シェルの「エネルギー変革シナリオ2021」
シナリオプランニングの手法
角和 昌浩
東京大学公共政策大学院 元客員教授
ロイヤル・ダッチ・シェル社(以下「シェル」と略称する)は、2月9日、最新シナリオ作品「The Energy Transformation Scenarios注1)」を発表、ついで11日には最高経営幹部が長期戦略を発表注2)した。
本稿は、一私企業のビジネス戦略を解説するものではない。こういう記事を書くためには最低限、他の国際エネルギーメジャーとの比較といった手続きを経なければフェアな内容にならない。よって本稿では、同社が長年、理論と技法を牽引し、公開して、世界で広く活用されているシナリオプランニング手法の視角から、この最新シナリオ作品の内容と型式を概説することにした。以下、この作品を「エネルギー変革シナリオ2021」と略称する。
1.シナリオ作品の概要
1.1 現状分析
2020年、パンデミック危機が世界を襲い、われわれ個々人、各国社会そして国際関係は深甚な影響を被った。これは予期せぬ突然のショックだった。各国は危機の克服に懸命に努力し、医学や疫学など研究者たちは国際的な協働を続けている。
別の世界大の重要課題は、気候変動問題だ。政府も環境活動家も民間経済主体も、方向を一にして脱炭素化を目指し始めた。低炭素化技術関連の研究開発も着実に進展している。が、解決に向かうペースは問題の深刻さと比べると、遅い。
1.2 シナリオの動因(ドライバー)と分岐点
現状を未来に向かって牽引してゆくドライバーは2つある。
ひとつは、コロナ禍ショックそのものであり、もう一つは、ショックから回復し、ショック後の世界を構想する際の、われわれの社会的政治的な選択である。
コロナ禍は社会システム全体を揺るがす。一般的に強いショックは新たなシステムを生み出す契機となろう。エネルギーシステムを例にとれば、われわれは過去にショックを契機としたシステム変革を経験している。第一次石油ショックは、世界大の脱石油と省エネ行動を促し、福島の被災は、社会のレジリエンスを直視させ、脱原発と再生エネルギー電源への傾斜を促した。
この社会はいずれコロナ禍から回復し、レジリエントなシステムを築こうと、あらためて、社会目標を構想しはじめる。ここで、この社会目標の政治的な選択が、未来の経済活動、国際関係、エネルギーシステムや地球環境を包摂する未来社会システム全体を、長期的に形作るドライバーとなる。社会は回復をめざす。が、”何を目指して”回復しようとするのか? この”回復の目的”は、3つありそうだ。第1に、経済的な回復、つまり仕事と収入。第2に、国内情勢の安定と対外安全保障。第3に、健康的な市民生活。この3つの異なる「回復の目的」の選択や優先順位付けが、未来の社会のありかたに影響する。
すなわち“回復の目的”の選択肢から、Waves、Islands、Sky1.5という3つの社会全体シナリオが導かれるのである。
いずれが現れるかは、我々自身にかかっている。それが実は、21世紀末のエネルギーシステムと脱炭素化の様相を決定してゆくのだ・・・というお話です注3)。
1.3 Wavesシナリオ
各国は経済の回復を最優先課題とする。
先進国ではワクチンが、素早く、広く普及してゆく。政府は既存の大企業に経済復旧を任せるので、企業業績が好転する。企業は生産性向上とコスト削減に注力し、デジタル化と自動化が進み、雇用が失われてゆく。中間層の縮退。経済的格差は維持され、拡大してゆき、国内の社会対立が厳しさを増す。
経済が回復し、そしてエネルギー需要も回復する。だが、気候変動問題は政治のアジェンダから落ちて、漂流し、再エネが伸長するも大規模なエネルギーシステム変革は行き詰まる。加えて経済の効率化をめざしたため、未来のショック対応への余地が残されていない。
やがて、様々な自然災害が起こり、ここで、政治主導により脱化石燃料、脱炭素化に向けた施策が急速に積みあがるだろう。Wavesはコロナ禍からの回復の過程で、パリ合意に向かう行動が遅れる世界だ。21世紀末の地表温度は、2.3℃、上昇。
1.4 Islandsシナリオ
多くの政府は、ロックダウンの緩和と再強化の繰り返しに苦闘。コロナ対策が上手くいかず、国内治安と対外安全保障が優先されてゆく。
自国利益を優先し、国際協力から距離を置く。眼下の米中対立と各国内のナショナリズムの昂進が背景にある。貿易と経済成長が減速、各国間の経済力格差が際立ち、先進国と途上国間の緊張が昂進する。
経済活動は“失われた10年”、エネルギー需要は伸び悩む。自給自足、各国はローカルな再エネを推進してゆくので、ローカルな環境汚染は改善する。CO2排出量の伸びも鈍化するがそれは経済活動の減速の結果だ。
国内問題に注力するため、世界大の課題の進展はパッチワークとなる。Islandsでは、気候変動問題が優先されていない。21世紀末の温度上昇は2.5℃(で、その後も上昇を続けるだろう)。
1.5 Sky1.5
