私的京都議定書始末記(その43)
-COP16を終えて-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
もちろん、この日本のポジションに対する批判はあろう。2013年エネルギーフォーラム9月号に竹内敬二朝日新聞編集員が「猛暑なのに弛緩する日本の温暖化対策」という寄稿をしている。その中で竹内氏は「①全ての主要国がかかわる、②各国に平等な内容、③温暖化防止に実効性がある-の3点を満たすのは至難の業だ。とくに③は難しい。京都議定書さえ維持・発展させられなかった国際社会が、そう簡単によりよいものをつくれるとは思えない」、「今の段階では米国が議論をリードしている。かつて97年の京都会議では、日本、米国、欧州の3極がまず自分たちの削減数字に合意したことで、先進国の削減数字が決まった。あのとき、日本は交渉をリードする国のひとつだったが、今の存在感は小さい。私は日本が京都議定書の第2期から離脱したことは環境外交上の大きな失敗だったと思っている」と述べている。
私は竹内氏のこの考え方には賛同できない。①全ての主要国がかかわる、②各国に平等な内容、③温暖化防止に実効性がある、の3点を満たすことは難しいというのはご指摘の通りだ。しかし京都議定書は①、②、③いずれの面でも落第の枠組みである。日本が京都議定書第二約束期間に参加することで、その問題が解決することはない。「97年の京都会議の頃は日本が交渉をリードしていた」と言われるが、まさしく97年と2010年では時代が違うというところが最大の問題なのだ。もはや、米国、欧州、日本の3極で削減数字を合意する時代ではない。米国は決して京都議定書に戻らず、中国は世界最大の排出国となった。その中で日本の存在感が相対的に小さくなることは、ある意味当たり前のことではないか。また日本が存在感を示す方法が京都議定書第二約束期間参加というのは視野狭窄であると思う。「今の段階では米国が議論をリードしている」と言われるが、米国は京都議定書締約国ですらないではないか。
日本は、新たな枠組みのアイデアの提示を通じて交渉に貢献し、日本の優れた環境技術の普及、革新的技術の研究開発等、日本らしい方法で存在感を示すべきだと思う。この点についてはエピローグで改めて触れたい。
竹内氏が主張するように、カンクンで日本が京都議定書第二約束期間を容認していたら、COP16は違った展開になったどうなっていたであろうか。日本の対応によって、中国やインド、あるいは米国が態度を改め、AWG-LCAにおいて「法的枠組み」を作るという明確な方向性が出たであろうか。私はそうは思わない。EUと同じく京都議定書第二約束期間というカードを無駄に切って終わっていたに違いない。一度、京都議定書第二約束期間容認に舵を切れば、そこから足抜けするのはより難しくなる。それどころか、日本が京都議定書第二約束期間に残ることにより、京都議定書レジームがより長引くことも十分にありえた。