ドイツで自由化による電気料金引き下げは観察できるか


Policy study group for electric power industry reform

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3.
上記立論(C)は成立するか

 立論(C)は、立論(A)及び(B)が成立していると仮定して、「自由化後の『燃料以外の発電費用』の上昇率が『一般物価』の上昇率を下回ることを示したことになり、自由化の費用削減効果を強く示唆することになる」との立論である。つまり、燃料以外の発電費用が実質価格で低下すれば、自由化の成果を強く示唆するとの主張と理解するが、これについて、著者は自明と考えていると思われる。ただし、一般論として財の実質価格の低下=自由化の成果が自明と考えているのか、「燃料以外の発電費用」に限って自明と考えているのかは定かでない。
 電気事業のような設備産業の場合、過去に行った投資に起因する費用(つまり減価償却費)が、費用に占めるウェイトが高ければ、たとえ自由化が行われなかったとしても消費者物価の上昇ほどに電気料金(あるいは燃料以外の発電費用)が上昇しない、つまり実質価格で低下することは総括原価制度の下でも規制側が適切に対応すれば起こりうる。したがって、立論(C)は、少なくとも電気事業では自明ではなく、立論(C)が成立するためには、「自由化が実施されなければ、燃料以外の発電費用は実質価格で低下しない」ことが証明される必要がある。
 実際のところ、日本や米国でも需要が低成長に移行した1980年代半ば以降は、電気料金は実質価格で低下傾向にあった。ドイツは、表2に示すとおりである。自由化前の12年間(1986~1998年)で観察してみると、消費者物価の上昇率は31%、対して家庭用電気料金の上昇率は15%であるので、電気料金は実質12%(=1-1.15/1.31)低下している。つまり、自由化前から電気料金は実質価格で低下していたわけである。立論(C)を主張するには、例えばこの間の電気料金の低下が、比較的安定していた燃料費によって説明できることを示す必要があると思われる。

表2:ドイツにおける消費者物価指数と電気料金単価(税抜き)の推移(自由化前)

出所:IMF – World Economic Outlook Databases、IEA -ENERGY PRICES & TAXES

 以上、著作における本来の著者の立論を検討してきたが、ドイツで自由化による電気料金引き下げが観察できることを説得的に示すには至っていないと思料する。上記の1.2及び1.3で検討したデータは、むしろ立論とは逆の方向、つまり自由化後は電気料金が実質価格で上昇している可能性を示している。自由化して電気料金が上昇しているとすると、何らかの原因で市場がうまく機能していないことを考える向きが多いと思われるが、実はこれは自由化の自然な帰結の可能性もある。
 自由化とは、平均費用により電気料金が決まる世界から、限界費用により電気料金が決まる世界に移行することを意味する。例えば、ピーク電源である石油火力が、発電電力量に占める割合は少なくても、稼働している時間帯においては、その短期限界費用(≒燃料費)が市場全体の価格を決める。石油価格が高騰すれば、電力の市場価格も上昇し、石油火力が稼働した時間帯に稼働していたベース電源は従来よりも大きな利益を得る。その一方で、市場で発現する限界費用に基づく価格が、ベース電源を含む平均発電費用を上回れば、電気料金は自由化前よりも上昇することになる。
 筆者は、自由化後のドイツでは上記のような現象が起こっているという仮説を検証する価値があると考えている。そして、これにより電気料金が上昇したとしても、市場価格が限界費用で決まっている以上は、死荷重が増えずに生産者余剰が増えているだけであるので、経済学の観点から見れば問題のない現象である。そして、これはドイツの電気事業でコスト削減が進んだかどうかとは別の問題である。コスト削減の成果は別途検証すべきものだ。自由化を議論する中で、この側面はあまり理解されていないように思える。
 つまり、自由化の効果とは;

市場が普通に機能したとしても、従来より電気料金が上がることはあり得る、
しかし、そうした料金上昇は社会厚生を損なうものではないので、問題はない、
かつ、これによる料金上昇は、自由化によるコスト削減効果と矛盾しない(コスト削減の成果は別途検証すべきもの)、

と記述すべきものではないだろうか。議論するにあたっては、厳密さを欠く数値計算に基づく楽観論や悲観論だけではなく、こうした自由化の側面がもっと率直に語られるべきではないかと思料する。(注9、注10)
 加えて、ここで改めて思うのは、燃料市場の重要性である。燃料市場価格が独占的価格であると、電気料金が高くなる悪影響がある。これは電力市場が自由化してもしなくても変わらない。しかし、限界費用を決める決定的な要因は燃料費であるので、その悪影響は自由化市場では更に大きい。つまり、燃料市場で適切な価格が発現することは、自由化をした場合にその重要性を更に増す。特に、燃料のほとんどを輸入に頼る我が国には重要な視点であることを改めて認識させられる。

(注9)
著者が優れた電力システムとしてよく言及されるノルウェーは、この10年で電気料金は2倍以上になっているが、これについて著者は「ノルウェーの電気事業は大変な輸出産業である」と主張している(出所:公益事業学会政策研究会シンポジウム(2012年2月29日) のパネルディスカションにおけるご発言。この主張から想像するに、著者はノルウェーの電気事業については、電気料金が上昇しても、死荷重が増えずに生産者余剰が増加している状況であり問題ないとの考えと拝察する。(ただし、国内産業は高くなった電気料金の影響を受けるわけであるので、ノルウェーの国民経済全体から見てどうかは議論の余地があるかもしれない。)
 
(注10)
本研究会の論考では、「単に市場(限界費用による価格発現)に委ねるだけでは、固定費が回収できない」という問題を何度か採りあげている。ドイツでもこの問題が顕在化しているが、これと市場価格高騰は矛盾しない。市場価格が高騰してもピーク電源にとっては、限界可変費相当の価格であるので、固定費は回収できない。ベース電源が市場価格の上昇で、従来よりも大きな利益を上げたとしても、だから赤字構造のピーク電源を廃棄するなと事業者が強制されるいわれは、自由化である以上ない。加えて、ピーク電源を保有する事業者が必ずベース電源を保有しているとも限らない。そのため、ドイツでは、政府が、火力発電所を保有する発電会社に許可なく設備を廃止することを禁じるとともに、系統安定上必要であると認定した火力発電所については5年間の運転継続を命じ、この間の火力発電の維持にかかわる費用を政府が補てんすることを決定しているわけである。(過去記事「二兎を追った先にある悲劇」)

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