排出量取引と炭素税

炭素価格は“魔法の杖”ではない


日本エネルギー経済研究所 石油情報センター

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(「月刊ビジネスアイ エネコ」2017年8月号からの転載)

はじめに

 環境省は、国内の温室効果ガス排出量を2050年までに80%削減という長期目標を達成するには、「カーボンプライシング」(炭素価格付け)の導入が必要不可欠として、学識経験者からなる「カーボンプライシングのあり方に関する検討会」を6月2日に開催し、検討を始めた。第1回検討会では、委員からきめ細かい議論を求める意見もあったが、環境省は炭素価格が低炭素化の“切り札”として、導入ありきで議論を進めている印象があった。
 しかし、一般に、化石燃料の消費に対する価格弾力性(価格の変動によって、製品の需要や供給が変化する度合い)は極めて低く、炭素価格による排出削減の効果はほとんど期待できない。カーボンプライシングの導入により温室効果ガス排出削減を実現するには、極めて高水準の炭素価格を設定する必要があり、産業活動や国民生活を破壊してしまいかねない。
 本稿では、新時代の石油産業に大きな影響を及ぼすカーボンプライスの考え方を紹介し、その効果や影響について、需要の価格弾力性や伝統的租税論などの観点から検討したい。

炭素価格の考え方

 カーボンプライシングとは、炭素排出分を炭素税や排出権価格の形で化石燃料の価格に上乗せすることである。化石燃料の価格を引き上げることで、化石燃料の消費抑制を狙う。
 これを経済学的に説明すると、次のようになる。人類の近代社会・経済活動は、化石燃料を消費することで豊かになってきたが、温室効果ガス排出というデメリット(環境コスト)は外部化され、誰も責任を取らない構図になっていた。こうした状況を変えるため、排出される温室効果ガスに価格を付け、環境コストを内部化することにより、排出抑制を狙うものである。地球温暖化対策の経済的手法の1つといえる。
 炭素価格をあらかじめ設定する仕組みが「炭素税」、許容排出量をあらかじめ設定する仕組みが「排出権取引」である。
 確かに、地球温暖化の原因となる炭素排出を費用化し、削減を図ろうとする発想はあり得る。また、環境税であれば、その税収を温暖化対策や福祉、社会保障などに活用することが可能であるし、排出権取引であれば、確実に一定の排出水準に抑制することが可能になる。化石燃料の需要家・消費者にしてみれば、炭素価格の上乗せによって、より一層エネルギーの効率的な消費に努めるだろう。また、エネルギー機器の更新の際には、炭素排出の少ないエネルギーへの転換が進むかも知れない。
 ただ、この考え方は、化石燃料が需要に対して十分な価格弾力性を有する場合には有効だが、価格弾力性が低い場合は有効ではない。一般に、化石燃料は消費の価格弾力性が低い。2007年度のエネルギー白書によれば、石油需要の価格弾性値は、先進国の場合、短期で▲0.05、長期で▲0.36~▲0.64としている。また、日本エネルギー経済研究所編「エネルギー経済データの読み方入門」では、わが国の燃料需要の価格弾性値(長期)は▲0.079(1971~2014年データ)としている。弾性値が▲0.05の場合、価格が100%上昇(倍増)しても需要は5%しか減らない。これは、石油製品について、省エネが相当程度進んだこと、生活必需品であることが多く、代替財が限られることによるものと思われる。
 前述の検討会などでは、炭素価格による需要抑制を説明する際に図1(左)を用い、炭素価格を導入すると、需要はqからq’へと抑制されるとしている。しかし、現実の燃料消費の需要曲線は図1(右)のような感じでほぼ垂直に立っており、需要抑制の効果はほとんどない。

図1 カーボンプライシングと価格弾力性の考え方図1 カーボンプライシングと価格弾力性の考え方[拡大画像表示]

揮発油税が高い理由

 燃料需要の価格弾力性の低さは、石油税制の考え方からみても明らかである。
 税制は「中立性の原則」から、家計や企業の経済活動における選択をゆがめるべきではないとされる。そのため、個別物資に消費課税する場合、その税率はその物資の需要の価格弾力性に反比例するように決定されるべきであるとする考え方(ラムゼイ・ルール)がある。
 需要に対する価格弾力性が低い石油製品は、税率が一定程度高くても、需要への影響は軽微である(自由な経済活動の選択をゆがめることはない)。課税によって需要が大きく減り、税収が減る懸念が小さいため、石油製品は担税物資として適している。結果的に、石油製品への高率課税が合理化されることになる。単純に言えば、ガソリンなどは高率課税しても、需要も税収もが減らないから、重税をかけても構わない。
 これは、炭素価値を導入すれば燃料需要が減り、温室効果ガス排出量も減るという炭素価格の考え方とは、相入れない。
 近年、ハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)に乗る人が増え、燃料電池自動車(FCV)も登場した。こうした動きはガソリンの消費量を減らすことになるが、現時点では補助金や消費者の環境意識があって初めて商業ベースに乗る。航続距離や給油所などのエネルギー・インフラの問題もある。
 そうしたエコカーとガソリン車の差を埋めるものとして、環境省は、炭素価格の導入を想定しているようだが、その場合の炭素価格は極めて高額になることは間違いない。生活の足を自動車に依存せざるを得ない地方山間部の高齢者世帯も、その負担を公平に強いるのだろうか。そもそも化石燃料起源の電気や水素で走るのでは意味がない。バッテリーや水素製造・輸送の技術開発などによるコストダウンが先決だろう。
 技術的に可能なことと、経済的に可能なことは違う。革新的な技術も経済性が確保されて初めて、それに対応した政策や制度が導入できる。制度さえ導入すれば、イノベーションは起きるというのは、かなり乱暴な議論である。
 また、ガソリン車の減少が進めば、揮発油税の減収要因になることから、財務省は税収を確保するため、エコカーに対しても現行の揮発油税並みの本格的課税を検討するだろう。