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私的京都議定書始末記(その23)

-AWG-KPとはどんな場か(3)-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授


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 AWG-KPでは同じような議論が延々と繰り返されており、私が参加した12回の交渉をそれぞれ紹介してほとんど意味がない。そこで今回はAWG-KPにおける典型的な議論のいくつかを紹介することとしたい。

AWG-KPにおいて先進国全体の削減幅を先決することの是非

 AWG-KPにおいて途上国が繰り返し主張していたのが、先進国全体の削減幅を一刻も早く決めるべきであるということであった。京都議定書第3条第1項には附属書Ⅰ国は第1約束期間に90年比で少なくとも5%削減することを目指すとの規定がある。第2約束期間についてこれに代わる数字を、しかもできるだけ高い数字を早く決めようという主張である。

 これに対してはEU、アンブレラグループを含め、先進国は全体として反対していた。米国のいないAWG-KPで米国を含む附属書Ⅰ国全体の削減幅を決めてもおよそ意味がない。たとえAWG-KPにおいて、例えば「附属書Ⅰ国全体で90年比25%」という数字を決めたとしても、先進国全体の排出量のほぼ半分を占める米国がそれに同意する可能性はまずない。仮に米国の目標値がそれを大幅に下回るものになれば、付属書Ⅰ国全体の目標値を満たすためには、他の附属書Ⅰ国が穴埋めをせねばならないことになる。これは米国とそれ以外の先進国の間に重大な不公平をもたらすことになる。「25%」が米国を除く附属書Ⅰ国全体の数字であるとすれば、不公平の問題はより拡大する。

 要するに米国とそれ以外の先進国の公平性の問題を解決するためには、AWG-KPで議論することは意味がなく、米国の参加するAWG-LCAで先進国の削減行動を一体的に議論する必要がある。更に主要途上国が今後の世界の排出量の増分の相当部分を占めることを考えれば、先進国の削減幅だけを議論すること自体も問題がある。したがって削減幅の議論を行うのであれば、米国が参加し、先進国、途上国の緩和行動を両方取り扱うAWG-LCAが最も適切な場であることは論理的帰結である。

 私はこの点をAWG-KPで何度となく強調し、各回のAWG-KPの結論部分に「AWG-KPとAWG-LCAの協力・調整」という文言を入れることを主張した。しかし途上国からの反応は決まって「AWG-KPのマンデートはあくまで第2約束期間を設定することであり、AWG-LCAとは異なるマンデートを有している。したがってAWG-LCAと横の連携をとる必要はない。AWG-KPで先進国の数字を決め、AWG-LCAでは米国が他の先進国と公平な目標設定を設定することを確保すればよい」というものだった。こちらは「米国が自分のいない場で決まった数字を受け入れるわけはないではないか」と反論し、議論は堂々巡りとなった。

先進国の歴史的責任

 途上国が繰り返し言及するキーワードは「先進国の歴史的責任」である。気候変動枠組み条約前文にあるように、これまでの温室効果ガスの蓄積の大部分が、いち早く産業化の進んだ先進国に起因することは明らかであり、第3条第1項に「共通だが差異のある責任」が規定され、「先進国が率先して気候変動及びその悪影響に対処すべき」とあるのもそれが背景である。このように先進国は事実上、歴史的責任を受け入れてきたわけであるが、「歴史的責任(historical responsibility)」という概念を改正京都議定書、更にはAWG-LCAで交渉中の新枠組みに書き込むという途上国の主張に対しては一致して反対であった。この文言を新たに書き込んだ場合、「共通だが差異のある責任」に加え、「先進国のみが責任を負う」という議論の根拠として使われることは火を見るより明らかである。今後の排出量の増分の大部分が新興国の排出量であることを考えれば、温暖化防止をはかるためには「歴史的責任」のみならず「今後の責任」も考えていかねばならない。
 途上国の主張のもう一つの問題点は、「歴史的責任」を数値化し、先進国の目標設定に反映させるということだ。これまでの累積排出量についてはWRI(World Resource Institute)を含め、色々な機関が試算を行っている。累積期間についても「産業革命以降」から「1950年以降」まで様々である。しかし共通するのは累積排出量の推計には多くの不確実性があることであり、途上国の議論によく引用されるWRIの報告書自体が「累積排出量に基づく政策提案にはデータの質、利用可能性において大きな制約があり、これに基づく国際合意にはなじまない」という但し書きを明記している。私は南アが歴史的責任の議論を持ち出すたびにWRIの但し書きを引用しながら反論した。「1990年以降の数字であれば信頼性を増す」と先方が反論すると「その数字の中では中国を含む新興国の貢献分も大きいではないか」とやり返したものだ。

先進国全体の削減幅の性格

 先進国全体の削減幅の性格もくりかえし議論になった。途上国は先進国全体の削減幅を決め、それを一定のフォーミュラにしたがって先進国に「割り振る」(allocate)という議論をしばしば展開した。先進国全体で25-40%という主張を展開していたEUは、正面切ってこれに反論することはなかったが、アンブレラグループの豪州、NZ、日本は、「そもそも京都議定書第3条1項の5%という数字は、各国の削減目標をボトムアップで積み上げた結果の数字であり、5%を割り振ったわけではない。各国がその実情に応じて削減目標を策定すべきであり、先進国全体の削減幅をまず決めて、一定のフォーミュラでそれを各国に割り振るという考え方自体が不適切である」と強く反論することが常であった。トップダウン対ボトムアップの議論の典型例でもある。



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