いま必要なのは脱強権国家の安全保障戦略


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

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 国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)がエジプトで始まった。欧州連合(EU)は、この会議で野心的な目標をさらに高めることを狙いEUの2030年目標、1990年比温室効果ガス55%削減の引き上げを検討していると会議前に報道された。
 一方、開催国エジプトの交渉官は、途上国支援のため先進国が約束した資金提供に関する懸念を開催前の記者会見で述べていた。今までに一度も達成されていない先進国による年間1000億ドルの資金提供の約束を実行しろと途上国は主張することになるのだろう。
 目標引き上げと資金提供という議論だけでは今回の会議への関心は高まらないが、無理もない。多くの人の今の心配事は、高騰するエネルギー価格とインフレにある。エネルギー価格抑制のためEUの主要国で休止していた石炭火力が復活し石炭使用量が増加する中で、EUの削減目標引き上げと言われてもピンとこないだろう。

市民の関心はインフレに

 11月8日に投票が行われる米国中間選挙に関する世論調査が多く行われているが、有権者が投票に際し考慮することの筆頭は経済とインフレになってきた。先月末のCNNの世論調査では、投票の際に考慮することとして、経済90%、インフレ84%、選挙の規範83%、銃規制83%、中絶の権利72%、移民問題72%、気候変動60%となっている。
 インフレへの関心が高まるにつれて、気候変動問題への関心が低下していることが、調査会社ユーガブの調査から読み取れる(図-1)。

 関心がインフレに移っている最大の原因は、化石燃料価格の上昇が引き起こした物価上昇にある。ロシアがEU向け天然ガス供給の主体であるノルドストリーム1パイプラインを一時的に停止した8月末から9月初旬にかけ、欧州向け天然ガス価格と石炭価格は史上最高値を更新した。その後多少価格は下落したが、それでも昨年初めから約5倍の値上がりになっている。
 欧州各国の電気料金、都市ガス料金は大きく上昇した。上昇幅は各国の電源構成の違い(図-2)、政府補助制度を反映し異なっている。米国、日本の上昇率との比較では、原子力発電比率が約7割と高いフランス以外の国では、上昇幅は大きい(図-3)。

 米国では、化石燃料価格上昇の原因はバイデン政権の温暖化対策と石油・天然ガス採掘に関する規制の強化にあると共和党支持者を中心に考えられており、11月8日の中間選挙の結果共和党が下院の多数派になれば、ガソリン価格が下落すると45%の有権者が考えている(上昇と考える有権者は21%)。一方、民主党が多数派になれば、ガソリン価格が上昇すると考える有権者が53%(下落15%)と、10月下旬のCBS・ユーガブの世論調査が示している。

エネルギー価格抑制には整合性の取れた戦略が必要

 先進国の多くの市民は、気候変動問題よりも先にエネルギー価格の抑制策を望んでいるに違いない。冬を迎えるに際し欧州では多くの市民が食料か暖房かの選択を迫られるエネルギー貧困状態に陥る。英国では世帯の40%がエネルギー貧困層になるとの予測も出されている。
 そんな中、欧州諸国はロシア産天然ガス購入を抑制するため、石炭の消費を増やす一方、カタール、米国などからの液化天然ガス(LNG)輸入量の増加を目指し、輸出国に働きかけを強めている。
 輸出能力増強が可能な米国のサプライヤーからは、設備投資のためには長期の引き取りの約束が必要との指摘が出ている。EUが2050年脱炭素を目指し、2035年には天然ガスからバイオガスあるいは水素に切り替える計画であるならば、LNGの購入期間は比較的短期間で終了するので、輸出設備への投資は難しいとの指摘だ。
 欧州諸国は世界最大の化石燃料輸出国ロシアへの依存をパイプラインガスの形で強めてしまった以上、脱ロシアを実現するのは簡単ではない。欧州委員会からは、再生可能エネルギー設備の導入をもっと早く行っていれば、脱ロシアは簡単だったとの発言も聞かれる。しかし、それを実行していれば、ロシアに代わり再エネ設備の原材料供給に圧倒的シェアを持つもう一つの強権国家、中国への依存を強めることになっただけだろう。
 いま必要なのは、2030年温室効果ガス排出目標の引き上げではない。ロシア、中国という強権国家に依存することなく、エネルギーと原材料を安価に調達することが可能な戦略だ。エネルギー安全保障が大きな岐路に立つ以上、2030年の温室効果ガス排出目標を一旦棚上げ、あるいは先送りしても、慎重に化石燃料調達と再エネ設備の原材料調達戦略を立てる必要がある。
 目標引き上げを持ち出すと報道されているEU諸国には、エネルギー価格を上昇させない脱強権国家の戦略があるのだろうか。目標を引き上げれば、一部の環境NGOと再エネ設備の原材料供給を通しエネルギー覇権を握れる中国が喜ぶだけではないのか。多くの市民は困惑しそうだ。