オバマ政権の環境・エネルギー政策(その2)

景気対策法とエネルギー政策


環境政策アナリスト

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 オバマ大統領の最大の課題はなんといっても100年に一度ともいわれる経済危機への対処である。米国発の金融危機が世界に波及し、米国内ではリーマン・ブラザーズを含む金融機関が次々と倒産し、公的資金が注入された。また米国を代表する基幹産業である自動車会社3社のうちゼネラルモーターズ(GM)、クライスラーの2社が倒産し、再編を迫られる事態となった。
 今回の危機は金融市場の過度な自由化が大きな原因である。しかし、自動車会社の破綻の原因の一端にはエネルギー問題があるともいえるだろう。世界一の自動車社会である米国で、2008年、原油価格が高騰し、ガソリン価格が一時1ガロン4ドル台に上昇した。イラク戦争以前は1ガロン1ドル以下だった。1ドルを越えることにそもそも心理的壁があった。
 米国の人々にとって車の運転は「自由」の象徴である。移動には公共の交通機関があっても自動車を使いたがる。しかしガソリン価格高騰によって、アメリカ車らしい排気量の大きい自動車に対し、日本車に見られるような燃費のよい自動車に相対的に人気が高まっている。それまでもビッグスリーの経営状況は良くはなく、さまざまな取り組みがなされていたが、そこを金融危機が襲ったため、ローンが支払えなくなった人々が続出。不良債権が拡大した。世界的にもビッグスリーの自動車販売は不調となった。
 この原油価格高騰は、米国人に改めてエネルギーについて考えさせることになった。現在のエネルギー政策をなんとかしなければならない、という共通認識が醸成されていたのだ。

グリーン・ニューディールと経済復興

 オバマ大統領は大統領選挙中の公約の中で、さまざまなエネルギーや環境に関する政策を掲げた。再生可能エネルギーの普及や、省エネルギー、エコカーの開発と普及などである。また中東やベネズエラに依存する石油からの脱却によるエネルギーセキュリティー確保の重要性に加え、環境産業振興による新たな雇用の確保、そして地球温暖化対策の2つを同時に成し遂げることを目標としており、グリーン・ニューディール政策とも呼ばれる。
 ちなみにグリーン・ニューディールという言葉を、オバマ大統領自身は使っていない。これは潘基文(バン・キムン)国連事務総長が使い始めた言葉だそうだ。2008年ポーランドのポズナニで開かれた国連気候変動枠組条約締約国会議(COP14)で、潘事務総長は経済危機からの立て直しと気候変動を別々ではなく同時に解決するための方策としてグリーン・ニューディールという言葉を用いていた。気候変動と戦う投資を行い、「グリーン・ジョブ」を生み出し、いわゆるグリーン成長(Green Growth)を促すことを彼はグリーン・ニューディールと言って提唱したのだ。グリーン・ジョブとは、再生可能エネルギーの導入や省エネルギーの推進を義務づける、あるいは政府補助によって関連産業の雇用を創出し、環境対策をより上位の雇用対策に結びつけることを指す。
 オバマ氏の大統領候補時代の公約が、グリーン・ジョブの創出などグリーン・ニューディールに沿った内容だったために、いつしかオバマ大統領の政策として知られるようになった。
 しかし、この政策は多くの政策立案者およびシンクタンクによって考案されていた。例えば外交問題評議会(CFR)のエネルギー・環境担当シニア・フェローであるマイケル・レビー(Michael Levi)氏は、まだ景気刺激法案が形になっていない2009年1月に、「経済危機という現実ゆえに、アメリカの温暖化対策は、少なくとも短期的には課税や規制という手法から政府支出へとシフトしていくはずだ。事実、ワシントンでは『グリーンな景気刺激策(環境対策を重視した景気刺激策)』という概念が支持を集めている。(中略)だが、あくまでも重視されているのは環境への配慮よりも、むしろ経済を刺激することにある」と述べている。(出典:Foreign Affairs & CFR Papers 2009 No.1 マイケル・レビー「経済刺激策と地球温暖化対策を一本化させよ」)
 ここで重要な点は、レビー氏とその周辺の政策立案者は、グリーン・ニューディールを打ち出の小槌とは認識していないことである。この発言でも「環境への配慮よりも、むしろ経済を刺激することにある」と述べている点に注目したい。アメリカではグリーン・ニューディールという言葉に踊らされていたように見えるが、このような冷静な見方をしていた識者もいた。しかし、企業はいかにグリーン・ニューディールに沿ったプログラムを開発して連邦政府からの支援を得るかに知恵を絞っており、多くの国民や関係者はその方向に走り出した。

オバマ大統領(左)と2008年大統領選を戦ったマケイン(McCain)上院議員