしながら、著者は、気候変動がこれら2つの影響の支配的な要因ではないことについてはまったく触れていない。実際には暑さによる死亡者数は減少しており、農作物の収穫量は気候変動にもかかわらず数十年にわたって増加しているのである。この事実を認めてしまうと、世界は気候変動にもかかわらず、幾つかの分野においてうまくいっていることになる。そうなれば、排出量削減の動機が損なわれてしまうのである。

 これこそが、成功する気候変動論文を書くための第二の暗黙のルールとなる。それは、執筆者は気候変動の影響に対抗しうる実際的な行動を無視するか、少なくとも軽視すべきであるということである。猛暑による死者が減少し、農作物の収穫量が増加しているのであれば、気候変動の大きな悪影響を克服できるのは当然である。ならば、私たちはどのようにして成功を収めたのかを研究し、それをさらに促進できるようにすべきではないだろうか?もちろん本来はそうすべきだ。しかし、問題があることに焦点を当てるのではなく、解決策を研究することは、一般大衆の―そしてマスコミの―関心を惹きつけることにはならない。その上、多くの主流派の気候科学者は、例えば気候変動に適応するために技術を利用するというような展望は道徳的に間違った考え方だとする傾向がある。ということで、経験豊富な研究者は、現実的な解決策から遠ざかることを知っているわけなのだ。

 3つ目のコツは、目を見張るような数字を生み出す指標に注目することだ。例えば、私たちの論文では、気候変動によって焼失した面積の増加や山火事の強度の増加といった単純でわかりやすい指標に焦点を当てることもできただろう。だがその代わりに、極端な事象のリスクの変化(私たちの場合は、1日に10,000エーカー以上の面積を焼失する山火事のリスクの増加)を見る、という常套手段に従った。

 この指標は実用的な情報に変換するのが困難であり、はるかにわかりにくい指標である。では、なぜこのような複雑で使いにくい指標がよく使われているのだろうか?それは、一般的に言って、他の計算よりも大きな数字の増倍係数が得られるからだ。つまり、研究の重要性、ネイチャーやサイエンス誌での正当な位置づけ、そして広くメディアに取り上げられることを正当化するのに役立つ、より大きな数字が得られるからだ。

 研究の重要性を正当化し、編集者、査読者、メディアに好印象を与えるような大きな数字を得るもう一つの方法は、たとえ研究している影響と無関係であったとしても、常に数世紀といった時間スケールでの気候変動の大きさに焦点を当てて評価することである。

 例えば、これは標準的なやり方になっているが、産業革命以降の気候変動量を用いて社会への影響を評価する一方で、その間の技術や社会の変化を無視する、ということが行われている。このようなやり方では研究結果の実用性はほとんど無くなる。なぜなら、人口分布、インフラ、人々の行動パターン、災害への備えなどの社会的変化は、1800年代以降の気候変動よりもずっと、異常な気象に対するわれわれの感度に影響を及ぼしてきたからだ。このことは、例えば、前世紀における気象・気候災害による死亡者数の急激な減少に見ることができる。同じように、信憑性の乏しい将来のおぞましい温暖化シナリオを仮定し、その影響を軽減するような技術や回復力の潜在的変化をまったく無視した上で悪影響を計算するのも、お決まりの標準的なやり方である。このようなシナリオ計算の結果は、常に格好のニュースの見出しになる。

 もっと有益な分析は、過去に実際に人々が経験した気候の変化に焦点を当て、技術や回復力の変化を考慮しながら、予測可能な未来(今後数十年)を予測することである。

 私が最近発表したネイチャー誌の論文で言えば、今後数十年の間に予想される森林管理手法の改革と合わせて、気候変動の影響を考慮するということである。実際、我々の現在の研究によれば、このような森林管理手法の変更によって、気候変動が山火事に及ぼす悪影響を完全に回避できる可能性がある。

 しかし、このような、より現実的な分析は推奨されないものである。なぜなら、より短い期間での気候変動の影響の変化を見たり、他の関連する要因を含めたりすることは、気候変動の影響の計算上の大きさを減少させ、温室効果ガスの排出を削減すべきとする主張の論拠を弱めてしまうからである。

 この時点で、私が自分の論文を否定しているのかと思われるかもしれないがそうではない。それどころか、この論文は日々の山火事の発生における気候変動の役割について理解を深めるものだと思う。ただ、権威ある学術誌のために研究をカスタマイズする過程で、本来よりもその有用性が低くなってしまったということだ。

 なぜ私がこのやり方を批判しながらも踏襲したかというと、答えは簡単だ: できるだけ注目度の高い場所で研究を発表したかったからだ。この論文のための研究を始めた2020年当時、私は新任の准教授で、キャリアを順調に歩むために最大限の努力をする必要があった。以前、定石から外れようとしたとき、私の論文は権威ある学術誌の編集者からあっけなく却下され、そのため、知名度の低い学術誌に頼らざるを得なかった。別の言い方をすれば、私がターゲットにしていた学術誌の編集者や査読者の確証バイアスに合致した研究にするために、私は社会にとって最も価値のある知識を提供することを犠牲にしたのである。

 私が1年以上前に学術界を離れたのは、アカデミックな科学者にかかるプレッシャーが研究を歪めすぎていると感じたからでもある。現在は、非営利の民間研究センターであるブレークスルー・インスティテュートの一員として仕事をしているが、自分の研究を著名な学術誌の編集者や他の研究分野の人々の好みに合わせなければならないというプレッシャーはあまり感じていない。

 現実世界の意思決定にとって、より実用的な価値をもたらすと私が信じているのはつまり、気候変動の影響を適切な時間軸で、人為的な火災の発生件数や森林管理の影響など、他の重要な変化との関連において研究することなのである。その研究は、それほどインパクトのある記事や望まれるような見出しを生み出すことはないかもしれないが、気候変動への対応戦略を考案する上でより役に立つだろう。

 しかし、気候科学者たちは、自分たちの研究において最も有意義な内容を発表するために、学術界から身を隠すべきでは無いはずだ。そして気候変動に対する社会の強靭化についてより広範な議論を可能にするために、学術界や著名メディアなどの意識改革が必要だ。

 例えばメディアは、論文を鵜呑みにするのをやめ、何が抜け落ちているのかを調査すべきである。権威ある学術誌の編集者は、温室効果ガスの排出削減を推し進めるという狭い範囲にとらわれず、もっと視野を広げる必要がある。そして、研究者自身も編集者に立ち向かったり、他の出版先を探したりすることが必要だ。

 本当に重要なのは、学術誌での引用やメディアにおけるアクセス数、あるいは学者の地位ではなく、実際に社会に役立つ研究かどうかなのだ。