仕切り直しの高レベル放射性廃棄物の最終処分場選び
三好 範英
ジャーナリスト
「シュピーゲル」誌の最新号(2017年6月17日号)に、久しぶりにドイツにおける高レベル放射性廃棄物の最終処分場選びの話が載っていた。テーマは「随伴委員会」(ドイツ語ではBegleitgremium)の委員に選ばれた、3人の民間人について。彼らが選考された過程や今後果たす役割について報じている。「随伴委員会」とはこなれない訳だが、全部で9人からなり、最終処分場選定過程に「随伴」し、普通の市民代表として助言などを行うという。
2017年3月31日、「最終処分場立地選定法」の改正法案が連邦参議院(上院)で可決され、2031年までを目途に、最終処分場選びはいよいよ実施段階に入った。
ドイツの最終処分場建設は、迷走を繰り返してきた。東西ドイツの国境近くに位置していたニーダーザクセン州ゴアレーベン村が最終処分場の候補地に決まったのが1977年。1986年から地下探査が始まった。しかし、中間貯蔵施設、最終処分場は反原発運動の標的となり、使用済み燃料やフランス、英国から返還された再処理済みの核廃棄物が到着するたびに、大規模な抗議活動が展開された。
2000年に原発廃棄方針を掲げたシュレーダー政権が調査の暫時停止を決定した。2010年10月にメルケル政権が調査を再開したが、「選定法」の検討が始まったため、2012年11月に再び停止した。
私が特派員としてドイツに駐在していた間も、しばしばゴアレーベン問題はメディアに取り上げられた。核廃棄物を納めたキャスク搬入に対する激しい反対運動は言うまでもなく、調査坑から可燃性の炭化水素(石油)が発見された、ゴアレーベンの選定は政治的考慮が優先された不透明なものだった、等々。こうした報道がされるたびに、最終処分地問題は混迷を深めていったとの印象が強い。もつれにもつれた問題を断ち切るためには、いったん白紙状態に戻し、住民の同意を得る制度を再構築する仕切り直しが必要だったのだろう。
シュピーゲル誌によると、「選定法」の基本方針は、第1に、ゴアレーベンを最終処分場にするとの前提を白紙撤回し、ドイツ全土から最適地を選ぶこと。第2に上から押しつけられたという印象を避けるために、当初から市民を参加させること、である。「随伴委員会」の設置もそれを保証するための制度である。「選定法」からは、迷走の轍を踏むまい、との意思が伝わってくる。
私は2011年6月16日、ドイツ外国プレス協会が組織した取材ツアーに参加し、「ゴアレーベン調査坑」を取材した。ゴアレーベンの建設、調査を行っていた連邦放射線防護庁のウォルフラム・ケーニヒ長官が先頭に立って案内、説明をした。
地上施設から乗り込むエレベーターの深さは840m。毎秒10mの速度で降下し、地下にある施設に降りるまでに約1分半かかった。岩塩層は地下250mから3400mにかけて、14km×4km四方に広がる。その分厚い岩塩層をくりぬいてつくった坑道が縦横に伸びていた。掘削作業は穴を開けて爆発物をしかけ、1回で10m掘り進む。坑道を延長しつつ、地質や地下水の状況の調査を進める。その時点で掘削された坑道は全長7kmに達していた。
ケーニヒも、炭化水素が漏れ出していることを問題点として指摘した。純白の岩塩の壁に一部黒ずんだ箇所があり、ケーニヒはへらで掻き取り記者の鼻先に示しながら、「石油のような匂いがするでしょう。炭化水素は可燃性で安全技術上、考慮の対象となる。ゴアレーベンの適格性を判断する上で重要な要素の一つ」と説明した。
ゴアレーベンの建設、調査には16億ユーロ(約2016億円)の巨費が投じられて、調査を停止した後も管理費だけで年2200万ユーロ(約28億円)かかっている。調査坑を実際に視察した人間としては、この巨大施設の建設、調査に費やした費用と年月が無駄となるかもしれない、と思うとため息が出る。
「選定法」は、新たに発足した「最終処分のための連邦会社」(BGE)が数年間で三つの候補地を選定し、その後は最終処分場を運営することを定めている。新たな候補地選定のための費用は全部で20億ユーロと見積もられている。
新たな候補地からも反対運動が起きることは避けられないだろうし、冒頭述べた「随伴委員会」の具体的な権限も今後の検討課題で、すでに「(透明性を装う)みせかけに過ぎない」といった批判も上がっている。今後も気の遠くなるようなプロセスが予想されるが、もちろん我々日本人がとやかく言う問題ではない。ただ、同じ問題に直面する日本にとっても参考になる点は多いだろう。