私的京都議定書始末記(その43)

-COP16を終えて-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 2週間に及ぶカンクンでの交渉を終え、日本に帰る機上で、いろいろな思いが浮かんできた。それから3年が過ぎた今、カンクンを振り返って思うところをいくつか書いて見たい。

見事だったメキシコの議長ぶり

 まず何より、COP16を合意に導いたメキシコの外交手腕の見事さである。デ・アルバ大使は2009年半ばに任命されて以降、各国と密に連絡をとりあい、そのレッドラインがどこにあるかを周到に見極めていた。またコペンハーゲンの失敗の教訓を踏まえ、透明性(transparency)と全員参加(inclusiveness)に腐心し、プロセスに対する信頼を回復した。当然、合意文書を全員参加の大衆討議で決めることはできないため、最終段階で少人数会合を複数立ち上げてドラフティングを行ったが、その参加国にはコペンハーゲンで大暴れしたベネズエラもいれ、かつ少人数会合で合意のできた文書を各交渉グループで消化するための時間も半日以上とった。いずれの点をとってみても、デ・アルバ大使を中心とするメキシコチームの采配は立派なものだった。メキシコがOECD加盟国でありながら、非附属書Ⅰ国に属するという先進国と途上国の中間的な位置づけにあったことも有利に働いたといえよう。

 もちろん、COP16が合意に達した理由はそれだけではない。交渉官の間でもコペンハーゲンとカンクンと2年続けて失敗するわけにはいかないという空気が強かった。仮に2年続けて失敗していたら、それこそ国連プロセスに対する信認は地に落ち、そもそも国連で温暖化問題を議論することそのものを見直そうという機運が出てきたかもしれない。それは国連プロセスにぶら下がって生きている多くの交渉官の望むところではなかったろう。私個人としては、190ヶ国が参加する国連プロセスで意味のある合意を形成することには未だに懐疑的な見方を持っている。コペンハーゲン後に浮上したように、G20やMEFで実質的な合意を形成した方がはるかに効率的かつ実効性が高いと思う。しかしコペンハーゲン後、国連プロセスへの信頼が危機に瀕した際、メキシコという「救世主」が現われ、コペンハーゲン合意を国連合意に戻し、国連プロセスを復活させたのである。あえて挑発的な問いかけをすれば、国連プロセスを復活させ、この問題を引き続き190ヶ国で議論していくレールをひいたことが、温暖化問題に関するaction-oriented な対応という観点で、長い目で見て良かったのかどうか、自問することがないではない。

京都議定書体制の終わりの始まり

 カンクンでの最大の論点は京都議定書第二約束期間の取り扱いであった。そしてカンクンは「京都議定書体制の終わりの始まり」として記憶されることになると思う。コペンハーゲン合意は先進国も途上国も緩和目標、行動を登録し、MRV(計測・報告・検証)の対象とするというプレッジ&レビューの考え方をとっているという点で、先進国・途上国の二分法に呪縛された京都議定書と大きく異なるものであった。それがカンクン合意の形で正式なCOP決定になったことは京都議定書レジームからの脱却への大きな一歩である。もちろん、京都議定書第二約束期間設定を目的としたAWG-KPは存続し、第二約束期間に関する議論が決着したわけではない。しかし脚注や事務局長宛レターを通じて、日本、ロシア等が京都議定書第二約束期間に参加しないとのポジションを明確にしたことで、京都議定書第二約束期間の意味合いは更にマージナルなものになった。AWG-LCAでのパラレルな法的枠組みを条件に京都議定書第二約束期間を容認したEUは、結局、AWG-LCAでの法的成果を予見させる文言を確保できなかった。しかし今更、第二約束期間から身を引くことはできない。ここでEUと日本、ロシア、カナダが別々な道を歩むことが事実上確定したといえよう。

京都議定書に関する日本のポジション

 今回、日本は京都議定書第二約束期間が最大のイシューになることを踏まえ、「いかなる状況のもとでも第二約束期間に入らない」というポジションを固め、それを最後まで貫いた。EUが第二約束期間容認の姿勢を示す中で、第二約束期間設定の議論そのものを封ずることはできない。しかし仮に第二約束期間が設定されるとしても、そこに入らないというレッドラインは守り抜いた。

 これは杉山審議官、森谷審議官、私を含め、外務省、環境省、経産省で密に意思疎通を図り、横の団結が強かったこと、松本大臣、菅総理も含め、上から下までポジションが一貫していたこと、更に環境NGOからは厳しい批判を浴びたが、マスコミ、産業界を含む国内世論の多くは第二約束期間不参加という方針を支持していたことだ。

