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亡国の環境原理主義


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授


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 10月末にエネルギーフォーラム社から「亡国の環境原理主義」と題する新著を上梓した。

 この本を書いた理由は、最近の地球温暖化をめぐる内外情勢に強い危機感を覚えたからである。2015年、パリ協定が合意された瞬間、自分が交渉官として追求してきた「全ての国が参加する公平で実効ある枠組み」がようやくできあがったと思った。国別目標は各国が国情に応じて設定し、目標自体には法的拘束力を持たせず、目標の設定、進捗状況の報告、定期的な改定というプロセスに法的拘束力を持たせたパリ協定は、京都議定書の失敗の教訓を活かした現実的な枠組みになるはずであった。

 しかし、パリ協定合意後5年を経て、その期待は裏切られつつある。筆者のような「現実派」はパリ協定のボトムアップの性格を高く評価していたが、環境NGO等をはじめとする環境原理主義者は1.5℃~2℃安定化、そのための今世紀後半の全球カーボンニュートラルというトップダウンの全球目標を高く評価していた。現在の議論は1.5℃~2℃の中で最も野心的な1.5℃目標、そのための2050年全球カーボンニュートラルというより過激な方向にシフトし、このトップダウン目標が全てに優先するという環境原理主義に席巻されている。そうした議論をリードしたのがグレタ・トウーンベリをはじめとする環境活動家たちであり、それにのっかったグテーレス国連事務総長であり、環境NGOの影響力の強い欧州である。こうした動きは左派リベラルの支持を受けたバイデン政権の発足で更に加速した。バイデン政権が4月に開催した気候行動サミット、英国主催の6月のG7コーンウオールサミットでは2050年カーボンニュートラル、2030年目標の引き上げ、石炭火力等化石燃料の早期フェーズアウトが打ち出された。欧米の温暖化外交は理念的な環境原理主義に立脚しているといえるだろう。

 しかし現実世界は環境原理主義で動いているわけではない。今後の温室効果ガス動向の帰趨をになう新興国も参加したG20では1.5℃、2050年カーボンニュートラル、化石燃料排除といったメッセージは中国、インド、ロシア、サウジ等の反対で盛り込まれなかった。17のSDGの中で気候行動がトッププライオリティであるのはスウェーデンをはじめとする富裕な国であり、貧しい途上国では貧困撲滅、ヘルスケア、雇用、教育に比して気候行動の優先順位ははるかに劣後する。そうした中で欧米諸国が石炭排除等の理念的な温暖化外交を押し付ければ、手頃な価格で安定的なエネルギー供給を重視する途上国との間の亀裂は深まることになるだろう。

 欧米が環境原理主義を標榜すればするほど、漁夫の利を得るのは中国である。再エネ導入が増大すれば、価格面で圧倒的な競争力を誇る中国製のパネル、バッテリー、風車、さらには電気自動車が売れることになる。中国はリチウムやレアアース等の戦略鉱物において高い支配力を有し、石油の中東依存とは別な意味で、対中依存の拡大という地政学的なリスクももたらす。他方、日本の石炭火力輸出が環境団体から狙い撃ちされているのをよそに中国は一帯一路で途上国向けの石炭火力輸出を拡大してきた。習近平国家主席は海外での石炭火力新設をやめると宣言したが、途上国でも環境配慮で石炭火力新設が少なくなっている中で売り物を石炭火力から太陽光パネル、バッテリーに変えただけのことである。米国のケリー特使は中国に対して再三、2060年目標、2030年目標の前倒しを働きかけているが、中国は温暖化問題を外交カードとしてしたたかに活用しようとしている。グレタ・トウーンベリをはじめとする環境活動家は先進国の攻撃には熱心だが、世界最大の石炭消費国である中国については大甘である。環境原理主義に傾く欧米の温暖化外交が途上国との対立を深めれば、中国は途上国に寄り添うような姿勢をとりつつ、自国の影響力を拡大しようとするだろう。筆者は温暖化交渉の経験から、地球温暖化問題は環境問題であると同時に経済問題であると指摘してきた。しかし中国が再エネ産業で世界市場を席巻しようとしている現状をみると経済問題にとどまらず、今や地政学、安全保障上の問題でもあると考えている。

 そうした中で日本政府は2050年カーボンニュートラル宣言、46%への2030年目標引き上げなど、欧米と歩調を合わせている。中国の脅威が高まる中で、欧米諸国との連携が必要である以上、欧米が重視する温暖化の分野で応分の貢献を果たすことには異論はない。しかし国内に資源を有さず、近隣国との連係線がなく、太陽光に適した広大な土地や、洋上風力に適した遠浅の海のない日本は、欧米に比してエネルギー面の条件が恵まれない状況にある。日本の産業用電力料金は中国、韓国、米国の2~3倍の水準にあり、更なるエネルギーコストの上昇は産業競争力や雇用に深刻な影響を与えるだろう。したがって温暖化対応のために使えるオプションは全て動員し、できるだけコストを抑えねばならないはずなのに、日本では原子力オプションが未だに腫れ物に触るような扱いを受けている。第6次エネルギー基本計画は2030年目標のみならず、2050年カーボンニュートラルに向けたロードマップでもあるはずなのだが、河野前行革大臣、小泉前環境大臣の反対により、原発の新増設への言及は盛り込まれなかった。欧米を席巻する環境原理主義により、我が国も2050年カーボンニュートラル、2030年46%という野心レベルの高い、換言すれば実現可能性に疑問のある目標を掲げることとなった。これに加えて日本は再エネ原理主義、反原発原理主義の呪縛から逃れられずにいる。米国のバイデン政権もEUのフォンデアライエン委員長も温暖化対策としての原子力の役割を認知しているにもかかわらず、欧米に比してエネルギー面で大きなハンディキャップを負っている日本が自らの手足を縛ってどうするのか。

 「亡国の環境原理主義」では、そうした危機感を率直に綴った。日本のメディア、国民は自国のエネルギーをめぐる厳しい現実にもっと目を向けなければならない。そうでなければ世論に左右されやすい政府の施策に対する呪縛が解けないだろう。今回のエネルギーミックスは「数字合わせ」との批判を受けている。これは太平洋戦争直前の企画院の石油需給試算を想起させる。昭和16(1941)年、日本が対米戦争を前に、米国が対日石油禁輸をするなかで、企画院は「南方石油資源を確保し、日本に石油を持ってくれば長期持久戦が可能」というバラ色のシミュレーションを行った。戦後、このシミュレーションの数字をつくった企画院の担当官は「皆が納得し合うために数字を並べたようなものだった。とても無理という数字をつくる雰囲気ではなかった」と述懐している。原理主義に支配された政策決定とはこのようなものである。本書がエネルギー温暖化問題についての冷静な議論の一助になればと望外の喜びである。