私的京都議定書始末記(最終回)
-エピローグ-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
トップダウンからボトムアップへ
翻って国連交渉の状況はどうか?190ヶ国以上が参加する国連交渉は巨大なタンカーのようなものだ。それが方向を転換するには時間がかかり、変化のスピードも極めて遅い。しかし、少しずつではあるが着実に変化の兆しは生じている。京都議定書に代表される先進国・途上国の二分論は、京都議定書時代が事実上終焉しつつある中で、着実に崩れつつある。「全ての国に適用される新たな法的枠組み(a protocol, another legal instrument or an agreed outcome with legal force)を、可能な限り早く、遅くとも2015年中に作業を終えて2020年から発効させ、実行に移す」との「ダーバン合意」はその表れである。
もちろんADPでの議論を聞いていると、相変わらず時計の針が止まったような二分法の主張を耳にする。これからも議論は紛糾し、一歩前進、二歩後退のようなことが起こるだろう。しかし大きな流れとして、国際枠組みは京都議定書のようなトップダウンのものから、コペンハーゲン合意型のボトムアップのものになっていくはずだ。さもなければ何時までたっても合意は得られないだろう。2度目標達成のための「ギガトンギャップ」を埋めていくというトップダウンの議論も限られた炭素スペースの配分論になれば議論の出口はないだろう。
単層から複層へ、単眼から複眼へ
また、今後の国際レジームは気候変動枠組み条約と京都議定書という、いわば「リオ・京都体制」のような単層的なレジームから、国連、地域間、二国間、セクター別アプローチ等を通じた多層的なものになると思う。
190ヶ国の利害が複雑に錯綜する国連交渉の世界では、最大公約数的な合意を得ることがせいぜいだ。これを補完するのが地域間や二国間の取り組みだ。190ヶ国に及ぶ国連交渉に比して関係国の数が限られ、相互協力に立脚したウィンーウィンのアプローチに立てば合意も得やすい。日本が各国に働きかけている二国間クレジットの考え方はその事例だ。
また、これまで国連交渉を支配してきた「各国の削減目標(行動)とその実施期限」という考え方が、グローバル化する経済の中でどの程度、現実的な意味をもつかも考え直さねばならないのではないか。2011年2月、中国の国務院発展研究センターと意見交換をした際、中国側は「中国の鉄鋼生産の増大は、先進国からの需要に応えているからだ。先進国は温室効果ガス増大という環境上の負担を中国に押し付けている。中国の温室効果ガス排出を論ずるならば、そうした視点が必要だ」という議論を展開した。私は「それならば日本から低燃費自動車を輸出することによる輸出先での温室効果ガス削減分も評価されるべきだ」と反論したが、この中国の議論にも一面の真理がある。グローバル化するサプライチェーンの中で、国単位の温室効果ガス排出量を独立事象として捉えることには難があるからだ。国際貿易の世界でも、国単位の輸出入額ではなく、付加価値に着目した付加価値貿易論が生じている。国に着目した排出量だけではなく、国境を超えたセクター別の議論が必要になってくるのではないか。既に海運や航空の世界では先進国、途上国の航空、海運産業が国際航空、海運の世界での温室効果ガス削減に取り組んでいる。鉄鋼、セメント等の分野でも国際産業団体ベースでの協力が進行中だ。
ダーバン合意に基づいて各国が提出する約束草案(nationally determined contribution)も国別削減目標だけをみる単眼的なものから、政策措置、セクター別目標、技術開発目標等を含む複眼的なものであるべきだ。「温暖化防止への国際貢献=野心的な国別目標」という京都議定書型の視点から卒業すべきだと思う。特にセクター別目標や技術開発目標については国際協力の役割も大きい。そして有志国、有志企業等、実質的なプレーヤーの数が限られることを考えれば国連の枠組みの外の方が高い実効性を期待できるだろう。
国連に基づく世界政府的な枠組みではなく、国連を含む色々な取り組みが複層的に存在し、取り組み内容も削減目標オンリーの単眼的なものから多様な目標、行動を含む複眼的なものになるレジームは、環境至上主義者の目から見ればバラバラで美しくないと映るだろう。しかし、色々な制約条件をかかえる中で温暖化対策を国際的に進めていくためには、そうしたプラグマティックなアプローチが不可欠だと思う。