 もちろん、この日本のポジションに対する批判はあろう。2013年エネルギーフォーラム9月号に竹内敬二朝日新聞編集員が「猛暑なのに弛緩する日本の温暖化対策」という寄稿をしている。その中で竹内氏は「①全ての主要国がかかわる、②各国に平等な内容、③温暖化防止に実効性がある-の3点を満たすのは至難の業だ。とくに③は難しい。京都議定書さえ維持・発展させられなかった国際社会が、そう簡単によりよいものをつくれるとは思えない」、「今の段階では米国が議論をリードしている。かつて97年の京都会議では、日本、米国、欧州の3極がまず自分たちの削減数字に合意したことで、先進国の削減数字が決まった。あのとき、日本は交渉をリードする国のひとつだったが、今の存在感は小さい。私は日本が京都議定書の第2期から離脱したことは環境外交上の大きな失敗だったと思っている」と述べている。

 私は竹内氏のこの考え方には賛同できない。①全ての主要国がかかわる、②各国に平等な内容、③温暖化防止に実効性がある、の3点を満たすことは難しいというのはご指摘の通りだ。しかし京都議定書は①、②、③いずれの面でも落第の枠組みである。日本が京都議定書第二約束期間に参加することで、その問題が解決することはない。「97年の京都会議の頃は日本が交渉をリードしていた」と言われるが、まさしく97年と2010年では時代が違うというところが最大の問題なのだ。もはや、米国、欧州、日本の3極で削減数字を合意する時代ではない。米国は決して京都議定書に戻らず、中国は世界最大の排出国となった。その中で日本の存在感が相対的に小さくなることは、ある意味当たり前のことではないか。また日本が存在感を示す方法が京都議定書第二約束期間参加というのは視野狭窄であると思う。「今の段階では米国が議論をリードしている」と言われるが、米国は京都議定書締約国ですらないではないか。

 日本は、新たな枠組みのアイデアの提示を通じて交渉に貢献し、日本の優れた環境技術の普及、革新的技術の研究開発等、日本らしい方法で存在感を示すべきだと思う。この点についてはエピローグで改めて触れたい。

 竹内氏が主張するように、カンクンで日本が京都議定書第二約束期間を容認していたら、COP16は違った展開になったどうなっていたであろうか。日本の対応によって、中国やインド、あるいは米国が態度を改め、AWG-LCAにおいて「法的枠組み」を作るという明確な方向性が出たであろうか。私はそうは思わない。EUと同じく京都議定書第二約束期間というカードを無駄に切って終わっていたに違いない。一度、京都議定書第二約束期間容認に舵を切れば、そこから足抜けするのはより難しくなる。それどころか、日本が京都議定書第二約束期間に残ることにより、京都議定書レジームがより長引くことも十分にありえた。

 後知恵になるが、わずか3ヵ月後の東日本大震災とその後の展開を考えるとき、「日本が京都議定書第二約束期間に入っていたらどうなっていたか」としみじみ思う。停止した原発の代替電源のための化石燃料輸入に伴う国富の流出が年間3.8兆円に及ぶことに加え、目標達成のためのクレジット購入で更なる国富の流出が生ずるのである。やはり、あの時、カンクンで京都議定書第二約束期間と決別しておいて良かったと思うのである。

初日のステートメントの評価

 京都議定書第二約束期間に参加しないという日本の方針はよしとしても、初日にプレナリーで宣言する必要があったのか、という議論もある。カンクンの3ヶ月後、東京で日本ブラジル主催の非公式協議で来日していたデ・アルバ大使は「日本のレッドラインはよくわかっていたし、あえてあそこで宣言する必要はなかった。議長国としては冷や冷やしたよ」と言っていた。初日に沈黙を保ちつつ、その後の交渉で日本のレッドラインを守りぬくという選択肢もあったかもしれない。そうしていれば2日目に「ぶち抜きの化石賞」を取ることはなかったろうし、「日本が悪役」といった1週目の論調はもう少し違っていたかもしれない。他方、最初から絶対に譲れないラインを明確にしておくことは交渉上、重要なことではないかとも思う。「それまでの日本の京都議定書第二約束期間拒絶は交渉上のタクティクスであり、条件次第で日本は譲歩する」という誤解がEUや途上国にあったと思われるからである。また、京都議定書第二約束期間に関する問題提起という点では初日のステートメントの意味はあったのではないかとも思う。12月8日に Centre for American Progress のAndrew Light 主任研究員が、「Has Japan Killed the Kyoto Protocol? – Even If It Has, There’s Still Hope for a Climate Agreement」という論文を発表した。その一部を抜粋する。

The U.N. climate summit here in Cancun, Mexico, has been consumed this past week over Japan’s announcement at one of the opening plenary sessions that they would not renew their emission reduction pledges under the Kyoto Protocol once the first round of required carbon cuts expire in 2012. This could mean the potential demise of the world’s only climate treaty with binding emission cuts, but the reasoning of the Japanese leadership on this issue is practically unassailable.

What’s more, by taking this position, Japan may also help to settle an issue that has been haunting these talks for a decade: the standoff between those who want to hold onto the protocol’s crude division of the world between developed and developing countries and those who want to move to a framework that may be more in line with the reality of solving the problem

 そうした論文が発表されたのも、初日のステートメントが色々な議論を巻き起こしたことと無関係ではあるまい。ただ当事者である私が何を書いても自己正当化に映るであろう。初日のステートメントの評価については、大げさだが、歴史の評価に委ねることとしたい。

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