電力自由化論の致命的な欠陥
澤 昭裕
国際環境経済研究所前所長
このように、結局、現在政府で進められている自由化論議は、原子力発電の取り扱いやエネルギーミックスに関する選択肢など、本来であれば総合的に検討されるべき課題との関連づけが不明なまま、進められているというほかない。
その意味では、いま政府が進めている自由化論は単なる「火力自由化論」というべきものになっている。原子力発電所や再生可能エネルギーを市場に将来組み込んでいく予定なのか、それとも永遠に組み込まないのか、その点がどうなるかによって、卸電力市場の制度設計が大きく異なってしまうのに、その点についての確たる見通しが示されていないからだ。例えば、原子力発電所から生まれた電気が卸電力取引市場に投入されることになれば、今後の事故リスクやバックエンドのコストについて、その電気の受益者によって何らかの分担がなされなければならないだろう。その場合、リスクやコストの分担制度がどのように設計されるかによって、新電力側の規制緩和への対応や経営判断が大きく影響を受ける。
また、今回はこれまでの自由化議論で必ず取り上げられてきたストランディド・コスト(自由化等政策変更に伴って、それまで行われてきた巨額の投資が回収できなく費用)についての議論が行われていない。2030年代稼働ゼロを目指すとされた原子力発電について、これ以上ない大きな政策変更がなされたと言ってよい。もしこの政策変更が確定するようであれば、原子力発電及びバックエンドへのこれまでの投資について、どのような補償がなされるのかが大きな問題となる(脱原発を決めたドイツでは既に問題化している)。また、供給義務が法的に課されているがゆえに維持してきていたとみなされる火力発電などの設備についても、同様の論点が存在する。
今後競争市場において公平な競争を実現しようとすれば、スタートポイントであるこの時点で、これまでの設備形成の結果生じている各競争主体間のコスト構造の差を、何らかの公正な基準で解消しておく必要があるということだ。
小売り自由化はどうなるのか
政府の自由化論議で抜け落ちている第二の論点は、小売りの自由化をどうするのか、である。
これまでの改革論は、いかに電力会社の既得権を剥奪するかということに重きが置かれており(電力システム改革委員会では、そのような旨の発言が散見される)、発送電分離や卸電力取引市場という供給サイドの話しかされていない。ところが、原子力発電所事故を契機に電力システムについて関心を持ち始めたユーザーは、家庭を中心とする小口ユーザーだ。彼らは、たんなる安さだけではなく、むしろ料金メニューや購入する電源、購入先の電力会社について「多様な選択肢が提供されること」を望んでいるというのが筆者の実感である。
ひと言でいえば、今後は発電分野の競争に重点を置くよりも、ユーザーへのサービスを巡る競争を促進する政策に焦点を当てていくべきなのである。その際、たとえば新規参入業者に与えるライセンスはどのような条件の下で認められるのか、それとも完全自由化されてライセンスそのものが不要となるのか。既存の大手電力会社の小売部門と配電部門はどのように再構成されるのか。どんな事業体や企業が、どんなサービスを提供できるようになるのかといった論点や、その際の競争ルールはどうなるのかなど、小売り分野での政策が全く具体的に議論されていないのは、正直、異様な感すら覚える。
本来、電力改革でもっとも便益を享受すべきなのは、供給事業者ではなく、末端のユーザーであるべきだからだ。現在の改革が進行した場合に料金がどうなるのかという基本的なデータさえ開示されていないのはどうしたことだろうか。このままでは、新規参入主体と従来の電力会社との間の利益調整の場に成り下がってしまいかねない。