ブレグジットによりEU排出枠の価格上昇へ

義務達成のため、市場での枠購入が必要なケースも


国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授

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(「月刊ビジネスアイ エネコ」2019年6月号からの転載)

 3月29日に設定されていた英国のEU(欧州連合)離脱(ブレグジット)期限は最長10月31日まで延長されたものの、先行きは相変わらず不透明だ。混乱が続くブレグジットに関連して英国ではさまざまな出来事が報告され、物騒な話も増えている。ブレグジットの熱心な支持者が、英国の最大野党・労働党などの議員に脅迫メールを送りつけ逮捕されたとの報道もあった。 
 報道では脅迫メールの一部が伏せ字になっているため正確な文面は不明だが、ブレグジットに関連してアフリカ系議員に「ジャングルに帰れ」、他の議員に「死ぬのはノビチョク(ロシア製神経剤)あるいはポロニウムか?」などとつづったEメールを、プーチン露大統領を模した偽メールアドレスから送った男が、IPアドレスから割り出され逮捕された。4月上旬には判決が下り、42週間の禁固刑に処せられた。
 混迷と対立が深まるブレグジットだが、世論調査では2016年6月の国民投票以降、ブレグジット賛成派が減少し、EU残留派が増えている。国民投票では離脱賛成が51.9%、反対が48.1%で、その差は3.8ポイントだった。しかし、英大手世論調査会社YouGovによると、17年夏にはその差がなくなり、同年秋には離脱反対が上回るようになった。その後も調査ごとに反対派が増え、今年初めの調査では反対派が8~10ポイント上回っている(図1)。
 今年2月に訪英し、ブレグジットが英国のエネルギー政策にもたらす影響について離脱派、残留派と面談し、意見を聞いた。その中で、国民投票の再実施についても尋ねたが、離脱派はもちろん残留派も再実施に否定的だった。結果にかかわらず、混乱が深まる可能性があるとの判断だ。


図1 YouGov調査での離脱賛成派と残留派の割合の差
出所:YouGov

 ブレグジットをめぐり、企業が困惑するケースも出てきた。英国第2位の鉄鋼会社ブリティシュ・スチール(BS)社が、EUの排出量取引制度(EU ETS)の義務を果たすための資金調達ができず、英国政府に1億ポンド(約145億円)の融資を依頼する事態になった。こうしたケースは氷山の一角とみられている。

ブレグジットにより資金調達が必要になる英国企業も

 EUでは05年から、電力、鉄鋼などのエネルギー多消費型産業に属する企業への二酸化炭素(CO2)排出量の割り当てが行われ、割り当て量を達成するために排出枠を取引するEU ETSがスタートした。割り当ては各国政府に任されたため、甘い割り当てが行われたケースも多くあり、排出枠のCO21トン当たりの価格は長く低迷が続いた。
 現在、1万1000以上の事業所がEU ETSのもと割り当てを受けているが、割り当て量を削減するなどのテコ入れ策が功を奏し、その後、排出枠価格はCO21トン当たり20ユーロ程度で推移していた。ところが、ブレグジットの期限が迫るにつれ、排出枠価格は上昇傾向にある(図2)。


図2 EU排出枠価格の推移
出所:ICF Futures Europe

 その理由は、EUの割り当て事業所数でドイツに次いで約1割を占める英国企業の多くが、排出枠を必要としているためだ。以下の英国政府の説明で明らかなように、ブレグジットに伴って排出枠の割り当てが停止されたため、市場で購入せざるを得ない英国企業が出てきたのだ。

合意なき離脱の場合には、EU ETSの規則は英国には適用されなくなる。
産業部門の19年1月からの排出量はEU ETSの対象外になる。そのため、産業界は各年末の割り当て達成が必要なくなる。
しかし、EU ETSに現在参加している事業所は、引き続き排出量の測定、報告、認証を行うことが必要になる。これらは英国の炭素排出税の基礎になる。
19年の炭素排出税は1トン当たり16ポンドだが、適用開始日は追って発表される。
エネルギー多消費型産業にEU ETSの間接費用を補助する制度は、国の補助制度が認められることを条件に、炭素税の間接費用にも適用される。
EUを離脱した時点で、英国政府が管理するEU ETSと京都議定書の登録簿は閉鎖される。EUの排出枠を利用したい事業者は、他国での口座開設を検討すべき。クリーン開発メカニズムを開発している事業者は、他国の指定機関の認証も必要とする。
さらに通知があるまで、英国政府は排出枠の発行もオークションも行わない。
排出枠を取引市場またはEEXオークション市場で購入することは可能。
さらに変更もあり得るが、事業者は18年の排出量に相当する排出枠を19年4月30日までに提出しなければならない。

 この排出枠に関する政府方針により、困惑する英国企業が多く出ることになった。事業者の中には、当該年に割り当てられた排出枠を市場で売却し、自社の義務達成には翌年に割り当てられる排出枠を利用しているケースもあったが、ブレグジットにより排出枠の発行が停止されたため、その方法が利用できなくなった。
 前出のBS社も同様の手法を採用しており、昨年の排出量の達成用に4月末までに排出枠を新たに購入する必要が生じた。

排出枠の購入資金不足

 英国政府が排出枠の発行を停止せざるを得なかったのは、EU委員会が離脱協定案批准まで英国企業への排出枠の発行を停止したからだ。EUの排出枠を得られなかったBS社は、枠購入資金がなく、英ビジネス・エネルギー・産業戦略省(BEIS)に1億ポンドの融資を求めていると報じられている。
 BS社は「ブレグジットがわが社にもたらす影響についてBEISと議論しており、BEISは責任を感じ強く支援してくれている」と発表している。BEISは「ビジネス関係の省として、多様な産業、企業と通常の議論を行っている」とインタビューに答えている。
 EUでは、数千の事業者がBS社と同様、翌年の排出枠を当てにしてつじつまを合わせているとみられ、英国ではたちまち排出枠の需要が高まると予測されている。ブレグジットにより排出枠の価格は上昇を続けているが、来年にはEU全体で排出枠の需要が高まるとみられている。
 EU ETSは、現在の第3期が20年末に終了し、21~30年までの第4期が開始される。第3期の排出枠は第4期に入ってからも使用できるが、第4期の枠を第3期の義務達成に使用することは認められていない。20年末に向けて、英国以外でも多くの企業が排出枠の購入を迫られることになるとみられている。
 排出枠の価格上昇は、英国とEUのエネルギー多消費型産業の競争力に影響を与えることになる。EU ETSの影響は今後拡大していきそうだ。