私的京都議定書始末記(その12)

-COP13とバリ行動計画-


国際環境経済研究所主席研究員、東京大学公共政策大学院特任教授

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 2007年12月、私はCOP13経産省代表団の一員としてバリ島のヌサドウア・ビーチにいた。その年の6月に資源エネルギー庁内で新設ポストの国際エネルギー交渉担当参事官に異動し、このポストのミッションの一つが気候変動問題だったからだ。2001年のCOP7以来、6年ぶりのCOPになる。久しぶりではあるが、交渉の雰囲気についてはMEMやAPEC、東アジアサミットの気候変動に関する議論から大体の想像はついていた。COP13における最大のイシューは京都議定書第1約束期間が切れる2012年末以降の枠組みのあり方であった。だからこそ、その前哨戦とも言うべきMEM、APEC、東アジアサミットでの気候変動に関する議論が対立的なものになったわけである。

プトウリホテル
バリ国際会議場

 宿舎となるプトウリ・ホテルにチェックインし、早速、外務省の小町地球環境大使、久島気候変動室長、環境省の谷津審議官、和田室長、島田交渉官等、代表団の主だったメンバーに挨拶した。経産省事務方ヘッドとなる本部資源エネルギー庁審議官は私が通産省に入ったときの最初の直属上司であり、25年近くたってまた一緒に仕事をすることになった。岡本地球環境対策室補佐は、私が1996年に貿易局総務課の補佐をしている時、新入生で入省してきた。地球環境対策室の前は外務省気候変動室に出向しており、気候変動交渉について各省の中でも最も豊富な経験を持っていた。私がエネルギー関連のマルチやバイに出張する際、必ずと言ってよいほど気候変動問題も話題になったため、岡本補佐にも出席してもらうことが通例であった。今回、COP13に参加するに当たり、岡本補佐に弟子入りし、最近の交渉状況について色々と教えてもらった。
 会場となるバリ国際会議場に行って会場内を歩き回って見ると、2000年~2002年に交渉に参加した頃にみかけた面々にしばしば出くわした。彼らは交渉官である場合もあるし、シンクタンクやNGOに移っているケースもあったが、「ああ、帰ってきた(てしまった)・・・」という思いがした。

 COP13初日のニュースは豪州の京都議定書復帰であった。保守党のハワード前政権はブッシュ政権と歩調を合わせ、京都議定書からの離脱を表明していたが、2007年秋の総選挙で労働党のラッド政権が誕生し、その選挙公約の一つが京都議定書への復帰だったのだ。豪州代表が京都議定書への復帰を全体会合で表明すると、会場は割れんばかりの拍手につつまれた。もっとも豪州は京都議定書で90年比8%増という極めて「恵まれた」目標を認められていたので、「あんな目標をもらっておきながら、離脱して、また戻るといっただけであんな拍手されるのか」と複雑な思いがした。

バリ国際会議場全体会合
京都議定書復帰を表明する豪州

 COP13における日本の最大の関心事は何と言っても2013年以降の枠組みに関する議論であった。日本は2007年5月に「美しい星50」において、2050年までに世界全体の温室効果ガス排出量を半減するという世界共有の長期目標を提唱するとともに、2013年以降の枠組みについては、全ての主要排出国の参加、各国の実情を踏まえた柔軟性、多様性、省エネ等による経済発展と環境保全の両立の3原則を提示していた。

 2005年から「長期協力に関する対話」というものが行われてはいたが、同時期に発足した京都議定書特別作業部会(AWG-KP)が京都第二約束期間における先進国の削減目標の設定という明確なミッションを持った作業部会であるのと比べると、位置づけも議論内容も非常に弱いものであった。単なる「対話」を超えたきちんとした「交渉の場」が必要であり、しかもそれは、米国の参加しない京都議定書の下ではなく、米国も参加する気候変動枠組み条約の下に置かれねばならなかった。幸い、2007年半ば頃から、米国も気候変動問題に対し、前向きな取り組み姿勢を示している。今後は何としてでも米国を逃がしてはならなかった。

 経産省交渉団の中では、岡本補佐がAWG-KPをフォローしていたが、本部審議官と私は「長期協力のための対話」をフォローしていた。マラケシュの時と異なり、バックベンチャーあるいは観戦武官として議論をウオッチするというものなので、比較的、気が楽でもあった。しかし議論を聞いていると安倍三原則を実現することは途方も無く大変なことだとの思いを新たにした。

 第1週目から豪州のバムジー大使と南ア環境省のサンディー女史の共同議長の下で長期協力対話に関するコンタクトグループが何度も開催されたが、議論は堂々巡りで一向に進まなかった。過去の経験から見ても、いずれにせよ、物事が前に進むのは閉会日直前であり、1週目から2週目の前半は各国が自分のポジションを繰り返すのみであることはわかっていた。そのうち、主要国だけがテーブルに座れるような少人数会合のセッティングになり、バックベンチャー用の壁際の椅子も限られているため、床にべったり座って議論を聞くようになった。

