ロシアの戦争でこれまでの気候政策は終わる(3)

皮肉なことに、数十年にわたる懸命な気候政策よりも、地政学的な争いやエネルギー欠乏の方が気候変動に大きく影響するであろう


Executive Director of Breakthrough Institute/ キヤノングローバル戦略研究所 International Research Fellow

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監訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志  邦訳:木村史子

過去30年、世界諸国は気候変動問題に取り組んできたが、あまり成果は上がらなかった。そして今般の戦争で、これまでの気候変動対策は終わりを告げるだろう。しかし、安全保障の観点から各国が強力に、しかも現実的な政策を推進する結果、むしろこれまでよりも気候変動への対策は進むのではないか。内外で見直されている原子力発電はその筆頭だ。日本の高効率火力発電やハイブリッド自動車などもそうだろう。以下、Foreign Policy https://foreignpolicy.com/ より許可を得て全文を邦訳する。

前回:ロシアの戦争でこれまでの気候政策は終わる(2)

 その一方で、気候変動が主要な課題となることはないだろう。米国と欧州が国際社会を動員してロシアを政治的、経済的に孤立させようとする中で、あまり注目されなかった事象として、中国、インド、そして発展途上国の多くが乗り気でなかったことがある。

 これは実利的な面もある。ロシアは世界の多くの地域にとって食糧、燃料、肥料、軍需品、その他の重要な商品の主要な供給国である。だが、ロシア型の社会の腐敗、非自由主義、民族主義が、世界の多くの地域で、ルールではないにせよ、一般的であることも理由の一つだ。プーチンの戦争は、彼らの戦争ではないだろう。しかしながら、世界の多くの国の指導者は、冷戦後の時代を形成してきた西側の制度や規範に対するプーチンの広範な拒否に共感しているようだ。

 しかし、かかる親ロシア主義的な思想には、米国と欧州の指導者たちの矛盾した理念が元凶になっている部分もある。欧米の指導者たちは、世界を気候変動から救うという名目で、発展途上国に対して自国の石油やガス資源の開発、および化石燃料へのアクセスによって可能になる経済成長をあきらめるよう促してきた。先進国経済が化石燃料に大きく依存していることから、アフリカをはじめとする途上国政府は、これを当然ながら偽善と判断することになる。ドイツなどの西側諸国が石炭火力発電所を建設し続ける一方で、貧しい国々では石炭火力発電を段階的に廃止するよう提唱しているのだ。富裕国政府は、自国の資源を利用し続けながらも、貧しい国々の化石燃料インフラ整備に対する開発資金をほとんど断ち切っているのである。

 恨みは深い。何十年もの間、欧米の環境NGOやその他のNGOは、政府や国際開発機関の間接的なあるいは直接的な支援を受けて、ダムから鉱山、石油・ガス採掘に至るまで、大規模なエネルギー・資源開発に幅広く反対してきたのだから。

 NGOの環境問題や人権問題に対する懸念は、たいてい本物である。しかし、これらの問題に対する欧米の取り組みが十字軍的で、しばしば恩着せがましいのは、主要なエネルギー・プロジェクトに対するNGOの地元キャンペーンが主に欧米によって資金が出され、人員が動員され、組織化されているという事実と結び付き、植民地時代から続く反欧米の深い溝を生み出してしまっているのだ。

 近年、欧米の開発援助は、透明性、市民社会の関与、市場の自由化、気候変動などの要素を優先している。これらはすべて、欧米人の耳には正しく、適切に聞こえる。しかし、その結果、欧米の政府、開発援助機関、金融機関は、途上国の大規模なインフラ、エネルギー開発、その他の資源関連プロジェクトのほとんど全てから撤退することになったのである。

 これに対し、中国とロシアはそのようなことには躊躇せず、エネルギー、資源採掘、インフラへの投資をテコに地政学的利益を拡大してきた。その意図は、モスクワと北京の経済的優先順位を高める形で開発途上国の依存関係を構築し、かつ国際的な影響力を生み出すことである。ウクライナ侵攻以来、この戦略の有効性は誰の目にも明らかである。

 ならば、米国をはじめとする自由民主主義諸国は、民主的で開かれた社会へのコミットメント、自国のエネルギー経済を中国やロシアから切り離す必要性、途上国におけるロシアや中国の資源外交に対抗する取り組みのバランスをどうとるべきなのだろうか。そして、他の課題がほぼ確実に優先される時代に、どのようにして気候変動対策を推し進めていくべきなのだろうか。

