欧州委員会の包括パッケージについて
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
7月14日、欧州委員会は欧州グリーンディールを実施するための包括パッケージ「Fit for 55」を発表した注1) 。
欧州委員会は2019年12月に2050年カーボンニュートラルを実現するための欧州グリーンディールを発表し、そのため2020年12月に2030年の削減目標をそれ以前の90年比▲40%から▲55%に引き上げることを決定した。今回の提案は2030年目標を達成するための具体的な政策パッケージを提示するものである。その主な内容は以下の通りである。
- 2035年にガソリン・ディーゼル車の生産・販売を実質禁止
- 国境炭素調整措置を創設
- EU排出量取引制度(EU-ETS)を海運業にも拡大
- 道路交通、ビルを対象にした新たな排出量取引制度の創設
- 再エネ普及目標を32%から40%に引き上げ(最終エネルギー消費比)
- 省エネ目標を36-39%に引き上げ(ベースライン比、現行32.5%)
- 航空燃料を対象にエネルギー税を改正
- 炭素価格上昇に伴う弱者への救済基金設置
炭素市場改革においてはEU-ETSでカバーされるセクターの排出量を2030年までに61%削減することを目指す。これはそれ以前の40%削減を大幅に引き上げるものであり、年間削減率を2.2%から4.2%に強化することを意味する。既に炭素制約が格段に厳しくなることを見越してEU-ETS市場ではクレジット価格が58ユーロを超える水準に上昇している。
しかし、これはEU域内の国民、産業に大きなコストを強いることを意味する。このため包括パッケージについては予算、産業、経済、社会生活担当委員を含め、26人の欧州委員の三分の一が反対もしくは慎重な姿勢を示したという注2) 。EU加盟国の中からもフランス、スペイン、イタリア、ハンガリー、ラトビア、アイルランド、ブルガリア等は本パッケージに伴うエネルギーコスト上昇に強い懸念を表明している注3) 。欧州議会環境委員会のパスカル・カンファン議員(フランス)は「排出量取引を道路や建物に広げることは政治的自殺行為」であると述べている注4) 。フランスは2018年末~2019年にかけて炭素税引き上げに伴う燃料価格上昇に反発したイエロー・ベスト運動を経験しているだけに、包括案の抱えるリスクが予見できるということであろう。
炭素価格の上昇に伴うエネルギー多消費産業への影響については炭素国境調整措置でレベル・プレイング・フィールドを確保しようというのが欧州委員会の戦略であるが、道路、建物についてはこうした手当がとれない。このため、弱者救済のための基金を作るということだが、その規模がどの程度になるのか、原資をきちんと確保できるのか等の点については予断を許さない。
2035年に内燃機関自動車を事実上生産・販売禁止とすることについてはドイツ自動車工業会が「アンチイノベーションの考え方であり、消費者の選択の自由を阻害するものである」として性急なガソリン・ディーゼル車排除に対して釘をさしている。特に中小企業が多い部品産業は電気自動車一辺倒の欧州委員会案に強い懸念を表明している。
炭素国境調整措置は電力、鉄鋼、セメント、アルミ、肥料に導入され、対象セクターの炭素含有量に関する報告システムが2023年から導入され、当該セクターの輸入者は2026年から調整課金の支払いを求められることになる。他方、これらセクターに対して適用されていたEU-ETS下の無償配賦措置は2036年までに徐々にフェーズアウトされ、オークションに移行する。
欧州の産業団体であるビジネスヨーロッパは包括案を総論としては歓迎しつつも、国境調整措置と引き換えにEU-ETSの無償配賦措置が2036年までに終了すること、輸出品に対する還付措置が盛り込まれていないことに懸念を表明している。また国境調整措置で保護される対象が厳的である一方、炭素コスト上昇の影響は全産業に及び、これに対する救済措置はない。国境調整措置の対象セクターも歓迎ムードではない。ドイツ鉄鋼連盟は国境調整措置の効果は試されておらず、様々なリスクをはらんでいるとして国境調整措置と無償割当の併用を希望しているが、こうした二重の保護に関し、パスカル・ラミー前WTO事務局長はWTOルールに抵触する可能性が高く、貿易戦争につながると警告している注5) 。
このように▲55%目標達成のための具体的処方箋を提示する包括パッケージについては加盟国、産業界から様々な反応が出されている。あくまで欧州委員会の提案段階であり、今後、加盟国、関連産業との間で調整が本格化されることになろう。またパッケージの中核の一つである国境調整措置については中国、インド、ブラジル、南ア等の貿易相手国が反対を表明注6) しており、紆余曲折が予想される。