パリ協定の批准と1.5℃シナリオ(その2)


中部交通研究所 主席研究員

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※ パリ協定の批准と1.5℃シナリオ(その1)

3.3 1.5℃上昇の影響

 1.5℃シナリオの研究例が少ないのと同様に、1.5℃気温上昇による生態系への影響の研究例も多くはない。また、現状からの気温上昇が小さくなる分、影響評価の不確実性が高まるので、以下に紹介する例は、あくまでも例で、数値の信頼度は低いことをご理解いただきたい。また、将来の気温上昇は、地球上で均等に生じるのでなく、極域でより顕著で、地域差も含めた影響評価は非常に複雑な作業である。
 以下にSchleussnerら[12]の研究結果を示す。1.5℃シナリオ(1.5DS)と2℃シナリオ(2DS)との差は顕著で、確かに1.5℃シナリオの方が生態系への影響が小さいのは明確であるが、そもそも2℃シナリオ下での影響がどの程度危険なレベルであるか、それはすでに不可逆な影響の範囲に入っているかなど明確ではない。2℃シナリオから1.5℃シナリオへ移行することで、経済的な負担は指数関数的に上昇する訳で、それだけの経済的メリットがあるかの評価が重要である。

図

3.4 運輸部門での1.5℃シナリオ

  SLoCaTは彼らが独自に分析した運輸部門の1.5℃シナリオを発表している[8]。彼らの2℃シナリオをIEAのシナリオと比較すると、全体により楽観的で2050年での削減率も高くなっている。図4の2050年での2010年比の削減率は、2℃シナリオでは39%減に対して1.5℃シナリオでは66%と大幅削減になっている。また、2010年以降の削減カーブを比較すると1.5℃シナリオは2℃シナリオより約15年ほど前倒しで削減する必要性を示しており、Rogeljらが世界全体での削減パスの分析で示した10-20年とほぼ同程度の数値になっている。

図4

図

 運輸部門での1.5℃シナリオの詳細を、Rogeljら[13]が示しており、参考までに図5に示す。特に、2DS (>66%)と1.5DSを比較すると、電気使用量は差がなく、乗用車部門での電気自動車の導入に関しても、特に大きな差はないと考えられる。さらに、電力部門での低炭素比率(再生可能エネの導入比率の目安)は、すでにかなり高い比率であり、1.5DSでもやや高くなる程度で大差はなく、EV導入によるCO2削減は、運輸全体のCO2削減にあまり寄与していない。2DSに比較し1.5DSでのCO2排出量は約40%低いが、図5に示すバイオ燃料の差だけでは説明できない。この差を埋めるのは、やはり、効率改善であり、常に強調される車両効率の改善は1.5DSにおいても重要な削減手段である。

4.さいごに

 パリ協定が批准されることになり、世界の注目は、各国、特に排出量の多い国の今後の具体的なGHG削減行動の実態であろう。ところが、すでにUNEPのGAP報告書に代表されるように、各国がこれまでに提出した削減行動案であるINDCの総合的評価の結果では、2℃シナリオとのかい離は明瞭で、パリ協定に記載された1.5℃という目標は、達成不可能な理想像に近い状態である。それなのに、世界的な温暖化問題の議論の場では、なぜか1.5℃シナリオが注目を集めている。

