野放しの「風評加害」、ポピュリズムが招いた犠牲と失費
林 智裕
福島県出身・在住 フリーランスジャーナリスト/ライター
今春から、東京電力福島第一原子力発電所では汚染水を無害化処理したALPS処理水(以下処理水)の海洋放出が本格化する。これは廃炉と復興を進める上で避けられない工程にもかかわらず、風評への懸念を理由に先延ばしされてきた。
処理水放出が本格化しても、海洋汚染など起こり得ない
リスクをもたらす放射性物質は多核種除去設備(advanced liquid processing system、ALPS)によって充分に低減され、トリチウムも海洋放出時には国の定めた安全基準の40分の1(WHO飲料水基準の約7分の1)未満まで希釈する注1,2)。世界では福島の処理水と比べ文字通り桁違いのトリチウムが海洋あるいは大気中に放出され続けてきたが注3)、その影響が科学的根拠と共に示された例も無い。海洋放出の安全性と妥当性は、IAEA査察からも裏付けされている注4)。
海洋放出には反対の声も根深いが、その理由は(特に地元を中心に)風評への懸念がほとんどを占める注5)。
「処理水が安全であることは百も承知だが、風評対策が万全とは思えない」ということだ。近年では以前に比べ全国的に処理水への理解が浸透しつつあるものの、一層の情報周知と風評対策が求められると言えるだろう注6)。
一方で、県外の反対運動は少し様相が異なる。中には冒頭に掲げたような「汚染水が海洋放出される」に類した不正確な情報拡散を繰り返してきた勢力も少なくない。
前述の通り、地元にとっては処理水放出に伴う最大の懸念は「風評」だ。そうした中、なぜ敢えて「汚染」を強調するのか。
当然ながら「汚染」呼ばわりは風評に直結し、廃炉や復興の遅れにも繋がる。そもそも「科学的に安全であろうと正当に評価しない」というのは「いかなる成績だろうと性別、人種、国籍、出身地、病歴、その他を理由に正当に評価しない」に等しい態度とさえ言えよう。こうした言説が被災地差別や人権侵害を誘発するリスクも無視できない。
事実、福島差別はすでに顕在化している。令和3年の環境省全国調査では、「福島で子孫に遺伝的な影響が起こる可能性がある」と誤解している人が全国平均で約4割にも上った注7)。三菱総研が東京都民に行った調査でも同様の傾向が見られている注8)。
世界保健機関(WHO)は「(福島に限らず)次世代の人間に放射線被曝の遺伝影響は確認されない」としている注9)。さらに、国連科学委員会(UNSCEAR)はじめとした複数の国際機関が「東電原発事故では現世代でさえ放射線被曝による健康影響は無く、将来も考えられない」との結論を繰り返し強調しているにもかかわらずだ注10)。
被災地に不利益をもたらす「汚染」呼ばわりに対し、当事者からは幾度となく客観的事実や科学的知見を提示しての反論、差別への懸念や抗議が寄せられた。
ところが、そのほとんどは全く顧みられなかった。無視や居直り、ときに侮蔑嘲笑で返されたケースも珍しくない。彼らの目的を「当事者への寄り添い」と見做すのは、あまりにも無理があるだろう。
一体、誰が処理水への「汚染」呼ばわりを繰り返してきたのか。一つの参考として、日中韓55紙の社説一覧をほぼ毎日比較し続けている「晴川雨読」というサイトが2019/11/19~2022/11/18 の3年間を対象にツイッター上で「汚染水」をキーワードとして検索し、「汚染水が海洋放出される」かのようにツイートした認証アカウントの統計結果が以下の通りになる(詳しい調査条件はリンク先の記事を参照のこと)。
同サイトでは他にも、2020年以降に社説で処理水を「汚染水」と呼んだ新聞の調査も行っていた。
他に、国際環境NGOを称するグリーン・ピースなどの団体も『”処理水”にはトリチウムのほか、ストロンチウム90、炭素14などの放射性物質が基準値をこえて残留しています』などと主張(※この主張は不当である。現在タンクで保管している処理途上水には環境基準値を満たさないものも存在するが、これらもALPSで追加処理を行うことで基準値を満たすことができる)した上で、『数千年単位もの未来の世代に、放射能で汚れた海を押しつける行為に他なりません』と訴え海洋放出反対署名を集めている。
「外国人が井戸に毒を入れた」
関東大震災時に発生した流言蜚語が何をもたらしたか。凄惨な事件は教科書にも載り、多くの人が知るところだ。では、同じ「大震災」と呼ばれる東日本大震災で発生した流言、「汚染水が海洋放出される」はどうか?
