オバマ・イニシアティブ・ショック?


国際環境経済研究所主席研究員

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環境物品交渉の幕開け?

 7月23日付で通商専門日刊紙(Washington Trade Daily)は”US Initiates Environmental Discussion”と報じた。昨年のAPEC首脳会合(於:ウラジオストク)で合意された環境物品自由化54品目をベースに、米国が主導して環境物品サービス自由化交渉をジュネーブ(すなわちWTO)で進めるべく当該テーマに関心の高い少数国(米国はじめ、日本、EU、カナダ、豪州、NZ、スイス、ノルウェー、韓国)を招集して議論を開始させたというものである。

 そもそも本件は6月23日に公表されたオバマの気候変動行動計画(THE PRESIDENT’S CLIMATE ACTION PLAN – June 2013)に遡る。その中では、わざわざ一項目を立てて“環境物品及びサービスでグローバル自由貿易を交渉”注1)と高らかと打ち上げていたがこれは通商交渉屋達には驚きをもって迎えられたようだ注2)。理由は大きく2つであろう。1つは、米国がTPP交渉やTTIP(環大西洋貿易パートナーシップ:米とEUによるFTA)交渉といったメガFTAに重点をシフトしている中でなぜマルチのWTOを交渉の場と選ぶのか。もう1つは、APECの環境物品自由化品目注1中、筆者の下線部を参照)をジュネーブに持ち込むことは交渉技術的に一筋縄ではいかないと見られているからだ。

言うは易く行うは難し

 前者については、プルリFTAだけでなくマルチWTOにも引き続き米国はコミットしていると示すためといった政治的な解説は思いつくが、想像の域を越えないのでここでは論じない。一方、後者については技術的に分析しうるので、いくつかの側面から考えてみたい。

(1)
法的拘束レベルの違い(ボランタリーかバウンドか)
 APECでの合意はいわゆるボランタリーベースと言われる。すなわち、極端なことをいえば、APECで合意した環境物品自由化(実行関税率注3)を5%以下)を実施していなくてもOKだ。政治的な非難は受けるかもしれないが、約束を実施していないとして法的に訴えられることはない。一方、WTOでの自由化という場合は「譲許関税率」(法的に拘束)を指す。したがって、これに反する場合はWTO上の法的紛争処理に持ち込まれることになる。このようにハードルが一気に上がってしまうのである。
(2)
品目確定(定義)の困難性
 上記(1)のとおり法的レベルが違うがゆえに、環境物品の「定義」や品目確定(すなわち、税関で品目を認識するための詳細規定(ex-out))をその法的レベルに耐えうるように設計することは極めて困難な作業となる。APECの環境物品リスト注4)を見れば一目瞭然だが、多くの品目にはex-outの欄があり、例えば、ガスタービンに使われる部品であっても、その部品はある特定の品目に使用されるものに限る、といった具合である。こうした実施細目を厳密に詰めるのは、通商交渉屋ではなく税関当局の専門家となるので、各国とも組織上の壁を越えなければならないという実態上の問題も潜むのである。
(3)
域内のみ適用か全世界(全加盟国)共通(MFN)か
 APECであればAPEC域内だけの適用となるが、マルチWTOの場合は基本的にMFN原則(例外なくどの加盟国にも自由化)適用となる。環境物品主要関係国は日本・中国・アセアンをはじめ既にAPECメンバーとして自由化対象に保証済みである。米国は並行的にTTIPもEUと進めているわけであるから、米国にとってみれば既に必要な自由化対象国は既に取り込み済みであり、わざわざ敢えてMFNを適用させハードルの高いWTOに持ち込むことはリスク(APEC合意をベースにしたマルチ交渉が失敗すればAPEC合意も揺らぐ可能性が出る)ですらあると言えよう。この点は現在進められているITA拡大交渉注5)とはその事情が異なる。
(4)
頓挫しているドーハラウンドの一部
 また、この環境物品自由化交渉をマルチWTOの場で再起動させるには、10年以上も交渉が継続した挙げ句に頓挫したとも言われるドーハラウンドの呪縛から逃れる必要がある。2001年のドーハ宣言ではその交渉対象として環境物品を明示的に挙げて交渉マンデートに合意しているからだ注6)

克服しうる要素

 こうした技術的な困難性から、APECで丸め込んだ中国がジュネーブでも参加してくるかは全くの不透明といえる。ましてや、ITA拡大交渉そのものも、中国が一つの大きな原因として頓挫の危機にあるとも言える状況だ注7)。そういったリスクがある中だからこそ、米国がこの交渉を進めようという単純な商業的意図は(ないし政治的意図も)理解しうる。しかし、あるシンクタンクの試算では、APEC環境物品自由化の経済的効果は限定的であると指摘している。APECの下では、実際の関税引き下げは平均2.6%から平均1.8%までわずか0.8%しか下がらないと試算されるからである注8)

