書評:「朝日新聞 日本型組織の崩壊(文春新書)」

-吉田調書スクープ・ブーメランの皮肉-


国際環境経済研究所前所長

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 これは、朝日新聞記者有志(複数)が、書いた内部告発本である。
 朝日新聞が広く批判を浴びることになった三つの問題、すなわち、「慰安婦」誤報、「吉田調書」誤報、池上コラム掲載拒否事件について、これら問題の背景にある社内事情を、彼らの視点から説明している。

 私の関心は、このなかの吉田調書問題にあるので、他の点はここでは触れない。しかし、吉田調書問誤報問題の捉え方だけを見ても、問題の本質を社内政治構造や個人的野心によるものと捉えており、「朝日のみならず日本のメディアのあり方に一石を投じる」(9ページ)本としては大いに不満が残る。

 確かに、この著者たちは、「朝日危機の本質はイデオロギーではなく企業構造にある」(9ページ)ということを指摘したいと考えてこの本を書いたのだから、そういう結論になることは自然だろう。
 そうした視点に立って、「吉田調書」誤報については、スクープ狙いの演出に腐心する一方での裏取りの杜撰さ、そこまでしてスクープを世に出そうとする個人的野心や企業内組織間の主導権争い、記事掲載後に起こった批判(例えば門田隆将氏によるもの)への拙い対応に主にスポットを当てている。

 しかし、問題となった朝日新聞の吉田調書関連記事は、もっと大きな問題を抱えているのであり、それらを正面から捉えて論じない限り、よくある内情暴露本の域を出ないのだ。

 第一に、本書は、政府事故調が調書を作成した目的は、個々人の責任を問うことではなく、再発防止のための教訓を得ることにあったことを忘れている。その目的を達成するためには、当事者からの事情聴取は非公開が原則であるし、実際、吉田氏もその前提の下に聴取に応じている。今回のようなことが前例になれば、今後原子力災害に限らず不幸な事故が起こっても、当事者が協力を躊躇し、事故調査が実効性を失いかねないのだ。

 にもかかわらず、朝日新聞は、調書スクープの勢いに任せて政府に対して全調書公開のキャンペーンを張った(宮崎記者解説記事。本書95ページ)。しかし、調書が上記の性格を持つ以上、その公開は将来の事故調査の前提を破壊する危険性をもつ軽率な主張であると言わざるをえない。

 しかし、本書が調書の公開について触れているのが、次の文脈だけだ。すなわち、朝日新聞が吉田調書の公開を政府に要求したそのこと自体、自らの誤報(調書の一部を切り取った加工記事であること)がバレることにさえ思いが至らなかったスクープチームの程度の低さ加減を表している、というものである(95ページ)。

 さらに、公開されてみれば、新しい論点もなかったと言い、「『非公開の文書』とはいうものの、政府が非公開にしていた理由は、単に吉田所長自身が非公開を望んでいただけだった。内容も事実関係が精査されたものといえず、だからこそ、吉田所長も調書の非公開を望んでいたのだ。」(102〜103ページ)と続く。

 本書の調書の非公開性についての認識は、この程度なのである。これではスクープチームの意識程度の低さと五十歩百歩だ。自らの報道意識や姿勢についての深く鋭い反省もなく、社内のスクープチームに対する中傷でしかすぎない記述になっているのだ。

 第二に、この記事は、作業員が現場から逃亡したとは「断言」していない。(私自身、この記事を最初に読んだ際、ツイッターに「この調書の該当部分をどう読んでも、命令違反をしたというふうには解釈できない」旨投稿したところ、同感だという旨の反応が多くあった。その後の共同通信のより深い取材に基づいた連載で、その点が明らかになっている。)
 問題は、断言していないが、そう思わせるような印象操作をしているところにある。実は朝日新聞は、「結果的に誤った印象を与えた」としてこの記事を撤回したが、印象操作は認めていないのだ。

 しかし、このような印象操作と思える記述は、朝日新聞の長期連載「プロメテウスの罠」でも頻繁に見られる。例えば、低線量被ばくで健康被害が起こると「断言」はしていないが、そう思わせるような印象を読者に与えることを意図した記述だ。

 断言しないことで逃げ道を確保した上で、印象操作による世論誘導を行っているという姑息な方法ではないかと私には思える。朝日新聞はそれでも印象操作は認めないのだろうが、本当にそうだとしたら記者の日本語の読解・記述能力に問題があると思わざるを得ない。

 私は「吉田調書」誤報と「プロメテウスの罠」は同じ穴のむじなであり、風評被害などの影響を考えると後者の方が実は罪深いと思っている。吉田調書報道を検証するなら、「プロメテウスの罠」も検証するべきだろう。著者たちが否定する「イデオロギー」による記事偏向がないかどうか、この連載も対象とされなければ公平・公正さに欠ける。

 しかし、著者たちにそのような意識はうかがえない。むしろ、「プロメテウスの罠」は立派な業績と思っているとうかがえる箇所がある(85ページ)。ちなみに、一連の慰安婦報道を書いたとされる朝日の元記者が某月刊誌に寄稿した手記で展開している主張も、要は「私は強制連行があったと断言していない」だ。

 吉田調書報道をめぐっては、宇都宮健児氏、海渡雄一氏をはじめとする複数の弁護士が連名で、「外形的な事実関係は間違っていない」として、報道を擁護する申入書を朝日新聞に提出している。弁護士が擁護していることが象徴的だが、これらの記事が裁判沙汰になっても、朝日新聞は「断言」していないゆえに負けないのかもしれない。
 著者たちによると、一連の問題の原因は朝日の左翼的イデオロギーのせいではなく、官僚化した組織構造のせいとのことだ。組織の官僚化は日本の大企業の問題としてよく言われるもので、朝日の問題も普通の企業と同じだ、と言いたいのだろう。

 しかし、このような形で日本企業の一般的な問題に逃げ込むのはいかにも安易ではないか。吉田調書問題では、ジャーナリズムの基本姿勢や行動原理の本質が問われているのであって、それを組織の官僚化のせいだというなら、この程度の問題の捉え方しかできていない著者たちは、同社を去るか記者を辞めてマネジメント職に移った方がよい。その方が、朝日新聞の立て直しに真に意味で貢献できるからだ。

 「慰安婦」誤報は言うに及ばす、「吉田調書」誤報も韓国メディアをして日本版セウォル号事件と報じられるなど、一連の問題が引き起こした国際的な影響は大きい。国際的なアカウンタビリティも果たしながら、朝日新聞がこの難局を乗り切って、真にジャーナリズムの範となるためには、抜本的な改革が必要であることは明白である。

 東京電力は福島第一原子力発電所の事故で、国際的・国内的信用を失墜させた。その結果、原子力部門を中心に大改革を迫られ、世の中からの厳しい監視の目の中、それを曲がりなりにも実行に移しつつある。
 その監視の目を築くことに貢献した朝日新聞が、自ら同じ過ちを犯し、これまでにない窮地に立たされていることは皮肉なものだ。朝日新聞は果たして改革できるのだろうか。大改革には深い反省と新たな意識構築を必要とする中、本書の認識程度では「社の再生」は望めない。さらなる検証と総括、そして改革に向けての行動着手が必要である。

20150216_book

「朝日新聞 日本型組織の崩壊」 
著者:朝日新聞記者有志(出版社: 文藝春秋)
ISBN-10: 4166610155
ISBN-13: 978-4166610150