配られたドラフトを急いでチェック
長期協力行動に関するコンタクトグループ

 議論は多岐にわたるのだが、一つの焦点は、仮に京都議定書作業部会とは別に新たな場を作る場合、何を議論するかということだった。先進国は2013年以降の枠組み、しかも先進国のみならず、主要途上国も温室効果ガス削減に取り組む枠組みを議論すべきとの点で、完全に認識が一致していた。他方、予想されたことではあるが、中国、インド、南ア、ブラジル等の新興国はこれに激しく反発した。途上国の議論は、「現在の温暖化問題をもたらした先進国には歴史的責任がある」「途上国は一人当たり排出量と言う点では引き続き先進国よりも低い」「そもそも2013年以降の枠組みで途上国の応分の負担を議論する前に、先進国が条約上の義務である資金援助、技術移転をきちんと果たしているかどうかを議論すべき」等というものである。

 例えばフィリピンのベルナルディータス・ミュラー女史は途上国の名物交渉官だが、先進国がいかに「条約上の義務」である資金援助、技術移転を怠ってきたかにつき、条文第何条第何項を引用しつつ、20分以上にわたって滔々とまくし立てていた。私もアフリカで援助担当をしていたが、このコメントを聞いたら先進国の援助担当部局は著しくやる気を殺がれるだろうな、というような調子であった(ある米国の交渉官が、「彼女を交渉官としていることは、フィリピンへの二国間援助に悪影響を与え、結果的にフィリピンの国益に反するのではないか」と言っていたが、言い得て妙というべきだろう)。彼女の凄いところは、この手のコメントを十年一日のごとく繰り返していることであり、聞かなくても内容がわかるので、そのうち彼女がフロアを取ると自動的にメモをとる手を休めた。途上国の論客として存在感を示したのがブラジル外務省のマシャド局長だった。立場はもちろん違うのだが、「ああ言えば、こう言う」という練達の外交官で、「なるほど、こういう議論の展開をするのか」と唸ることもしばしばあった。その意味で、先進国からも一目置かれる存在であった。彼が後に発足する長期協力作業部会の共同議長になるのは、この時の印象が強かったからだろう。

 温室効果ガスの抑制・削減(これを国連交渉では「緩和」(mitigation)と呼ぶ)の有り方についても議論が白熱し、計測可能、報告可能、検証可能(measurable, reportable, verifiable)という表現が浮上してきた。後に交渉官の間ではこれを略してMRVと呼ぶようになる。ただ、この概念を先進国、途上国の緩和にどうあてはめるのかは、まだまだ議論が収斂しなかった。また先進国はハイリゲンダムサミットを踏まえ、地球全体の温室効果ガス半減等のグローバルな目標の共有(Shared Goals)の必要性を強調したが、中国、インド等の途上国がこれに強く反対したのは、APECサミットや東アジアサミットと同様である。

 予想されたことではあるが、膠着状態が続いたまま、第2週目後半を迎えた。閣僚セグメントが始まると、パンキムン国連事務総長が遅々として進まない交渉に苛立ちを隠さず、交渉官たちに対して「きちんと働け」と叱咤激励する一幕もあった。ようやく物事が動き出したのは14日金曜日晩の閣僚レベル非公式少人数会合だったと思う。これには外務省の鶴岡地球規模課題審議官と交渉経験の長い経産省の岡本補佐が参加した。我々を含む各国の交渉官たちは、会議室外で延々と待機である。待っている間、知り合いのエリオット・ディリンジャー氏(ピューセンター国際担当)やIEAで一緒だったジョナサン・パーシング氏(WRI)と立ち話をした。ディリンジャー氏は「金曜晩になってもこの状態じゃ、先行き暗いなあ」と言い、パーシング氏は「中国と国交回復したのはニクソン共和党政権だった。ブッシュ政権が中国とディールをすることは決して有り得ないシナリオではない」と言っていたことが記憶に残っている。ようやく午前2時頃になって鶴岡審議官たちが会議室から出てきた。まだ紙になってはいないが、「バリ行動計画」が少人数会合でまとまったということである。

閣僚非公式折衝

 その内容は多岐にわたるが、最も重要なポイントは、京都議定書特別作業部会(AWG-KP)とは別途、米国も参加する気候変動枠組み条約の下に長期協力行動に関する特別作業部会(AWG-LCA)を設け、2009年のCOP15までに結論を得るということである。更に長期目標の共有や、先進国のみならず、途上国の温室効果ガス抑制についてもバランスのとれた記述があるという。米国がきちんと参加する交渉の場が存在しなかったことや、長期目標、途上国の温室効果ガスの削減に関するこれまでの交渉経緯から考えれば、非常に大きな成果と思われた。ただ、そんな先進国にとって満点の交渉結果になることは有り得ないのであって、具体的なバリ行動計画の文言には、色々な解釈を許容する玉虫色の表現が多々、盛り込まれていた。次回で、実際の文言をご紹介しつつ、「バリ行動計画の読み方」について若干の解説を加えることとしたい。

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