原子力損害賠償法の改正に向けて②
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
個々の条文制定の背景や問題点は次回以降で扱うとして、第1回で述べた通り、原子力損害賠償制度は「被害者保護」及び「原子力事業の健全な発展」の二つの目的を、等しい重さで掲げている。田邉朋行社会経済研究所上席研究員は、電力中央研究所報告「福島第一原子力発電所事故が提起した我が国原子力損害賠償制度の課題とその克服に向けた制度改革の方向性」において、「国の原子力政策と実際の立地活動が、制度の二つの目的の相乗効果を強調させ、結果として、国のよる援助に対するナイーブともいえる期待という形で、原子力事業者の一部の層に対して、法制度上のリスクに対する認識を減衰させてしまった側面があるのではないか」と指摘している。
二つの目的の相乗効果とはすなわち、「原子力事業が健全に発展し、事業者に賠償資力が備わってこそ、被害者救済が現実問題として約束され、逆に、被害者救済が約束されてこそ原子力発電所の立地が促進され、原子力事業の健全な発展が可能となる」とする認識である。しかし、我が国の原賠法においては、事業者の賠償資力を上回る被害が発生した場合、国が無条件に援助を行う規定にはなっておらず(原賠法第16条)、そうした状況下においては、この二つの目的はトレード・オフの関係(田邉研究員はこれを「相克性を持つ」と表現する)になる。相乗効果が強調されすぎたが故に、国の支援に対するナイーブな期待感が発生し、事業者の責任の在り方に関する議論が曖昧なままであったとする田邉研究員の論考は、原賠法に限らず、原子力関係者の意識を的確に反映しているように筆者には思え、非常に興味深い。
我が国において初めて原賠法が適用されたのは、1999年9月30日に発生したJCO臨界事故に際してであった。賠償総額は約150億円と、当時の事業者の賠償措置額10億円を大きく上回ったものの、国による事業者への支援は行われなかった(JCOの親会社がこれを拠出した)。これは、事故の原因が、事業者によるルール外の作業にあるとされたためだろうが、ここで国が事業者に援助を行うべき場合はどのようなケースでその援助の規模や範囲はどの程度であるか、について一定のルールを決めておくべきであったろう。冒頭述べた通り、原賠法のスキームは昭和36年、すなわち日本で最初の原子力発電が行われる2年も前(昭和38年10月26日、茨城県東海村に建設された動力試験炉により最初の発電が行われた)のことであり、国の財政基盤も電源構成における原子力発電の占める役割も全く異なる中でのことであった。賠償措置額の引き上げ等、原賠法の見直しは適宜行われていたが、根本的な曖昧さを残したまま福島の事故を迎えてしまったことは、真摯に反省すべきであろう。