 そのように限定的にとどまる可能性のある商業的利益であるにもかかわらず注9)、産業界の関心も得て実際の交渉が動き出すためには、先駆的取組としてのITA拡大交渉の成功裡での妥結、ドーハラウンドとの切り離し(ITA拡大交渉はドーハラウンドの一部ではない)、中国の参加といった諸点が“技術的”困難性を越えて“政治的”に必要となってくるであろう。視野が狭くなっているとも見える通商交渉屋にとってネガティブなショックで迎えられたこの米国イニシアティブが、ポジティブなショックも生むかどうか、今後の動向が注目される。

※ 本文中、意見にかかる部分は筆者の個人的見解であり、所属する組織等を代表するものではない。

注1)
http://www.whitehouse.gov/sites/default/files/image/president27sclimateactionplan.pdf
”The U.S. will work with trading partners to launch negotiations at the World Trade Organization towards global free trade in environmental goods, including clean energy technologies such as solar, wind, hydro and geothermal. … The APEC list will serve as a foundation for a global agreement in the WTO, with participating countries expanding the scope by adding products of interest. Over the next year, we will work towards securing participation of countries which account for 90 percent of global trade in environmental goods, representing roughly $481 billion in annual environmental goods trade. …” (下線は筆者。)
注2)
当地(ジュネーブ)を中心に活動するシンクタンク(ICTSD:International Centre for Trade and Sustainable Development)との議論(写真)や当地メディアの記者との意見交換等に基づく。

注3)
実行関税率は実際に運用されている関税税率で、それとは別途に譲許関税率があり、譲許税率は法的にそれを超えない約束した税率であり、それを(自主的に)下方適用することが通例。よく「保護主義的措置」としていわれるのは、譲許関税率が10%であっても実行関税率が5%で運用されている場合、その実行関税率を8%まで上げる手法がある。これは「ウォーター」ともいわれるが、譲許関税率を上回っていない以上何ら法的問題は生じない。
注4)
http://www.apec.org/Meeting-Papers/Leaders-Declarations/2012/2012_aelm/2012_aelm_annexC.aspx
注5)
拙稿「WTOは環境も救うか」でも紹介しているが、現在WTOで進められているITA(情報技術協定)拡大交渉は、本件とその性質を異にしている。JETRO、OECD等の研究でも論じられているが、情報通信機器はいわゆるGlobal Value Chainの生産システムに組み込まれており、パッチワーク的なFTAでは対応出来ないため、IT産業界もマルチWTOでの自由化を望んでいるという背景がある(FTAの恩恵を受けるための原産地証明を多様な生産実態に合わせて取得しなければならずそのコストが膨大となるので原産地証明が不要となるマルチ対応を望むのである)。幅広い分野が対象となる環境関連物品には必ずしもその事情が当てはまらない(例えば、APEC対象である竹製品の床パネルはGlobal Value Chainの下で生産されているだろうか?)。
注6)
ドーハ閣僚宣言より抜粋(パラ31)
31. With a view to enhancing the mutual supportiveness of trade and environment, we agree to negotiations, without prejudging their outcome, on:
(i) the relationship between existing WTO rules and specific trade obligations set out in multilateral environmental agreements (MEAs). The negotiations shall be limited in scope to the applicability of such existing WTO rules as among parties to the MEA in question. The negotiations shall not prejudice the WTO rights of any Member that is not a party to the MEA in question;
(ii) procedures for regular information exchange between MEA Secretariats and the relevant WTO committees, and the criteria for the granting of observer status;
(iii) the reduction or, as appropriate, elimination of tariff and non-tariff barriers to environmental goods and services.
We note that fisheries subsidies form part of the negotiations provided for in paragraph 28.
注7)
ITA拡大交渉が暗礁に乗り上げてしまったことについて7月17日にUSTRフローマン代表は中国を名指しで批判する声明を発表した。
http://www.ustr.gov/about-us/press-office/press-releases/2013/july/amb-froman-disappointment-ita
“The United States is extremely disappointed that it became necessary today to suspend negotiations to expand the Information Technology Agreement (ITA). Unfortunately, a diverse group of Members participating in the negotiations determined that China’s current position makes progress impossible at this stage. We are hopeful that China will carefully consider the concerns it heard this week from many of its negotiating partners, and revise its position in a way that will allow the prompt resumption of the negotiations.” (下線は筆者)
注8)
ICTSD, “The APEC List of Environmental Goods – An Analysis of the Outcome & Expected Impact” (April 2013)
注9)
APEC環境物品自由化品目は54品目に留まっている。もちろん、オバマイニシアティブでは関心品目の拡大(注1中、by adding products of interestの箇所)も志向しているが、確定的な54品目から更に積み上げ方式で拡大していくことは交渉技術的に難しいとの見方がある。

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