「炭素価格」を軸に政策の整理を


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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(産経新聞「正論」からの転載:2020年12月22日付)

 菅義偉首相が所信表明演説で、2050年に温室効果ガス排出実質ゼロを目指すと宣言して以降、その実現に向け次々に政策案が打ち出されている。2兆円規模の基金を創設して脱炭素技術の研究開発支援を行うこと、省エネ投資への税制優遇などが公表されたのに続き、カーボンプライス(炭素価格)の導入が検討されると報じられている。

環境負荷コストの見える化

 炭素価格とは、一般の方にはなじみのない言葉かもしれないが、企業や消費者がエネルギーを消費し、二酸化炭素(CO2)を排出することに対して価格をつける、いわば環境負荷をコストとして「見える化」する仕組みである。

 実はわが国でも既に炭素価格は導入されている。炭素含有量比例ではないが石油石炭税や地球温暖化対策税がそれで、原油であれば両者を合わせて1トンのCO2当たり1000円強が課されている。なお、その他のエネルギー関連の税や規制対応コストも考えると、わが国の産業・消費者が負担する炭素価格はCO21トン当たり4000円程度にもなり、諸外国と比較しても遜色ないとする分析もある。しかし政府は現状の炭素価格では十分ではないとして、検討を進めるということだろう。

 確かに、パリ協定が掲げる2度目標(産業革命前からの温度上昇の幅を2度未満に抑制)を達成するためには、2050年時点で1トンのCO2当たり100~300ドル、2100年時点で1000~3000ドルが必要であるとも予想されている。

 そのようなコスト負担は日本の産業競争力を削ぐことになるし、国民生活への影響を懸念し、反対の声があるのも当然のことだ。エネルギーコストの上昇は、特に弱者世帯や中小企業ほど痛みが強いので慎重に議論されるべきである。最近、エネルギー政策の軸足が2050年のCO2排出実質ゼロに過度に寄り、エネルギー安定供給やコスト負担について積み重ねてきた議論が政治的に上書きされる場面も散見されるが、エネルギー政策の真髄は国民生活・経済の安寧にあることは何度でも主張しておきたい。

規制や税制などが乱立

 しかし慎重な検討・検証がなされること、また、ある前提をクリアするという条件付きであれば、筆者はこの炭素価格導入に賛成の立場をとる。

 その主たる理由は、CO2排出削減を費用対効果良く進めるためだ。今は様々な補助金や規制、税制などが乱立し、コスト効果の良い対策から順に進むということになっていない。例えばわが国は固定価格買い取り制度によって再生可能エネルギーの導入を進めているが、そのCO2削減費用は、低減しつつあるものの1トン当たり約3万円にもなると試算されている。

 そもそも、大幅な低炭素化に向けては、需要の電化と電源の低炭素化の同時進行がセオリーであるのに、賦課金が電気代を上昇させて電化を阻害する上、CO2削減コストとしては相当高い。石炭火力の廃止や再エネの拡大は目的ではなく手段である。手段ごとの政策措置は、トータルで見て費用対効果の良いCO2削減にならない。技術中立的な炭素価格は有効なシグナルだ。

「脱炭素化元年」の提言

 では、炭素価格を導入するにあたりクリアすべき前提とは何か。

 まず第一に、既存の様々な規制や税制などを整理することだ。欧州でも排出枠取引制度と再生可能エネルギーの補助策とを併存させたためその効果が減殺されたという報告もある。わが国では税制も複雑化しており、例えば道路財源として始まったものの現在は一般会計に組み込まれているガソリン税は廃止して炭素税に一本化するなど、これまで上書きを重ねてきた税制・規制を整理しなければ期待する効果は得られない。

 第二は、消費税や所得税、あるいは法人税など他の税制の軽減措置を講じて、国民負担の総和を最小限に抑えることだ。所得に対して課税するよりも、外部不経済への課税の方が社会的厚生を高めると期待されるが、コロナでこれだけ実体経済が傷むなか、追加的負担を求める施策が国民の支持を得られるとは筆者には考え難い。

 なお、炭素価格には、炭素税と排出枠取引の2つの手法がある。税よりも、一部の産業を対象に政府が枠を設定し企業同士の取引を認める排出枠取引の方が導入のハードルが低いとされる。

 しかし、これは、政府の計画経済そのものであり行政や取引関連コストが肥大化する上、価格の予見可能性が乏しくなる。炭素価格の示すシグナルとしての効果が届きづらくなる懸念がある。いずれにしても特定産業を対象とするのではなく、経済全体をカバーするものが必要だ。

 既存の税制・規制の整理や経済全体に炭素価格を課すことが困難であることは百も承知だ。しかし壮大な社会変革を実現するには、相応の覚悟が必要だ。「脱炭素化元年」とも言うべき本年最後の提言としたい。