私的京都議定書始末記(その24)

-交渉官の1日-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 閑話休題。今回は私の経験を元に、交渉官の1日を綴ってみたい。舞台は最も多くの交渉が行われたボンのマリティムホテルである。

 朝6時に起床。霞ヶ関では自宅からオフィスまで片道1時間20分を歩いているが、ボンでは会議会場と宿泊場所が同じであるため、どうしても運動不足になる。そこで6時半頃ホテルを出て30-40分ジョギングをすることを日課としていた。マリティムホテルはボン市中心部から離れたところにあり、周辺はおよそ殺風景なのだが、唯一良いところはライン川に近く、絶好のジョギングコースがあることだ。ジョギングしているとアンブレラグループのルイーズ・ハンド豪州気候変動大使が自転車に乗っているところに出くわすこともある。

 朝7時15分過ぎ。ジョギングから戻り、シャワーを浴びてから朝食。マリティムホテルの朝食は結構ボリュームがあり、ドイツらしくハムやソーセージの種類も豊富だ。だが滞在2-3日してくると飽きてくる。日本代表団のみならず各国代表団も泊まっているので、朝食会場で顔見知りに会うことも多い。彼らとテーブルを共にすることもあれば、その日の交渉スケジュールを考えながら、今日は何を言おうかと一人で考えることもある。

 朝8時。政府代表団内会議。まず前日の会議報告を行う。AWG-KPの先進国削減目標、メカニズム関連の報告は私の役目だ。LULUCFについては林野庁の交渉官から報告がある。AWG-LCAでは先進国の緩和、途上国の緩和、適応、技術、資金、共有のビジョンとグループが分かれており、それぞれの担当から報告する。それに加えて前日行われたバイ会談や事務局周辺の情報について情報共有が行われる。特に事務局でどんな動きが生じているかについては事務局勤務経験があり、各国とも知己の多い環境省の島田交渉官の情報に頼るところ大だ。こうやって聞いているといかに多くのグループに細分化されて交渉が行われているかがわかる。

 朝9時。私を含む外務、環境、経産の幹部クラスはアンブレラ会合に出席する。議長のルイーズ・ハンド豪州気候変動担当大使がにこやかに議事を進行する。ここではAWG-KP、AWG-LCAの交渉進捗状況について、各国の見方を共有することが主である。加えてAWG-KPやAWG-LCAの議長を招いて意見交換をしたり、EU等、他の交渉グループと意見交換をする場合もある。朝の定例会合とは別途、サンドイッチランチの形でアフリカグループ、島嶼国グループ、LDCグループと意見交換することもある。

ルイーズ・ハンド豪州気候変動大使(右)

 朝10時~午後1時。交渉が2スロット行われる。1日4回のスロットの中でⅠ-2回は「ナンバー」の議論を行うことになる。前回、紹介したような議論が延々と繰り返される。他国の発言をメモにとりつつ、発言のタイミングをうかがう。日本の目から見て理不尽な議論が展開されることも多々あり、フロアをとって反論することも多い。ナンバーの議論はフラストレーションがたまる。出番の無いときはホテル内の経産省控室に戻り、メールのチェックやその後に控えている交渉に向けて発言内容を考えたりする。経産省の同僚相手に直前のセッションへの憤懣をぶちまけることもある。そんな時にタバコが必要になるのはスモーカーの性である。ちなみにホテルの作業室は禁煙なので、窓から身体を半分以上出し、部屋に煙が逆流しないよう注意しながらタバコを吸う。外から見ると飛び降りようとしていると見えたかもしれない。

AWG-KPの議事ノート(2009年6月)

