規制は何のために行われるのか
山本 隆三
国際環境経済研究所所長、常葉大学名誉教授
4月24日に開催された原子力規制委員会の定例会において、テロ対策施設の完成が期限に間に合わなければ、原子力発電所の運転を止めることが決定された。翌日衆議院にて私も参考人として出席した原子力問題調査特別委員会が開催され、この問題も取り上げられた。
委員会では、参考人の意見陳述も各議員との質疑応答も15分に制限されているため、全てのことを述べることが難しく、また中継では資料が映らないため、少し理解が難しいところがあったようだ。私の意見を少し詳しく再度述べておきたい。
規制は何のために行われるのだろうか。規制にはコストが掛かるが、コスト以上の国民の社会的厚生が期待されるためだ。社会的な厚生とは、国民全体が得ることができる便益、利益を指す。表-1が示すように、規制は大きく経済的な規制と社会的な規制に分けることが可能と考えられる。例えば、鉄道路線は独占されているので、鉄道料金を認可制にしなければ、選択肢がない消費者はどのような料金体系でも高額な料金でも利用せざるを得ない。鉄道料金の規制にはコストが掛かるが、結果として国民全体の便益を増やすことになると考えられる。
経済的な規制と社会的な規制の定義には曖昧な部分もある。例えば、温暖化をくい止めるため温室効果ガスの排出を抑制するのは社会的な規制と考えられるが、抑制手段として炭素税を利用する、あるいは排出権取引を導入するのは経済的な規制とも考えられる。炭素税により国民の税負担は増えるが、温暖化防止の効果がそれ以上の社会的な厚生をもたらすと考えられれば、税導入は正当化される。
ただし、温暖化防止の効果を経済的に知ることは難しいことに加え、一部地域が取り組む排出抑制が全体に寄与する効果も不透明だ。その結果、炭素税の負担以上の社会的厚生があるかどうかは正確には分からない。その費用対効果に国民が納得しなければ、フランスの黄色ベスト運動のように国民の大きな反発を招くことになる。
規制はその費用と効果を考え実行することが重要だが、間違った規制が行われることもある。表-2は二種類の間違いを示している。実施する間違いと実施しない間違いだが、規制を行う当局は慎重に検討を行うため「実施しない間違い」を犯す可能性が高いと理解される。例えば、事故を起こす可能性のないロケットを留め置くことで、本来得られる情報が得られないことが起こるが、そのことは航空宇宙局の関係者以外の知るところにはならない。大きな効能がある薬の発売が行われないと失われる便益、社会的厚生は大きいが、それも多くの国民が知ることはない。
原子力規制の目的は安全の確保だが、社会的厚生も当然考える必要がある。「今回のテロ対策設備の建設の遅れが大きなリスク増を招くことはないが、一度決めたことを変更することは望ましくなく規制の精神にかかわる」というのが、設備が期限に間に合わない場合の停止の理由と伝えられている。一部のマスメディアは、原発の停止が電力会社への損益に与える影響を記事にしているが、問題は電力会社の損益ではなく、設備の遅れにより増加するリスクと停止により失われる便益、社会的厚生の比較だ。上述の慎重に検討するゆえに社会的な厚生が失われる事態と同様に、停止の決定は社会的厚生をあまり考慮していないようだ。
原子力発電がもたらす総便益は、電気料金引き下げのメリット、エネルギー安全保障の向上と温暖化対策への寄与を全て加えたものだ。全てを金額で表すことは難しいが、停止による電気料金の上昇と産業と家計への影響は予測可能だ。「規制の精神」という言葉で発電を止めるほど総便益の大きさは小さくないのではないか。
質疑応答の際に世論調査の不思議について発言したところ、SNSでかなり拡散したようだ。時間の関係で簡単に述べたが、もう少し詳しく説明しておきたい。NHKの世論調査室の方の本によると、NHKの世論調査の回答者の半分は60歳以上、20歳代は3%前後とのことだ。調査は高齢者の意見に引っ張られている。私の研究室が2015年から16年にかけ静岡県で行ったアンケート調査では約7500名の回答者の60%強が60歳以上、20歳代は2%弱しかいなかった。回答数を合計すると、再稼働容認は46%弱だったが、年代別に見ると20歳代では再稼働容認が約3分の2、年代が上がるにつれ容認が減少し60歳代で最も少なくなる。年代別回答を日本の年齢構成に合わせ再計算すると、再稼働容認は半分を超えていた。
朝日新聞は、回答者が日本の年齢構成と同じになるまで電話をしているとのことだが、通常の調査においては年齢により回答内容に差がある問題では、世論調査の結果が高齢者の意見を強く反映し、国民全体の意見ではないことがあり得るということだ。
ちなみに、英国BBCが福島事故の後2011年11月に主要国で行った世論調査の日本の結果を見ると、半分以上が現状の設備を利用し新設は行わないとの意見で、新設まで行うとの回答を加えると回答者の60%以上を占めていた。この回答者は再稼働を容認しているとみられる。直ちに閉鎖との回答は30%を下回っていた。事故からあまり時間が経っていない時点にもかかわらず、一部の国内マスメディアの調査結果とは大きな違いがある。