COP21・パリ会議で、議長国フランスの柔軟な姿勢は活かされるか
桝本 晃章
国際環境経済研究所主席研究員、(一財)日本原子力文化財団 理事長
先月、「COP21に向けて」と題する第四回欧州エネルギー・フォーラムが開催され、招かれて参加した。欧州以外の地域の人達の意見も聞きたいと言う主旨で声がかかったものだ。会議では、率直な意見交換があり、興味深いものであった。印象深かった点を数回に分けて紹介したい。
<EUの公式見解とフランスの現実主義>
EUからは、EC気候変動政策担当官:Elina Bardram女史が参加し、公式見解を述べた。
女史は、EUのエネルギー環境と気候変動国際枠組みに関する政策を説明したのだが、“法的拘束力:Legally Binding”と“2℃以下(気温上昇を産業革命以前に比べ“2℃以下に”抑える)に!”がキーワードであり、これを堅持しようとする姿勢が際立つものだった。既に、IEEIのWebsiteで、有馬 純研究員が「英国で考えるエネルギー環境問題:欧州のエネルギー環境政策を巡る風景感-パリCOPに向けたEU提案-」で紹介しているところだが、今年2月に発表されたビジョン「パリ議定書」:Paris Protocol提案についても触れていた。
一方、フランスからは、政府気候変動交渉チーム責任者:Paul Watkinson氏がスピーチをした。同氏のスピーチは、EUの公式見解に触れつつも、COP21に臨むに当たって、議長国として次期国際枠組みを何とかまとめようとする柔軟な構えも覗かせるものであった。ちなみに、同氏は、“コペンハーゲンの失敗を繰り返さない”と言い、注目を集めた。さらに、同氏は、会議後のメデイア・インタビューで、“法的な協定は欠かせない。一方、私達は、現実的で、的確に機能し、有効、かつ、長期を予見できる何らかの道を見つけなければいけない”と発言している。なお、もうひとつ印象深かったのは、フランス産業界が、政府交渉責任者を前に、“Pragmatic Stance”を取るようにと繰り返し言っていた点だ。
<25年も経過している現在でもEUやロシアの基準年は、1990年>
また、Elina Bardram女史は、EUは既に、INDC(Intended Nationally Determined Contribution:各国が自主的に決定する気候変動に対する約束草案)を国連に提出済みだとし、その要点を説明した。そのポイントは、温暖化ガス排出削減目標を1990年比で、2030年:少なくとも▲40%というものである。米国が約束草案(2025年:▲26~28%)で、2005年を基準年としているのと比較して考えると、欧州やロシア(ちなみに、ロシアは、2030年:1990年比▲30%と提出)が、京都議定書第二約束期間だからということもあるのだろうが、2015年のこの年に、25年前の1990年を基準年としていること自体が際立つと言わざるを得ない。意地悪く言えば、1990年は、EUやロシアにとって極めて都合の良い年なのだ。少し検証してみよう。(なお、この基準年問題については、竹内純子研究員が至近の論考で触れている)
何といっても、1990年は、ソ連崩壊の前年、東西ドイツ統一の年であった。エネルギーと気候変動問題に関係して言えば、石炭を大量に消費し温暖化ガスを大量に排出していた旧ソ連時代の最後の年なのである。BP統計で、エネルギー起源CO2の排出量を見てみると、ドイツの1990年(京都議定書での基準年)・排出量は、10.3億トンだったのだが、2013年のそれは、8.4億トンに減少している。ロシアはといえば、1990年:23.5億トン、2013年:17.1億トンとなっている。(数値は、両国ともにその後の変化に合わせて、統計的に調整・整合されている)
大切なことは、EUやロシアが自分達に有利であるが故に、1990年を基準年とし使っているということである。気候変動問題においては、削減目標設定において、基準年を考える段階から、関係国の利害が反映されているのだ。1997年京都では、1990年が京都議定書における一応の共通の基準年とされた。それは、既によく言われる通り、それまで省エネルギーを徹底して実現してきた日本が前述のような国々と一緒にされ、温暖化ガス排出削減競争で同じスタート・ラインに立ってしまった瞬間でもあったのだ。