私的京都議定書始末記(その43)

-COP16を終えて-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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京都議定書体制の終わりの始まり

 カンクンでの最大の論点は京都議定書第二約束期間の取り扱いであった。そしてカンクンは「京都議定書体制の終わりの始まり」として記憶されることになると思う。コペンハーゲン合意は先進国も途上国も緩和目標、行動を登録し、MRV(計測・報告・検証)の対象とするというプレッジ&レビューの考え方をとっているという点で、先進国・途上国の二分法に呪縛された京都議定書と大きく異なるものであった。それがカンクン合意の形で正式なCOP決定になったことは京都議定書レジームからの脱却への大きな一歩である。もちろん、京都議定書第二約束期間設定を目的としたAWG-KPは存続し、第二約束期間に関する議論が決着したわけではない。しかし脚注や事務局長宛レターを通じて、日本、ロシア等が京都議定書第二約束期間に参加しないとのポジションを明確にしたことで、京都議定書第二約束期間の意味合いは更にマージナルなものになった。AWG-LCAでのパラレルな法的枠組みを条件に京都議定書第二約束期間を容認したEUは、結局、AWG-LCAでの法的成果を予見させる文言を確保できなかった。しかし今更、第二約束期間から身を引くことはできない。ここでEUと日本、ロシア、カナダが別々な道を歩むことが事実上確定したといえよう。

京都議定書に関する日本のポジション

 今回、日本は京都議定書第二約束期間が最大のイシューになることを踏まえ、「いかなる状況のもとでも第二約束期間に入らない」というポジションを固め、それを最後まで貫いた。EUが第二約束期間容認の姿勢を示す中で、第二約束期間設定の議論そのものを封ずることはできない。しかし仮に第二約束期間が設定されるとしても、そこに入らないというレッドラインは守り抜いた。

 これは杉山審議官、森谷審議官、私を含め、外務省、環境省、経産省で密に意思疎通を図り、横の団結が強かったこと、松本大臣、菅総理も含め、上から下までポジションが一貫していたこと、更に環境NGOからは厳しい批判を浴びたが、マスコミ、産業界を含む国内世論の多くは第二約束期間不参加という方針を支持していたことだ。