オバマ政権の環境・エネルギー政策(その9)
天然ガス価格に連動する電気料金
前田 一郎
環境政策アナリスト
石炭火力への逆風
米国の電力会社では、今後40年間で、発電設備が老朽化しているため、ベースロード電源のリプレースが必要になってきている。電力自由化の動きもひと段落した中、新たに経営リスクとして注目されてきたのが環境問題である。
先に述べたように石炭火力は厳しい目でみられるようになっている。テキサス州電力・ガス大手TXUはテキサス州全体の供給力不足もあり、2006年、11基の石炭火力建設を計画したが、同時に起こったコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)およびテキサス・パシフィック・グループ(TPG)というファンドのTXU買収交渉に伴い、上記のうち8基の石炭火力断念を環境保護団体との間で合意せざるを得なくなった。ここにはNRDC(National Resources Defense Council)とエンバイロンメンタル・デフェンス・ファンド(EDF)という2つの環境NGO(非政府組織)が深くかかわっていた。2つの環境NGOはファンド側と他の環境保護派の間に立ってその間の交渉の仲介を行った。その中で一部石炭火力の断念を強く迫り、ファンド側は売却交渉成立の観点から譲歩し、8基の建設を断念することになった。
その後、上院バーバラ・ボクサー議員(後に環境公共事業委員長)およびジェフ・ビンガマン議員(後のエネルギー天然資源委員長)が共同で地元紙(ダラスモーニングニュース2007年1月22付)に寄稿してTXUの計画を批判した。いずれ制定されるはずだった気候変動法案に先立ち、グランドファザリングによる排出量割当を得るための石炭火力計画であると糾弾した。NGOが交渉の橋渡し役に入ったということと、上院議員が直接介入してきたということでそれまでの反対運動と一線を画すできごとであった。
石炭火力への逆風はそのまま天然ガス火力が天然ガス価格の低下により、経済性は天然ガス火力に有利になっている。その動向は前章でのべたとおりである。
原子力については、高い設備利用率と安定運転のもとかつてに比べると見直しが起こっている。1980年代を通して平均設備利用率が56.3%であったのに対し、1990年代同66%、2008年には91.5%にまで達している(2012年は86.4%に低下)。この背景には、電力会社ごとに比較的少数の基数しか(1~2基程度)有していなかったのをM&Aにより集約化、発電コストが改善したこと、老朽プラントの廃止などもあるが、なによりも安全運転レベルの向上が寄与している。そうした中で一時、原子力発電は相対的に有利になっていた。しかしながら多くの原子力が寿命を迎えつつある。ことしになって電力会社は4つの発電所の停止を決めたので米国の原子力発電所のユニット数は100になった。さらにその中でも高いコストで長寿命化を図ろうとしている炉もあり、天然ガス火力とは競合する状況が形成されている。
原子力大国の30年の空白
米国では現在稼動している原子炉は100基となった。設備容量は約1億キロワットを下回ったが、世界一の原子力大国だ。
1953年、アイゼンハワー大統領が原子力の平和利用を訴える「アトムズ・フォー・ピース」演説を行った後、米国では1960年代から1970年代にかけて、次々と原子力発電所が建設された。1974年には運転から建設中、発注まで含めた原子力発電所の数は225基までふくらんだ。これをゼネラル・エレクトリック(GE)や、ウエスチングハウスといった原子炉メーカーが支えた。米国原子力産業隆盛の時代だった。
しかし1970年代に入り徐々に経済環境が悪化。さらに1979年のスリーマイルアイランド(TMI)原子力発電所事故を契機に規制が厳しくなると、計画遅れが顕著になった。これによりコストがかさみ、次々と計画が中止されていった。こうした状況の中、米国における原子炉の新規発注は、1978年を最後に途絶え、30年以上、米国国内で原子力発電所は建設されていない。
米国政府もこの状況に手をこまねいていたわけではない。
1992年のエネルギー政策法の一環として、原子力発電所建設に必要であった建設許可と運転認可の審査を促進するプロセスの強化「10CFRパート52」が議会で認められた。早期立地許可(Early Site Permit)、標準設計認証(Standard Design Certification)、建設・運転一括許認可(Combined construction permit and operating license:COL)を導入することにより、設計標準化の推進と、許認可手続きにおける複雑さと不確実性の排除を図った。これは米国の原子炉が、それぞれ設計がバラバラで、設計、建設、運転それぞれで煩雑な手続きがあり、建設は認可されたものの、運転が認可されず、計画の遅延さらにはコストオーバーランが多数発生したからだ。なかにはその規制の陥穽をついた反対運動もみうけられた。
しかしCOLなどの新たな制度が導入されても、その後10年間、新たな原子力計画はひとつも出なかった。トラブル続きで設備利用率が低くコスト面で不利だと認識されたと同時に、前述のとおり、電力自由化により、建設工程が長くなればそれだけ経営リスクにさらされると考えられたためである。