私的京都議定書始末記(最終回)

-エピローグ-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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日本は技術で貢献すべき

 そういう中で日本は今後の温暖化防止に対する国際的な取り組みの中でどういう役割を果たすべきか。私は温暖化防止のための国際的な取り組みは国連交渉に限定されないと考えている。

 世界経済フォーラムが作成する国際競争力指数によれば、日本の総合的な国際競争力は世界第9位だが、イノベーションの面では世界第5位だ。日本が温暖化防止の面で世界に貢献できるとすれば、間違いなく日本の持つ優れた技術力を通じたものであるはずだ。日本の最新鋭の石炭火力燃焼技術を米国、中国、インドの石炭火力発電所に普及すれば、13億トン、即ち日本の温室効果ガスの総量に相当する削減量が可能だ。日本の優れた環境エネルギー技術を海外に普及することにより、世界全体の温室効果ガス削減に大きく貢献することができる。現在、日本が進めている二国間クレジットはこうした考え方に立脚するものだ。

 また温暖化問題は長期の問題であり、いわゆる「ギガトンギャップ」を本当に埋めたいのであれば、ギガトンギャップを各国にどう配分するかという不毛な議論をする前に、長期の排出経路を非連続的に変えるような革新的技術開発を進めることが必要だ。CCS、バッテリー、次世代原子炉から究極的には宇宙太陽光や人口光合成といった革新的技術が必要になる。この面においても技術立国日本は大きな貢献ができるはずだ。そのための国際協力イニシアティブを提案するのも良いアイデアだろう。カンクンにおいて日本が提案した「エネルギー環境技術のためのダボス会議」は、革新的技術による温暖化問題解決を目指す取り組みといえよう。

 こうした技術に立脚したアプローチは、伝統的な環境主義者の間では必ずしも評判が良くない。「今やらねばならない排出削減を先延ばしするための方便」といった捉えられ方をしやすい。ブッシュ政権が革新的技術開発を主張したときも、国際環境ロビーからは冷たい反応しかなかった。しかしそのような議論を展開する人々の多くは、技術進歩による再生可能エネルギーのコスト低下については極めて楽観的な見通しを展開し、現時点での膨大な直接・間接補助金を正当化する傾向がある。原子力分野での技術進歩、技術革新には限りなく否定的なのと対照的だ。温暖化防止に役立つ現在・将来技術については、タブーを設けずに取り組むべきだと思う。環境関係者の間で忌避されがちなジオエンジニアリングについても研究が必要ではないか。

国連交渉にどう臨むか

 これらはいずれも国連交渉の外で日本が大きな力を発揮しえる分野だ。それでは国連交渉にはどう臨むべきか?ここでは将来枠組みのあり方について知恵をだしていけば良い。日本は従来型のレジームである京都議定書第二約束期間は実効性がないとしてこれを受け入れなかった。「京都議定書自体の終わり」は遅かれ早かれ生じた歴史の必然だったかもしれないが、日本も何がしかの役割を果たしてきたと言えるのではないか。

 また先に述べたように、新たな枠組みの視点が国別削減目標のみに立脚した狭いものにならないよう、複眼的な視点を提示していくことも必要だ。日本にとって一番重要なことは「全ての主要国が参加する公平で実効ある枠組み」の構築に貢献することだ。先進国、途上国間の相互不信が未だ強い中で、皆が参加できるような柔軟性を持つ枠組みの構築に向けた色々な提案を行っていくことは意義があると思う。

 逆に「日本が厳しい削減目標を提案すれば、各国の野心レベルを引き上げ、国際交渉に良い影響を与える」という京都議定書時代の発想からは卒業すべきだ。25%目標はまさにそうした考え方に立脚するものだが、コペンハーゲンの顛末を見れば、日本の目標が90年比25%減であろうが、2005年比15%減であろうが、結果は変わらなかったであろう。各国はそれぞれ国益を背負って交渉に参加している。日本が自らを鞭打てば、他国がそれに倣ってくれるほど、甘いものではないのだ。それどころか、実現可能性に裏打ちされていない目標を設定した結果、COP19において目標を下方修正したことで強い批判を受けた。25%目標は結局、日本にとって害をなしこそすれ、発表時の拍手を除けば、益はなかったと言うべきだろう。