 午後1時~午後3時。昼食時間だが、多くの場合、二国間協議やアンブレラグループ内の専門家の打ち合わせに費やされることになる。二国間協議は公式交渉の場ではできない突っ込んだやり取りや平場では聞けない本音が聞ける貴重な機会であり、時間が許す限り同席することにしていた。相手も米国、豪州、NZ、ロシア、カナダ、EU、中国、インド、インドネシア、島嶼国グループ、アフリカ諸国等、多種多様だ。昼食をゆっくり食べる時間はまずない。朝、朝食ブッフェを利用して用意した手製のサンドイッチをほおばるか、作業室に積まれているカップラーメンを食べることがほとんどだ。

 午後3時~午後6時。午後の交渉が2スロット行われる。私が初めて交渉に参加した2000年代初め頃は6時の終了時間はあって無きが如きものであったが、今では概ね守られている。例外は1~2週間のAWG交渉の終盤、そのセッションの結論文書をまとめる時だ。毎回の結論文書は、次のAWG交渉の土台となる。当然、途上国サイドは数字について少しでも踏み込んだことを書きたがる。他方、先進国サイドはAWG-LCAにおける先進国、途上国の緩和の議論の状況を見ながら、AWG-KPだけが先行しないよう気を配る。この段階になると多くの国が参加するコンタクトグループではなく、小部屋に20カ国程度が入る少人数会合の形となり、そうなるとまとまるまで交渉が行われるのだ。

 通常は午後6時以降、交渉は行われない。まずは夕食である。ウィークデーは近場にある中華レストラン「ジャスミン」とか、ピザレストランに行くことが多い。その日の簡単な記録を作って毎日、東京に送ることが求められており、経産省交渉団の面々も自分の出た交渉結果を数行にまとめたものを作成し、それが日報に集約される。私は経産省交渉団の指揮官として、それに目を通す。また昼休み等に行われたバイ会談の議事録のチェックがあがってくることも多い。これも自分のとった議事録と突き合わせながら、必要があれば手を入れる。夜とはいってもいろいろやることがあるのだ。

 AWG-KP交渉はストレスがたまる。「サウナで忍耐力を養うのだ」と称してマリティムホテル1階のサウナに入るのが交渉期間中の日課になっていた。サウナに入り、シャワーを浴びるとすっきりする。サウナで中国やインドの交渉官と出くわすことも珍しくない。中国の交渉官とサウナで汗を流しながら議論したこともある。ある時、サウナに入っているとインドの交渉官が入ってきた。馬鹿な話だが、「インド人よりも長くサウナに入ってやろう」と決意し、彼が出て行くまでひたすら粘った。彼が「もうたまらん」という顔で外に出た20-30秒後に私も外に出て「僕のほうが長く入っていたね。勝ったぞ」とふざけて声をかけたところ、「でも僕が入るのは2度目だ」と言い返してきた。転んでも只では起きないのが交渉官である。

 サウナから戻ってあがってきた日録や議事録のチェックをし、たまっているメールをチェックしてから11時頃自室に引き上げる。ノンネイティブの悲しさ、1日英語の交渉に参加していると普段より疲れが出る。ベッドに入るとたいていはすぐに眠りに落ちた。

 これが月曜日から土曜日までの1日の大まかな流れである。ついでに交渉官の休日についても触れておこう。霞が関と違って国際交渉は土曜日もフルにある。朝、ゆっくり寝ていられるのは日曜日だけである。私は大体、日曜日は午前10時近くまでゆっくり寝て、ジョギングをし、午後は持ってきた本を読んだり、翌週からの交渉に備えて発言メモを作ったりしていた。元気のある人々は近場のケルンに観光に行ったりしていたが、私はホテルでのんびりしていることが多かった。日本交渉団の勤勉さのなせる技か、日曜日の夕方に1週間のストックテーキングと今後の方針ということで団内打ち合わせが入ることもあった。土曜日の夜、もしくは日曜日の夜の楽しみは皆で隣町のバッドゴーデスベルクにある日本レストラン「上条」やボン市内の日本レストランMiyagiに行くことである。やはり日本人は米を食べないとエネルギーが出ない。そんなこんなで日曜日はあっという間に過ぎていき、交渉2週目に入るのである。

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