 1.5℃シナリオに関しては、科学的な評価が未だ不十分で、昨年のCOP21で、IPCCに対して、1.5℃シナリオに関する特別報告書の作成を依頼したことは、当然の流れである。この報告書に関するIPCCの活動はすでに開始されており[14]、報告書のタイトルや中味(章立て)を議論する会合が開催され、報告書は2018年9月に発行予定である。ただ、この報告書の中身が、1.5℃シナリオの排出パスや必要とされる技術、さらには1.5℃上昇による影響評価の単なる紹介で終わっては、本当の役割を果たすことにはならない。奇しくも、IPCCの特別報告書作成の予備会合でLee議長が強調した「feasibility(実現可能性)」は、重要なキーワードである。2℃シナリオでさえ、特に日本国内では、その実現可能性がかなり議論されてきた。さらに、上でも議論した不確実性があり、政策決定者にとっては、どう政策を立案していけばいいか、非常に難しい時期にきている。IPCCの特別報告書では、このような不確実な状況下での政策決定に関しての議論にも触れるような内容になれば、今後の世界の温暖化問題交渉の場への非常に有用な情報になりうるだろう。
 IPCCとしては、第6次報告書(AR6)の作成もすでに決まっており、2021年発行を目指して、来年から活動を開始する。上で議論したいくつかの不確実性に関して、AR6では、幅を狭める方向で分析が進められると思われる。例えば、気候感度に関しては、AR5で下限値が引き下げられたが、この修正の原因である過去の観測値を用いて評価するエネルギー収支法に問題があるとする指摘がいくつかあり、AR6では、また、下限値が引き上げられて、幅が狭まる可能性が高い。さらに、気候モデル間での差の原因の研究も進んでおり、雲の扱いやいくつかのパラメータの設定、窒素循環の取り扱いなどの影響が明らかにされ、モデル間の差の減少に寄与することが期待される[15]。

図6、図7

 これまで、温暖化対策は、主にGHG排出削減を主体とした温暖化緩和策に集中してきた。しかし、すでにAR5でも指摘されているように適応策は今後その重要性を増す。特に、交渉の場では1.5℃シナリオが議論される状況下でも現実の排出は、おそらく4℃シナリオ周辺をここ10年ほど、推移することとなり、現在日本国内だけでなく、世界各地で多発している異常気象への対応は重要な政策になるだろう。その時に、今後の温暖化で、異常気象の発生がどの程度増えるかの分析が必要となるが、文科省の創生プログラム[15]で、過去の観測データを基に現在気候下での気候の再現と、将来の温暖化状況下での気候を、非常に多くの(最大100)アンサンブルで実験し、そのデータを公開している。図6に示すようにメンバ数を増やすと、日降水量の年最大値の分布が非常にきれいな形の分布を示すようになり、分布すそ野を利用した発生頻度の議論が可能になる。図7に示すのは、東京湾での高潮の再現年数の比較であるが、1949年に関東地方をおそったキティ台風による最大潮位1.4mは、現在気候下では150年に1回程度の非常に稀な現象であるが、4℃気温上昇した状況下では、50年に1回程度の頻度で発生する。このような情報を基に将来の防潮堤や、集中豪雨の場合なら、河川の堤防の設計値をどう設定するかの議論が可能になる。このような発生頻度の低い異常気象の定量的議論は今後非常に重要になると思われる。

<参考文献>

1.
UNFCCC-HP: The Paris Agreement; http://unfccc.int/paris_agreement/items/9485.php
2.
Paris Agreement – Status of Ratification; http://unfccc.int/paris_agreement/items/9444.php
3.
RITE(2016) 1.5℃目標に関する分析・評価: 
http://www.rite.or.jp/system/global-warming-ouyou/download-data/Analyses_15target.pdf
4.
M. Schaeffer et al.(2008), PNAS, 105(52), 20621-20626
5.
J. Rogelj et al.(2016), Nature, 534, 631-639
6.
J. Rogelj et al.(2015), Environ. Res. Lett., 10, 105007
7.
SEI(Stockholm Environment Institute)Discussion Brief (2013); The Three Salient Global Mitigation Pathways Assessed in Light of the IPCC Carbon Budgets
8.
SLoCaT(Partnership on Sustainable, Low Carbon Transport):
http://ppmc-cop21.org/wp-content/uploads/2015/12/COP21-Final-Premiminary-Report-SLoCaT.pdf
9.
CAT(Climate Action Tracker) Briefings (2015); How close are INDCs to 2 and 1.5 °C pathways?
10.
UNEP(2015); The Emissions Gap Report 2015
11.
IPCC-WG1 第5次報告書(2013)
12.
C.-F. Schleussner et al.(2016), Earth Syst. Dynam., 7, 327-351
13.
J. Rogelj et al.(2015), Nature Climate Change, 5, 519-538
14.
IPCC-HP: http://www.ipcc.ch/news_and_events/pdf/press/161020_P44_PR.pdf
15.
気候変動リスク情報創生プログラム: http://www.jamstec.go.jp/sousei/index.html

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