私的京都議定書始末記(その29)
-コペンハーゲン(1)-
有馬 純
国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授
もちろん議長国デンマークもそんなことは十分にわかっていた。こうした交渉の常として各国が自分の主張に固執し、テキストが制御不可能な状態になれば、議長が適切なタイミングで議長テキストを出してくる。デンマークもそうしたテキストを用意していたらしい。不幸なことにそのデンマーク議長テキストなるものが交渉2日目の12月8日に英紙ガーディアンにすっぱ抜かれた。それによると温室効果ガス削減の長期目標として、「世界の平均気温の上昇が産業革命前と比べ2度を超えてはならないという科学の指摘を認識する」とし、実現のために「世界全体の排出量を2050年までに90年比50%減」などを挙げている。先進国全体の削減率は、2020年までの中期目標は空欄で、2050年までの長期目標は「90年比80%減」とした。また国別目標を添付文書の中に記載し、2020年までの削減目標や排出権購入分なども盛り込むとした。途上国も国ごとに削減の取り組みを義務付けるとし、排出を頭打ちにする時期を明記する段落も設けられていた。このテキストの作成過程は承知していないし、その真贋や、誰がリークしたのかも今となってはわからない。しかし報道された内容を見る限り、落としどころとしてはリーズナブルなものに思えた。だからこそ、このリーク記事に対して途上国は強く反発した。彼らの山のようなコメントをオプションの形で盛り込んだ200ページのAWG-LCAテキストをないがしろにしている、プロセスが不透明であり、締約国主導(これをこの世界ではParty-drivenという)ではない、というわけである。このため、ただでさえぎすぎすした交渉の雰囲気がますます険悪なものになった。
もともとCOP交渉の1週間目は事務レベル交渉であり、議論が収斂するはずがないことはわかりつつも、延々とそれまでの議論を繰り返すのが「通過儀礼」のようなものである。事実、AWG-KPでもAWG-LCAでも1週間目は11月初めのバルセロナと代わり映えのしない議論が続けられていた。
小沢鋭仁環境大臣をはじめ、週末には各国の閣僚もコペンハーゲンに入り、週末の12月13日には非公式閣僚会議も開催されたが、会合から戻ってきた小沢大臣は対立の激しさと雰囲気の険悪さに驚いていた。週明けにはAWG-LCA、AWG-KPの主要対立点について閣僚レベルのファシリテーターが指名され、翌週の前半も「調整」が行われたが、その実は議長席に閣僚が座っているものの、各国の席に座っているのは私のような交渉官であり、しかもプレナリールームのような大きな部屋での議論である。話がまとまるわけがなかった。私は「こんな議論をしてもなあ」と思いつつ、いずれかのタイミングで「議長テキスト」を出すための通過儀礼だろうと思って参加していた。
確か16日の水曜日だったと思うが、COP議長であるヘデゴー大臣によるストックテーキングの際に、彼女は「もうすぐ議長テキストを出す」と発言した。これに中国を初めとする一部途上国が「我々の交渉テキストはこれまでAWG-LCAで議論してきたものである」として激しく噛み付いた。ガーディアンにリークされたテキストがこれから出てくる「議長テキスト」であるとすれば、京都議定書の先進国・途上国二分法と異なるアプローチを取るものであり、彼らにとって受け入れられないものだったのだろう。しかし、ここでヘデゴー議長は踏ん張るべきであったと思う。会議の合意を確保するため、議長がテキストを出すことは十分に有り得ることだし、これまでのCOPでも何度もそういう局面があった。私にとっては良い思い出ではないが、COP6の際のプロンクペーパーもその一例である。しかし、ここでヘデゴー大臣は途上国からの反発に譲歩し、現行テキストに基づく不毛な交渉を続けることにしてしまった。これによって貴重な時間が不毛な交渉によって更に空費されることになる。翌日から首脳レベルのハイレベルセグメントが始まるにもかかわらず、である。COP15が失敗に終わった要因は色々あるだろうが、2週目中盤のこの足踏みは致命的だったのではないかと思う。