核燃料サイクル政策のあり方についての提言(第6回)
印刷用ページ前回(第5回)では、六ヶ所再処理、もんじゅ両プロジェクトとも本格的運転状態に入れば、想定を超えるリスク発生も予想されることからその対応方策が問われることになる。国はこの重責を果たすために必要な組織力強化を保証する措置を講ずることを提言した。今回は両プロジェクトを含め、わが国の核燃料サイクル開発には一貫した政策不在のまま今日に到っている事情を顧みて、あらためて日本独自の開発体制構築を図る必要性を提言する。
現在の核燃料サイクル技術開発には政策面で一貫した目標がない
原子力発電と核燃料サイクルの技術開発は本来一貫した政策的誘導により推進すべきものである。開発成果は国の資産であり、資産価値を如何に高めるかの目標設定は国の意志如何による。現状では、核燃料サイクル開発は再処理と高速炉の2分野に完全に分割されている。本来的には両分野の開発工程は、時間軸による整合性が図られつつ進められるべきであるが、六ヶ所再処理、もんじゅともそれぞれ別の理由により大幅な工程遅延を生じており、時間軸による整合性の調整が図られることもなく、各々の開発ラインの統一意識は完全に分離してしまった。
核燃料サイクル開発にあっては、研究開発段階から実用化段階へのプロセスにおける技術統轄・責任主体は誰なのか?という質問に対する解答は「ない」というに等しい状態にある。主体は原子力委員会にあるべきと言うのは自然な発想であるが、同委員会自体「主体的責任を持つに足る権限は一切与えられていない」という逃げ腰姿勢にあった。
サイクル開発の目標はあくまでもSNFの安定した処分(将来的には高速炉増殖機能も)の実用化という単一目標である。核燃料サイクル技術は国の資産である以上、国、研究機関、電力、プラントメーカーが一体となって統一した目標成果の達成を図るべきであるが、実態は各機関の動きはバラバラで意思統一の動きはない。肝心なことは、一貫した政策遂行のプロセスの中での各機関の役割分担を合理的に決めることであるが、わが国の場合、開発行為の当初から不明確であったといわざるを得ない。まさに「樹を見て森を見ず」の譬えそのままの状態になってしまった。開発体制全体が「森」であるが、わが国の原子力開発はその本質を見極めることなくスタートしてしまったわけである。特に核燃料サイクル開発では再処理と高速炉いう「樹」が注目され、現在でも独走状態にある。「森」の整備不十分な状態では「樹」自体の成長も期待された成果が得られず、議論は横路にずれるばかりである。これが現在の核燃料サイクル開発混迷状態そのものである。
欧米原子力先進国の場合は、軍事目的から平和利用への開発体制の転換に伴い、安全・技術・財政のあらゆる面で軍事側が平和利用基盤を支えるという特色がある。サイクル開発面でも、技術開発、社会環境などあらゆる面で戦略性・柔軟性をもって対応できる余裕のあることが窺われる。その意味でこれらの諸国は政策遂行の一貫性を維持しやすい国情にあるといえる。日本は柔軟性を期待する余地は殆どない。加えて関係する諸機関の間の立場の違い(例えば電気事業者とJAEAなど)、縦割り行政の弊害など統一した行動に対する支障要因が存在する。これらの状況をふまえ、先ずは支障となる要因を清算し、改めて一貫性を確保できる日本独自の体制の再構築を図る必要がある。
{提言}
わが国核燃料のサイクル開発は、六ヶ所再処理ともんじゅ(高速炉)の2分野に完全に分割された形で進んでいる。本来は再処理・MOX開発路線と高速炉サイクル開発路線は、2つの大きな流れの時間軸整合を図りながら進展させるべきであるが、現実は両開発ラインの統一意識は当初からなかったといわざるを得ない。研究段階から実用化段階への過程における技術統轄責任者は不在同然である。肝心なことは、一貫した政策遂行のプロセスの中での各機関の役割分担を合理的に決めることである。本来ならば原子力委員会がその責任を担うべきであるが、事実上その役割は付与されなかった。欧米原子力先進国の場合は、軍事面が平和利用基盤を支えているという点で、戦略性・柔軟性の余裕を持っているが、日本はその余地が殆どない。国は政策としてサイクル開発に一貫性を確保できる日本独自の戦略性・柔軟性を備えた体制構築を図る必要がある。