私的京都議定書始末記(その33)

-メキシコ登場-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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コペンハーゲン後の各国行脚

 2010年の年が明けた。前年に引き続き、靖国神社に参拝しながら、2010年に待ち受ける国際交渉に向けて思いをめぐらせていた。

 コペンハーゲン合意の採択失敗により、国連プロセスに対する信認は地に堕ちていた。その中で2010年の交渉がどのような経過をたどるのか?2000年末のCOP6で合意に失敗し、2001年6月のCOP6再開会合で合意が得られたという故事に倣い、一時、「2010年半ばにCOP15再開会合?」という噂も流れた。しかし、デンマークにもう一度議長国をやらせようという声は絶無であったし、何と言っても期待値を上げるだけ上げて失敗に終わったコペンハーゲンの苦い記憶がまだ生々しかった。2010年初頭の段階では各国とも今後の道行きについて確たるイメージを持っていなかったといってもいいだろう。

 とはいえ、各国の出方を探らねばならない。このため、2010年の1月から2月にかけて地球環境対策室の小林出交渉官、岡本晋補佐と共に米国、カナダ、メキシコ、ポーランド、ドイツ、英国、欧州委員会、スペイン(EU議長国)、フランスを回り、「コペンハーゲン後」に関し、各国の交渉官と意見交換を行った。

 カナダは2010年のG8、G20議長国であり、サミットプロセスの中で気候変動をどう位置づけるかについて議論した。一言で言えば、「リーマンショックに始まる世界金融危機をどう乗り切るかが最大の課題であり、気候変動を大きく取り上げるつもりはない」ということだった。コペンハーゲンの結果を見て、気候変動をメインイシューとすることはリスクが大きいと判断したのだろう。コペンハーゲン合意作成に大きな影響力を発揮した米国では国連プロセスに対する失望感(あるいは憤激)が大きく、「コペンハーゲン合意に賛同した国々で会合を開催してはどうか」とのアイデアも聞かれた。

 欧州では欧州委員会、英国、ドイツ、フランスに加え、EU議長国になったスペインとも議論した。首脳プロセスにおける中国の立ち居振る舞いにサルコジ大統領が激怒したと言われるフランスでは、「有志連合+国境調整措置」という議論も聞かれた。コペンハーゲン合意に基づく有志連合を形成し、アウトサイダーに対しては炭素関税等のペナルティを課するというものだ。これに比して欧州委員会、英国、ドイツ、スペインでは国連プロセスの信頼回復を重視する声が強かったように思う。特に、英国のジョン・アシュトン気候変動特使が「コペンハーゲン合意は意味があるが、AWG-LCA、AWG-KPという既存の国連プロセスからコペンハーゲン合意をベースとした一つの枠組みに乗り換えることはできない。走っている馬車から乗り換えるようなものだ」と言っていたのが頭に残った。EUはコペンハーゲンまでは日本と同様、「一つの法的枠組み」を志向していたが、2010年に入り「変節」し、京都議定書第二約束期間と新たな枠組みの並立構造を容認するようになる。それを予感させるようなコメントだったからだ。もうひとつ、彼との会談で忘れられないのは、開口一番、「民主党政権になって野心的な目標を設定する等、日本が温暖化重視に舵を切ったのはすばらしい。経産省にとってはさぞや居心地が悪いだろうね」と揶揄してきたことだ。「とんでもない。外務省、環境省、経産省は一致団結して交渉に当たっていますよ」と笑顔で答えたが、腹の中では「何くそ!」と思っていた。「こうやって日本の国内を分断しようという腹なのか」と思ったものだ。

デ・アルバ特使

 一連の各国歴訪の中で私が最も重視していたのがCOP16の議長国であるメキシコであった。メキシコは年明け早々、COP議長としてエスピノザ外務大臣を指名した。各国の利害が複雑に錯綜したコペンハーゲンの交渉を目の当たりにしたカルデロン大統領が、複雑な外交問題である温暖化交渉を環境大臣に任せることはできないと判断したからであろう。エスピノザ外務大臣の元で特使として辣腕をふるうことになるのがアルフォンソ・デ・アルバ氏である。

デ・アルバ特使(右側)

 彼はマルチの国連交渉の経験が長い練達の外交官であり、2010年末のCOP16を見越して2009年半ばから日本を含め、各国と精力的に意見交換を行ってきた。外務省で共に交渉を担ってきた宮川真喜男審議官とジュネーブの国連代表部時代からの知り合いであったこともあり、私も比較的早い段階で知己を得ることができた。「COP15で大枠の合意ができることを期待している。COP16ではそのフォローアップを行うつもり」と語っていたデ・アルバ特使にとってCOP15の失敗は計算外だっただろう。COP16に向けて国連プロセスをどう立て直していくのかという重い課題を背負い込むことになったからだ。

 初めて訪れるメキシコシティは高度2240メートルにあり、空気が薄いせいか、到着した晩の夜中に何度も目が覚めた。寝不足気味で翌日のデ・アルバ特使とのミーティングに臨んだが、嬉しかったのはデ・アルバ特使もスモーカーであり、外務省の広い会議室テーブルに灰皿が置かれていたことだ。温暖化交渉を通じて色々な会議に参加したが、室内でタバコを吸いながら相手と議論できたのは後にも先にもこの時だけだった。

 タバコをくゆらしながら、デ・アルバ特使はCOP16に向けたメキシコの戦略について語った。「コペンハーゲン合意は将来枠組みに向けての良い土台であるが、留意にとどまっている。これを国連プロセスに戻し、採択していくことが重要だ。国連交渉を妥結するためには、主要プレーヤーの間で主要な論点について共通認識を持つことが必要であり、メキシコ主催で少数国による非公式協議を行うつもりだ。少数国会合には主要排出国だけではなく、LLDC、島嶼国、ALBA諸国(注:コペンハーゲン合意に強硬に反対したベネズエラ、ボリビア、キューバ、ニカラグア等の反米中南米諸国のグループ。Allianza Bolivariana para los Pueblos de Nuestra Americaの略称)にも参加してもらい、皆が参加する包含的(inclusive) なものにしなければならない。また少数国会合で物事を決めるのではなく、そこでの議論の成果を国連プロセスに戻すという透明性の高い(transparent) なものにしなければならない」等々である。

 国連での経験が長いだけに、彼の発言には国連プロセスに対するコミットメントが強く感じられた。「コペンハーゲンの失敗の一因は全員一致の国連システムだったが、果たして国連で複雑に利害が錯綜した温暖化問題についての合意形成が可能なのか」との問いをぶつけてみたところ「自分の過去の国連経験に照らせば、国連でのコンセンサス形成は必ずしも全員一致(unanimity)と同義ではない」という答えが返ってきた(事実、この言葉は12月のCOP16で実証されることになる)。「コペンハーゲン合意に強硬に反対したALBA諸国も含めて議論がまとまるのか」と聞いたところ、「彼らがコペンハーゲンで反対した大きな理由は密室で物事が決まったとういう手続き面の不透明性だ。その点には十分に注意する必要がある。既にALBA諸国とは議論を始めており、相互理解は深まっている。僕の名前もAlba だしね」と悪戯っぽく笑ったのが印象的であった。

 メキシコはOECD加盟国でありながら、温暖化交渉においては附属書Ⅰ国には属していない。いわば先進国と途上国の中間に存在しており、しかもラテンアメリカに位置し、ALBA諸国とのパイプもある。ある意味、議長国として絶妙の立ち位置にいたといえるかもしれない。

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