長期低排出発展戦略の争点(その2)

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5 カーボンプライシングの生産性向上効果

(1)ビジョンと報告書の比較

 カーボンプライシングの経済成長への寄与をいう三段論法は、地球温暖化対策と経済成長の「同時解決」の願望を素直にモデル化したものである。
 環境省ビジョンでは、横軸に各国の炭素税、排出量取引制度、エネルギー課税を合計した「平均実効炭素価格」、縦軸にGDP当たりのCO2排出量の逆数である「炭素生産性」をとったグラフ【図2】で右上がりの散布が得られることから、「実効炭素価格が高い国は炭素生産性が高」い注21)とする。

図2
【図2】炭素生産性と平均実効炭素価格の関係(2012)
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 そして次に、横軸に各国の労働生産性、縦軸に「炭素生産性」をとったグラフ【図3】において同じく右上がりの散布が得られることから、「労働生産性が高い国は、炭素生産性が高い傾向にあり、強くはないが正の相関が既に確認されつつある」注22)とする。

図3
【図3】労働生産性と炭素生産性の関係(2014年)
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 これが真実であれば、高いカーボンプライスは高い「炭素生産性」を経て高い労働生産性に帰結し、よって地球温暖化対策としてのカーボンプライスが経済成長にも寄与するという、環境と経済の「同時解決」が実現することになる。
 これに対し経産省報告書(補論)では、1990年代前半の北欧における炭素税の導入や2005年のEU-ETSの導入の影響といった、カーボンプライシング施策の導入前後の比較により「炭素生産性」に有意な改善が見られないことをもって、環境省の分析を「疑似相関注23)」と断じている。そして高いカーボンプライシングが高い「炭素生産性」の誘因となったのではなく、因果関係は逆であると結論づける注24)。一般的に高所得国では物価が高いのと同じで、「炭素生産性」が高い国だからこそ、結果的に高いカーボンプライスになっているということである。

図4
【図4】明示的カーボンプライシングによる「炭素生産性」の改善率
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(2)三段論法の誤り

a) カーボンプライシングと「炭素生産性」の関係
 ここでは簡単な数式で環境省ビジョンの分析の問題点を示す。まず、最初の【図2】の横軸X、縦軸Yは次のように表される。

X=エネルギー税収等注25)/CO2排出量・・・①
Y=GDP/CO2排出量・・・②
 上式①と②には「CO2排出量」が共通に使われるから、これを整理して、
Y=(GDP/エネルギー税収等)X・・・③ が得られる。

 ここで、上式③中のGDP及びエネルギー税収等は正値だから、Xの係数(GDP/エネルギー税収等)も正値である。したがって、散布図は右上がりの形状になるはずである。
 この③式は、Xが同一のもとで、GDPに対するエネルギー税収等の割合によりYが異なることを示す。すなわち、GDPに対しエネルギー税収等が少ない国は係数が大きくなるから、回帰直線の上方に位置することになる。逆に、多い国は下方になる。
 ちなみに①式のCO2排出量当たりのエネルギー税収等が少ない国はXの係数が大きいであろう。CO2排出量当たりのエネルギー税収等の多い国はこの割合が逆だろう。したがって散布図の回帰直線の形状はフラットになって原点を通らず、Y切片は正値だろう。実際の推計でもそうである。
 上式①と②の「CO2排出量」のように、X軸とY軸に共通の因子がある場合は、散布が一定の傾向を示すものであり、これを「疑似相関」という。これではカーボンプライシングの「炭素生産性」への効果を説明したことにならない。

b) 「炭素生産性」と労働生産性の関係
GDPが大きいために、これを総労働時間で割った労働生産性が高い国は、同時にCO2排出量で割った「炭素生産性」も高いということは、直観的にも理解しやすいだろう。したがって、横軸に各国の労働生産性、縦軸に「炭素生産性」をとった【図3】もまた無意味な分析である。横軸X、縦軸Yは次のように表される。

X=GDP/総労働時間・・・④
Y=GDP/CO2排出量・・・⑤(②と同じ。)
 上式④と⑤には「GDP」が共通に使われるから、これを整理して、
Y=(総労働時間/CO2排出量)X・・・⑥ が得られる。

 ここで、上式⑥中の総労働時間及びCO2排出量は正値だから、Xの係数(総労働時間/CO2排出量)も正値であり、散布図は右上がりの形状になる。これはX軸とY軸に共通因子として「GDP」をもつ、典型的な疑似相関である。これでカーボンプライシングの正当化を企てるとは、とんだ子供だましである。

(3)地球温暖化対策は本来の目的と効果で評価すればよい

 政府がこの程度の根拠から特定の政策の導入を主張するのは驚くべきことである。このようなことをするのは、カーボンプライシング導入の是非をめぐる議論から具体的な制度のあり方についての議論に移るために、無理矢理にでも効果を言い立てたいからだろう。「科学の要請」が「疑似科学」に陥るようでは逆効果である。
 カーボンプライシングは、企業や家庭のCO2排出コストを人為的に加重することにより、それぞれの創意工夫を引き出して排出削減行動を促すという、地球温暖化対策のためのまっとうな経済的手法である。それ以上のものでもそれ以下でもない。これが経済成長に寄与するかどうかアプリオリに言えないが、寄与しないからといって本来の地球温暖化対策としての意味がないとは言えない。薬には程度の差はあれ副作用があるものだ。メリットとデメリットを正直に語るべきである。

6 おわりに

 トランプ大統領は選挙期間において、パリ協定をキャンセルし、少なくとも再交渉することを公約している。世界第二の排出量(13.6%)を持つアメリカが本当にパリ協定から脱退することになれば「全ての主要国が参加する公平かつ実効性ある国際枠組みの下」で取り組むという、閣議決定の前提条件が早くも崩壊することになる。長期戦略の検討どころか、2050年80%削減の長期目標すら見直しを免れないだろう。
 もっとも、脱退が法的効力を持つのは最速で2020年11月である。その直前には次期大統領選もある。それまでの間、我が国としては脱退に至った事情を聴いた上で誤解があれば解き、問題点の指摘があれば是々非々で検討しつつ、名誉ある復帰に向けた環境づくりに他国と連携して取り組むべきである。非難に軽率に唱和し、孤立を深めさせることは誰の利益にもならない。
 アメリカがパリ協定に留まり、我が国として長期戦略の検討に着手するのであれば、我が国温室効果ガス排出の9割を占めるエネルギー起源CO2をどのように抑制していくかが鍵である。しかし、環境省ビジョンと経産省報告書のどちらも原子力発電所の新増設、化石燃料からの撤退など、長期のエネルギー政策の核となる方向性には踏み込んでいない。環境省ビジョンは非化石電源の比率を9割と見込むが、具体的な電源構成比率まで示すものではない。
 今年はエネルギー基本計画の見直し年に当たる。そこで、まずはエネルギー政策の見直しを行った上で、これと矛盾しない内容で長期戦略を検討すべきだろう。検討に当たっては、立場の異なる意見を踏まえて、様々な関係者の意見を聴きながら、丁寧に議論を積み重ねていく必要がある。

注21)
環境省ビジョン65ページ。【図2】は参考資料集149ページ左図と同じ。
注22)
環境省ビジョン35ページ。【図3】は同ページの図11と同じ。
注23)
経産省報告書72ページ。【図4】は同74ページ図補5と同じ。
注24)
経産省報告書78ページ。
注25)
炭素税や排出量取引がない国はあるが、エネルギー税はすべての国にあるので、炭素税、排出量取引制度、エネルギー課税の合計を「エネルギー税収等」とした。