実は、こうした「水源に毒」の喧伝は非常時に広まる流言蜚語の典型と言える。“流言と社会(A Sociological Study of Rumor,1966)”などの論文を残した日系米国人の社会学者タモツ・シブタニは、太平洋戦争時に「ハワイの日本人移民が水道に毒を入れた」とのデマがアメリカで広まっていたことを同論文で指摘する。
流言が広まるメカニズムについて、シブタニは「曖昧な状況や内容に合理的な意味を与えようとするコミュニケーションが集合的に生じること」と捉えた上で、「マスメディアや専門家の分析、政府の広報(公的機関が担保する内容の説明)といった権威的・制度的・専門的な情報伝達のチャネルを介した信頼に足る正式な情報が十分に配信されていない場合」に流布が起こりやすいと分析した。関東大震災で自らも被災し“流言蜚語”(1937)を執筆した日本の社会学者、清水幾太郎も「報道、通信、交通がその機能を果さなくなったとき」としている。
これまで示した事実を見れば、未だ福島に対する風評、すなわち流言蜚語が平然と流され続けている実情が見えてくる。しかも、少なくない報道関係者がその抑制どころか拡散に加担してきたことも明らかだ。このような状況は、シブタニが言う専門家の分析、政府の広報(公的機関が担保する内容の説明)といった権威的・制度的・専門的な情報伝達のチャネルを介した信頼に足る正式な情報を十分に配信しておらず、清水が言う「報道が機能を果たさなくなった」状態にあるとさえ言えるのではないか。
同様の構図が、東電原発事故では様々な問題で幾度も繰り返されてきた。
「当事者への心配」「素朴な不安」「弱者への寄り添い」を口実としながら「次世代の遺伝に影響する」「がんや奇形が多発する」「福島は必ず(公害病で苦しんだ)水俣になる」に類した非科学的な予言、被災地への「呪い」に等しい差別的な言説を繰り返す者さえ珍しくない。
彼らは事実に反した流言蜚語を広めたり、明らかになっている知見を無視したり、すでに終わった議論を蒸し返したり、不適切な因果関係をほのめかす印象操作や不安の煽動などを繰り返して、正確な情報の伝達妨害や風評の既成事実化をはかった。たとえば、事故直後から社会で大きな話題となり続けた「福島では被曝を原因とする鼻血が相次いだ」かのような流言や印象操作なども象徴的だろう注11)。
このように風評や偏見を意図的に拡散、あるいは温存させようとする試みを、近年では「風評加害」と呼ぶ動きが広がっている。
風評「被害」があるからには当然、原因となる「加害」もある。ところが、行政の「風評対策」はこれまで正しい情報やポジティブな話題の発信ばかりに偏重し、「風評加害」には抗議や反論すらほぼされてこなかった。
その結果、当事者はいつまでも悪意や嫌がらせ、偏見差別の矢面に立たされ続けた。いくら客観的事実を示しても「安全より安心」などと開き直られる。行政に泣きついたところで、「個別の案件には対応しません。福島の正しい姿を粘り強く発信し、風評の払拭に取り組んで参ります」に類した答えが返ってくるばかりだった注12)。
「風評加害」に苦しめられるのは当事者ばかりではない。昨秋、政府は従来の処理水海洋放出風評対策基金300億円に加えて、新たに500億円を漁業支援予算として計上した注13)。言うまでも無く、これらは全て我々の血税から賄われる。ポピュリズムに迎合したゼロリスク志向、観念的エネルギー政策によって高騰の一途を辿る電気代にも同様のことが言えるが、「風評加害」を野放しにした代償を支払うのは結局、一人ひとりの国民ということだ。
令和5年1月13日、松野博一官房長官はALPS処理水の海洋放出に対し、「政府全体で全力を挙げて、安全性の確保と風評対策の徹底に取り組んでまいります」と改めて強調した注14)。
一方の地元には、これまで「風評加害」から護って貰えなかった不信感、怨嗟や諦観も残る。
今度こそ「風評加害」に毅然と対峙し、当事者や国民の利益を護れるのか──。行政の「本気」が問われている。
- 注11)
- 鼻血デマから考える情報災害を拡大した報道災害/首都圏からの自主避難者研究
https://note.com/mostsouthguitar/n/nf760a10b4d9b
- 注12)
- なぜ福島県は韓国に抗議しなかったのか|渡辺康平(福島県議会議員)
https://hanada-plus.jp/articles/803
『「正しさ」の商人 情報災害を広める風評加害者は誰か』
林 智裕 著(出版社:徳間書店)
ISBN-13:978-4198654412