エネルギー危機に学び現実政策を


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(産経新聞「正論」より転載:2022年2月7日付)

世界的な化石燃料価格高騰

 エネルギー危機が世界各国で起きている。理由は複合的だが、基本的にはここ数年の化石燃料の開発停滞だ。2015年頃の原油価格下落に加え、新型コロナによる経済停滞で供給量が減少していたところに急速な経済復興で需給のアンバランスが生じた。これまでは需要が高まれば開発が進んだが気候変動対策強化が叫ばれ、化石燃料の開発意欲は削がれている。

 今世紀後半のできるだけ早いうちに、温室効果ガスを実質ゼロにする「カーボンニュートラル」を実現するということは、CO2を出す石油や天然ガス、石炭などの化石燃料はあと数十年で使えなくなることを意味する。

 化石燃料への開発投資の回収が危ぶまれるなら、資金が供給されないのは当然のことだ。投資がこれまで以上にリスクマネー化し、資本コストが上がれば、結局それはエネルギーコストの上昇を招きインフレリスクとなる。

 国際エネルギー機関(IEA)は、再生可能エネルギー等への移行が進むことで化石燃料の需要は低下し、価格も低下する前提でカーボンニュートラル社会へのシナリオを示している。しかし足元で起きていることは正反対だ。

 化石燃料の需要は減っていないにもかかわらず供給が十分ではないので、エネルギー価格が高騰し、特に化石燃料を海外からの輸入に頼るわが国では「悪いインフレ」を引き起こしつつある。

環境と経済両立に必要なもの

 カーボンニュートラル社会への転換を目指すべきことに、議論の余地はない。しかし、「環境と経済の両立」は、現在の社会・生活を支える化石燃料よりも安価で安定的な低炭素エネルギー技術によって初めて可能となる。化石燃料よりもコスト高である限り、補助金等の負担によって導入を進めることになるので、特定産業だけでなく、経済全体が成長することは期待しづらい。

 CO2排出という環境負荷への価格付け、いわゆるカーボンプライシングの導入で、化石燃料には適正なコスト負担を求める必要がある。その際、国際公平性が確保される必要があり、単に化石燃料開発の投資を絞るといった単純な議論では、弊害が大きくなり、政策が持続可能ではなくなる。

 また、安定的な低炭素エネルギーという点で、再生可能エネルギーも十分ではないことが実感された。安定的な偏西風に恵まれた欧州でも、昨年は風力発電の出力が記録的に低下した。

 再生可能エネルギーをもっと導入していれば、稼働率が低下しても供給不安を避けられたとして、より再エネ投資を活性化しようとする動きもある。だが、移行期における天然ガスや原子力などの技術への見直しという現実に欧州の政策は立ち戻りつつある。

脱炭素と脱原発の二兎追えず

 カーボンニュートラルに向けたセオリー(常道)は、発電の脱炭素化と需要の電化の同時進行だ。17年に上梓した拙著において、電気自動車やヒートポンプ式給湯器といった既存の技術を徹底して活用するとともに、再生可能エネルギーを最大限導入し、原子力発電も一定程度活用すれば、50年には13年比72%までのCO2削減ができることを示した。

 電化により電力需要は増加するので、原子力発電がなければ、現実的にCO2フリー電気の不足は回避できない。

 「世界は脱原発」と言われるが、実際には中露を中心に10年以降も約70基が新設され、欧州でも原子力は今でも発電電力量の約25%を占める主要電源だ。わが国は、東京電力福島第1原発の事故以降、原子力政策と向き合うことを避けてきたが、既存の原発を安全に廃炉するためにも技術・人材の確保は重要だ。

 福島事故を契機に見直された安全基準に適合するため、莫大な安全対策投資が行われている。適合審査を急ぎ、再稼働を適切に進める必要がある。原子力規制委員会は激しい反原発の世論の中で、新規制基準策定という大きな成果を残したが、行政の手続きの効率化や予見性は残念ながら不十分だ。

 規制の目的は、その技術を安全かつ効率的に活用できるようにすることだ。米国では行政の根本原則として、規制導入によるコストとその規制によるメリットを比較し、メリットが上回るとされない限り規制の導入を認められない。

 原子力規制機関に対しても、議会が納税者への説明責任という観点から、チェックしているが、わが国では原子力規制に対するガバナンス機能がない。この状態は改善されるべきだろう。

 新増設に向けては議論すらされていない。電力が自由化されれば、このような大規模かつ超長期の投資にチャレンジする事業者はいなくなる。このままではわが国の原子力技術は潰え、低炭素電源不足に陥ることは間違いない。

 岸田文雄政権は参院選まではこの問題に直接触れることを避けるようだが、議論を避け続けるコストやリスクを負うのは国民だ。「逃げない政治」を期待したい。