エネルギー政策の漂流を許すな
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
(産経新聞「正論」からの転載:2018年6月25日付)
政府は「エネルギー基本計画」の見直しを進めており、先月その素案を発表した。「再生可能エネルギーを主力化する」という表現や、長期エネルギー需給見通しで示した2030年の電源構成の改定には踏み込まなかったことなどが、メディアでも報じられた。
日本に捨てられる選択肢はない
電力事業も都市ガス事業も自由化されたのに、政府がエネルギー基本計画を策定したり、将来のエネルギー構成を1%刻みで示すことに疑問を持つ人もいるだろう。確かに市場原理と規制が同居することに居心地の悪さは否めない。
しかし、政府がビジョンを示し事業者の投資に予見可能性を与えることは重要だ。自由化によりエネルギー事業は市場原理に委ねられた。基本的には電気を一円でも安く提供できる者が勝つシンプルな世界だ。今後政府は、複数の施策によって、外部不経済の内部化も含めたコスト競争の結果を、描いたビジョンに「誘導」せねばならない。
今回のエネルギー基本計画は、4年前のものとほとんど変わっていない。議論の段階で2050年の姿を検討したことや、再生可能エネルギーの経済的自立を強く求めた点以外は評価のしようもないのだが、一つくみ取るとすれば「リスクのないエネルギーはない」ということだろう。
原子力は言うまでもなく、事故のリスクや放射性廃棄物処分の問題がある。化石燃料にはオイルショックのような地政学リスクに加え、温暖化・大気汚染の懸念がある。原子力発電所が稼働していない状況では、化石燃料の調達交渉で足元を見られることも事実だ。
再生可能エネルギーも例外ではない。今冬、東京電力管内で太陽光パネルの上に雪が積もって数日間発電がほぼゼロという状態になったように、気象リスクがある。再生可能エネルギーの導入だけでなく、その調整役の火力発電の低炭素化を進めなければ思ったほど二酸化炭素削減が進まないことはドイツの事例からも学ぶべきだ。
結局、日本には捨てられる選択肢はない、というのが今回の素案の唯一のメッセージであろう。しかし、「捨てない」というぼんやりとした状況では動けないのが原子力である。
五里霧中のままの原子力事業
原子力は核不拡散や日米原子力協定といった国際的責任、安全規制の確実な実施、施設立地地域への誠実な対処を含めて国の強い関与が求められる技術である。単なる発電技術を超えた存在なので、福島第1原発事故以前は原子力政策大綱を定め、それを受けてエネルギー基本計画を策定していた。しかし震災後、大綱の策定がなくなり、エネルギー基本計画の中でまとめて扱うこととなった。
核燃料サイクルや廃棄物処分の課題、プルトニウムバランスの問題、技術開発投資の在り方など、原子力に関する多様な議論は、エネルギー政策の枠内で議論できるレベルを超えている。原子力政策全般の見直しが迫られる今こそ、専門家による密度の濃い議論を土台とした政府としてのビジョンを策定すべきではないだろうか。今回、計画における原子力の記述の薄さが改めてこの課題を浮かび上がらせたように思う。
国としてのビジョンがない今、わが国の原子力事業は3つの不安定性に晒されている。1つは政治や世論のサポートがないことだ。安全規制をクリアしたとしても地方自治体の長の承認を得るまでに長い時間を要する上、首長選挙になれば、それまで積み上げてきた理解活動はやり直しになる。
2つ目は制度の不安定性だ。これは自由化を進めたことと、核燃料サイクル政策の行き詰まりの2つを含む。市場原理の下では、事業者は短期的な利益回収を目指す。原子力は莫大な初期投資を長い時間かけて回収していくものであり、自由化とはそりが合わない。自由化した上で、国にとって原子力が必要だと判断した米英は原子力事業の環境整備を講じているが、わが国では手つかずだ。
3つ目は規制や訴訟によるものである。審査期間の長期化や頻発する訴訟で、原子力発電の単価に大きな影響を与える稼働率が読めなくなっている。安全対策投資をして再稼働を進めるべきかの判断にも苦しみ、新設や建て替えを考える余裕など皆無というのが電力会社の偽らざる気持ちであろう。
政府の責任ある意思決定が必要
政府はまず、原子力政策大綱のような形でしっかりとビジョンを示し、プログラム法などで各課題解決に向けた道筋を定めるべきだ。当然、事業者も情報開示や安全性向上などの自主的な取り組みを強化することが必要であろう。
前回のエネルギー基本計画策定から、政府が原子力の課題に本腰を入れて取り組んできたとはとても思えない。意思と覚悟を持ち脱原発の道を進むのであればよいが、責任ある意思決定を欠いた脱原発への漂流は、徒に国民負担を増大させる最も避けるべき道だ。選択肢として「捨てない」ことと「生かす」ことは同義ではない。今こそ政府の本気度が試される。