社会は一般市民の健康や福祉を優先する政治選択をする。COVID-19は、手ごわく、容易に収束しない。社会活動の再開は漸進的だ。ただし、この“手ごわさ”が各国政府を真剣にさせ、実務的な協働を促す。
新型コロナ対策では世界中の医学・疫学等関係機関が、産・官・学を横断して、驚くほど素早く協働関係を立ち上げた。われわれの社会は、志(こころざし)を共にした、立場を超え国境を越えた協働を実感しつつある。
この経験が生かされる。気候変動問題への対応が間を置かずに始まる。産・官・学それぞれのリーダー的主体がアライアンスを形成し、グリーン投資を強力に推進してゆく。結果、パリ合意目標が達成され21世紀末の温度上昇は、1.5℃に収まる。
2.シナリオ作品の構造と型式
「エネルギー変革シナリオ2021」のストーリーが盛られる器(うつわ)であるシナリオの構造と型式、について解説する。
2.1 ショックシナリオと帰納的アプローチ
典型的なショックシナリオの型式を採用している(IEEI投稿、シリーズ2、第1回を参照)。この型式では、ショック事象に続いて起こる様々な未来展開を、時系列に従って、因果関係を大事にしながら書いてゆく。Waves、Islands、Sky1.5。3つの違った出発点から、それぞれに異なった3つのシナリオストーリーが展開される。この叙述方式は帰納的アプローチと呼ばれる(シリーズ1、第4回、第5回を参照)。
2.2 探索的シナリオと規範的シナリオの共存
「エネルギー転換シナリオ2021」の中で、シナリオ理論に言及した大事な説明がある。
シナリオ理論の根幹は「未来は今現在、正確に予測できない、だから分析的知性を働かせて未来の可能性を探索し、複数の未来の可能性を作っておく」という立場だ。3つのシナリオは、だからもちろん、未来予測ではなく未来の可能性を描いている。この基本姿勢を「探索的exploratoryシナリオ」と呼ぶ。
ここで経済優先のWavesと、自国の安全優先のIslandsは、なじみ深いストーリーとなった。他方でSky1.5は、”あるべき未来像”を描こうとした。シナリオ理論では、”あるべき”シナリオを「規範的normativeシナリオ」と呼ぶ。
なぜ、探索的シナリオと規範的シナリオが、同一作品上に共存しているのか?
読者諸賢は、この作品の現状分析の着眼点が、コロナ禍ショックと気候変動問題の2つだったことを思いだされたい。
ショック事象からの回復とその後の世界をデザインする際の社会的政治的な選択肢が、3つあり、Waves、Islands、Sky1.5を導く。3つの未来世界はどれも同じ確率で起こりそうだし、各国ごとに違う選択をするかもしれない、とシェルは言う。ここまでは探索的シナリオの型式を採用しているのだ。
だが、コロナ禍は社会システム全体を揺さぶる激しいショックで、今の社会を一挙に変革するドライバーになり得る。
シェルは、このショック体験を気候変動問題の解決に活用できないか、と論ずる。世界大の政策協調、産官学協働、そして志を共有するリーダシップを求める社会政治的選択の可能性。これがSky1.5シナリオだ。Sky1.5は、現今の論壇が気候変動問題を扱う際の叙述慣行に従った、とも見える。が、それ以上のものがある。シェルはこの作品で規範的シナリオを、”aspirational scenario”、つまり(シェル自らが)志望するシナリオ、と呼んでいる。この呼称に私企業たるシェル社の重要なメッセージが込められるが、紙幅に余裕なく割愛する。
3.終わりに
読者諸賢には、結論だけわきまえておきたい、という向きもあることと思う。
そこで以下に、脱炭素化のペースの総括図を掲載しておきます。
Wavesシナリオでは経済活動の回復を優先するため、パリ合意に向かう行動が遅くなる。21世紀末の温度上昇は2.3℃。 Islandsシナリオでは、社会的政治的に気候変動問題が優先されていない。上昇は2.5℃(で、その後も上昇を続ける)。 Sky1.5シナリオでは、気候変動問題への世界大の協働行動が直ちに始まり、エネルギーシステム変革が早期に起こる、という「志望するシナリオ」。上昇は1.5℃に収まる。
また、シェルが志望するところのSky1.5シナリオに描かれた世界大の最終エネルギー需要のイメイジは下図である。
- 注1)
- 原文は www.shell.com/transformationscenarios で読むことができる。
- 注2)
- Shell Strategy Day。 https://youtu.be/Fn-354ECiek で公開されている。
- 注3)
- 「エネルギー転換シナリオ2021」で語られた、コロナ禍後の社会目標の選択肢という問題設定は、2020年9月公表「Rethinking the 2020s」を踏襲している。「Sky1.5」のストーリーは、2018年3月公開「Sky, Meeting the goals of Paris agreement」に含まれた「Sky」シナリオを発展させたもの。(詳しくは、IEEI投稿、シリーズ2、第6回、第7回を参照)