日中知識人共通の宿痾

書評: 劉 暁波 著『現代中国知識人批判』


キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹

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電気新聞からの転載:2021年12月24日付)

 劉暁波は1989年に中国で民主化運動を指導し、天安門事件の責任を問われ投獄され、61歳で病没する。この著書は事件の直前に書かれた論文を集めたものだ。

 著者は、中国の知識人がひたすら専制国家のため働いてきたことを鋭く糾弾している。そして、これは中国伝統文化に深く根差しているという。劉はもちろん中国のことを書いているのだが、日本のことなのではないかとドキリとする。子どもの時から当たり前のように考えてきたことが、実は日中共通の知識人の重い病だという。

 我々は、まず自らが立派な行いをするところから始め、やがて立派な社会人になる、と思っている。「身を清め、家を斉え、国を治め、天下を平らかにす(大学)」。そして高潔な道徳的人格者によって社会が統治されるのを理想とする。「政治を道徳に基づいて行うならば、ちょうど北極星が自分の位置にいて、多くの星がそれを中心にして運行するようになるだろう(論語)」

 だが劉は、道徳の修養および人格が、政治制度と自然科学に取って代わってしまったことが問題である、と論じる。実際には、科学には科学の法則があるように、政治には政治の法則があり、道徳には道徳の法則がある。ある道徳の高尚な人間が、だとえ道徳面で完璧であるとしても、必然的に傑出した政治家や科学者になれるわけではない。政治に主として必要なのは道徳ではなく、民主的な制度、人権を擁護する法律である。

 中国に長期にわたる「人治」の伝統が、名君を探し求める中国知識人の夢が、なぜ数千年を経ても衰えないのかは、道徳的人格に対する信頼のためである。彼らは社会の政治変革をある権力者の道徳的人格に託し、制度そのものの改変に託さないのである。

 中国では政治が科学より上位にあり、学問は出世のための道具にすぎない。知識人は専制体制に忠誠を誓うことで権力を手に入れ、体制批判に対する弾圧の先頭に立ってきた。「学びて優なれば即ち仕う(論語)」とは、勉強してのちに立派な仕事をするという意味だと思っていたが、科学が独立せず専制政治の奴隷となるという思想の現れだという。

 今の日本では民主主義があり人権は法律で擁護されている。とくに国立大学の教員には手厚い保障がある。にも関わらず、科学を貫かず、非科学的な政策の非を鳴らさず、保身に汲々とする知識人の何と多いことか。


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『現代中国知識人批判』
劉 暁波 著(出版社:徳間書店)
ISBN-13:‎978-4193549744