京都議定書の“終わりの終わり”

国連気候変動枠組み交渉の現場で見た限界点


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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 国連気候変動枠組み交渉の現場に参加するのは実に2 年ぶりであったが、残念なことに、そして驚くほど議論の内容に変化は見られなかった。COP18で、京都議定書は第2約束期間を8年として、欧州連合(EU)・豪などいくつかの国が参加を表明、2020年以降の新たな枠組みについてはその交渉テキストを15年までに固めることは決定した。しかし前者は世界全体の排出ガスの約14%しかカバーできず、後者は交渉する項目の整理すら進まず既に実現が危ぶまれている。ここまで混迷する気候変動枠組み交渉とは何なのか。交渉現場で見えたことを中心にお伝えしたい。

気候変動枠組み交渉の「スマート化」

 国連気候変動枠組み交渉の現場を久しぶりに訪れて驚いたのは、紙の配布物がないことだった。
 つい2年前、メキシコのカンクンで開催されたCOP16はまだ、交渉スケジュールやドラフト案は紙が主体だったが、今や「Paper Smart」。スマートフォン(高機能携帯電話)やタブレットでバーコードを読み込んでその先にあるドキュメントを探しにいくか、通信機器がついていないPCしか持っていない人にはUSBで配布してくれる。国連事務局の運営は、少しずつスマートになっているようだ。
 しかし交渉の中身は全くスマートになっていない。時折強いデジャヴ(既視感)に襲われ、自分がどこにいるのかわからなくなるほどだった。

変わらぬ交渉スタンス

 交渉の現場で念仏のように唱えられる気候変動枠組み条約の第3条1項が定める「CBDR」(Common but Differentiated Responsibilities:先進国と途上国は気候変動問題に対し共通の責任を負うが、その程度には差異があるとする原則論)。同じ条文に「respective capabilities」(それぞれの対応能力に応じて)との文言もあるのだが、先進国と途上国の単純な二分論にこだわり続ける新興国、途上国の主張は見事なまでに以前と変わらない。
 今回のCOPでは、先進国から途上国に対する資金支援が大きな争点となった。2009年のCOP15において、先進国全体で10年から12年までの3年間に300億ドルを追加援助し、20年までに年間1000億ドルにする資金動員目標が約束された。前者については日本が「鳩山イニシアチブ」に基づいて約133億ドル、先進国全体の約40%分を拠出するという「過大な」貢献をしたこともあって目標を上回る支援がなされた。今後の長期的資金支援を具体化させたい途上国と、厳しい経済状況の中で明確な資金支援策を示すことができない先進国の間で交渉が難航したのだが、事態をさらに難しくしたのは、短期資金支援に対する途上国の感謝のなさであった。日本政府交渉団が強く主張した通り、先進国側からすればこれでは納税者に対する説明責任を果たし得ない。しかし途上国からすれば、温暖化は先進国が産業革命以降に化石燃料をふんだんに使って二酸化炭素(CO2)を排出してきた結果であり、資金・技術支援を行うのは当然果たすべき「義務」なのだ。そのため、技術支援においても知的財産権を全く無視するような条件が出されるなど、先進国からすれば「ご無体な」と思わざるを得ない要求を突きつけてくる。先進国は加害者、途上国は被害者とする原則論は、温暖化問題を南北問題にしてしまうだけでなく、1992年の気候変動枠組み条約締約時や97年の京都議定書締約当時の先進国と途上国の分類を固定化させることで、温暖化対策の実効性も失わせている。