 そのためには、西側諸国を特徴づけてきた道徳的な偽善と、中国やロシアを動かしている非道徳的な政策の両方を否定し、世界と関わるための新しい方針を見出すことが必要である。世界の多くの地域で、欧米の開発機関は、経済発展を可能にする実績のあるハード・インフラやエネルギーなどの資源開発への投資に再び乗り出す必要がある。

 このような投資に条件を付けるのであれば、地域環境への影響や気候変動に対する国の取り組みに関連する多数の条件を特定のプロジェクトに求めるのではなく、民主化、透明性、少数派の権利保護に向けた幅広い取り組みに対して支援すべきである。

 自由主義社会は、民主化、経済発展、環境保護の進歩は常に漸進的かつ反復的であり、西側諸国がこの分野を放棄すれば、地政学上の競争相手が喜んで参入してくることを認識しつつ、倫理的で規則に基づいた多国間の政治・経済秩序に、同盟国と供給国を取り込むことを追求しなければならない。欧米の投資と技術を導入することで、市場やサプライチェーンへのアクセスが可能になり、新興国が経済の主要部門で一定の比較優位性を確保できる一方、ロシアや中国には歯止めがかかるというメリットがもたらされなければならない。

 すでにこの方向へのシフトは見られる。米国のジョー・バイデン大統領が最近アジアを訪問して推進した環太平洋パートナーシップ協定の縮小版において、再生可能エネルギーとバッテリー分野における中国の支配的地位を縮小することを目的とした産業政策の共有に、アジアの加盟国を関与させることに重点を置いている。

 また、冷戦後の気候変動への対応を大きく特徴づけてきた理想主義的政治に対して、より広範な経済活動が重要な歯止めとなる可能性もある。多くの金融資産の持続的な下落、特に高騰していたテクノロジー株や暗号資産の崩壊によって、環境保護慈善団体や気候変動対策の資金源である億万長者の寄付金や投資口座は収縮することになる。何はともあれ、近年政策立案を歪めてきた気候変動に関する膨大な量の議論は、今後減少していくだろう。

 インフレ、エネルギー不足、財政赤字の増大は、ここ数十年の金融緩和と拡張的な財政政策に終止符を打つ可能性もある。エネルギー転換の原動力となった手厚い補助金が縮小される可能性もあり、多くの地域で風力や太陽エネルギーが化石燃料とうまく競合していけるという主張が真価を問われることになりそうだ。

 これは排出量を削減し、グリーン開発を推進するためのさまざまな政策と矛盾するものではない。しかし、特に西側諸国の気候・エネルギー政策は、ソーラーパネルや電気自動車などの需要に対する補助から、原子力発電所や高圧送電線などの供給に対する規制緩和へと大きくシフトするかもしれない。運動家やロビイストが好む特定のグリーン技術への助成を止めて、その代わりに、幅広い技術を利用し、規制を緩和し、インフラ整備をすることでエネルギー転換を実現可能にする。この種のシフトは、クリーンエネルギー政策をより強固な経済的基盤の上に置くことになるであろう。そして、気候変動対策とエネルギー安全保障をより適切に両立させることができるだろう。

 ここ数カ月で明らかになったことは、戦争、不安、経済危機は残酷な教師であるということだ。環境運動家たちとその政治的な支援者たちは、しばしば、支持者を煙に巻くような政策を行ってきた。補助金による再生可能エネルギーの増加を、世界が化石燃料から急速に移行する準備ができているという証拠と混同しているのだ。それゆえ、石油やガスの生産をできる限り抑制し、原子力など他のクリーンなエネルギー源への投資を慢性的に控えてきた。しかし、技術的な進歩があったとはいえ、世界経済が化石燃料を完全にクリーンなものに置き換えることができるのは、まだかなり先の話である。

 ヨーロッパでの戦争と世界的なエネルギー安全保障の危機が重なったことで、西欧諸国とそれ以外の地域はそれほど違わないということを痛感させられる。良くも悪くも、エネルギー開発と安全保障は、依然として世界共通の課題である。民族主義的権威主義に対する防壁を築き、経済的安定を達成し、低炭素の未来へ移行するための世界戦略は、この現実に対応する必要があるのだ。