原子力損害賠償法の改正に向けて②


国際環境経済研究所理事・主席研究員

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我が国の原子力損害賠償法

 我が国では、昭和36年、原賠法及び「原子力損害賠償補償契約に関する法律」(以下、「補償契約法」と言う)が制定された。基本原則は前回述べた各国の原子力賠償制度とほぼ同様であるが、いくつかの特色を持っている。以下に条文を確認するが、全体像を把握するうえで、原子力損害賠償制度が私人対私人の紛争解決を規定する民法の中の特別法として位置づけられていることを、先ずは踏まえておく必要があろう。

 通常民法の不法行為責任は、行為の違法性(権利侵害)、加害者の故意または過失(注意義務、結果回避義務双方を怠ったこと)、損害の発生、行為と損害の間の相当因果関係の4要件を充足して初めて発生するとされる。しかし、原子力事故については、被害者の損害賠償請求を容易にし、その保護を十分なものとするため、原賠法は原子炉等を設置している原子力事業者無過失・無限責任を負うことを規定している(同法第3条・第4条)。但し、「損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときにはこの限りでない」(同法第3条第1項)と免責要件を定めている。
 また、メーカーや工事会社等の民間企業が巨額の賠償責任を負うことを恐れて参入しなくなる事態を避け、原子力産業を健全に育成することを目的に、また、メーカー等も責任を負う可能性があれば、それに対して保険加入を求めるようになるが、そうなると保険業界として、各事業主体に十分な保険を用意できなくなる事態を避ける ために「原子力事業者以外のものは、その損害を賠償する責めに任じない」(同法第4条第1項)として、原子力事業者に責任を集中させている。
 責任要件を厳格にするだけでなく、事業者が賠償を行う十分な資力を持ちうるよう、損害賠償資力に関する措置を講じることを義務付け(同法第6条)ている。具体的には、民間の保険会社等との原子力損害賠償責任保険契約(同法第8条)、政府との原子力損害賠償補償契約(同法第10条)を締結することが義務付けられており、事業者が巨額の損害賠償責任を負って資金不足に陥ること、また、それにより被害者が十分な賠償を得られない事態を避けることとしている。事故当時の福島第一原子力発電所の保険契約及び補償契約それぞれの金額は、法律制定当時のそれぞれ50億円から数次の改定を経て1200億円に引き上げられていたが、今回の賠償額はその措置額を遥かに超えるものと予想される。(未だ事故収束には至っておらず、推計値でしかないが、2011年10月3日に「東京電力に関する経営・財務調査委員会」が発表した報告書によると「一過性の損害分として約2兆6,184億円、年度毎に発生しうる損害分として初年度分約1兆246億円、2年度目以降単年度分として、約8,972億円」とのこと)

 措置額を超えた場合の被害者保護はどう図られるのか。原賠法第16条は「政府は(中略)この法律の目的(=被害者の保護及び原子力事業の健全な発達という二つの目的が併存:筆者注)を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行うものとする(第1項)。前項の援助は、国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内において行うものとする(第2項)」と定める。なお、原子力損害が異常に巨大な天災地変または社会的動乱によって生じたものであるとき、すなわち第3条第1項ただし書の免責に該当するときには、「政府は(中略)被害者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにする」(同法第17条)とされる。

 個々の条文制定の背景や問題点は次回以降で扱うとして、第1回で述べた通り、原子力損害賠償制度は「被害者保護」及び「原子力事業の健全な発展」の二つの目的を、等しい重さで掲げている。田邉朋行社会経済研究所上席研究員は、電力中央研究所報告「福島第一原子力発電所事故が提起した我が国原子力損害賠償制度の課題とその克服に向けた制度改革の方向性」において、「国の原子力政策と実際の立地活動が、制度の二つの目的の相乗効果を強調させ、結果として、国のよる援助に対するナイーブともいえる期待という形で、原子力事業者の一部の層に対して、法制度上のリスクに対する認識を減衰させてしまった側面があるのではないか」と指摘している。
 二つの目的の相乗効果とはすなわち、「原子力事業が健全に発展し、事業者に賠償資力が備わってこそ、被害者救済が現実問題として約束され、逆に、被害者救済が約束されてこそ原子力発電所の立地が促進され、原子力事業の健全な発展が可能となる」とする認識である。しかし、我が国の原賠法においては、事業者の賠償資力を上回る被害が発生した場合、国が無条件に援助を行う規定にはなっておらず(原賠法第16条)、そうした状況下においては、この二つの目的はトレード・オフの関係(田邉研究員はこれを「相克性を持つ」と表現する)になる。相乗効果が強調されすぎたが故に、国の支援に対するナイーブな期待感が発生し、事業者の責任の在り方に関する議論が曖昧なままであったとする田邉研究員の論考は、原賠法に限らず、原子力関係者の意識を的確に反映しているように筆者には思え、非常に興味深い。

 我が国において初めて原賠法が適用されたのは、1999年9月30日に発生したJCO臨界事故に際してであった。賠償総額は約150億円と、当時の事業者の賠償措置額10億円を大きく上回ったものの、国による事業者への支援は行われなかった(JCOの親会社がこれを拠出した)。これは、事故の原因が、事業者によるルール外の作業にあるとされたためだろうが、ここで国が事業者に援助を行うべき場合はどのようなケースでその援助の規模や範囲はどの程度であるか、について一定のルールを決めておくべきであったろう。冒頭述べた通り、原賠法のスキームは昭和36年、すなわち日本で最初の原子力発電が行われる2年も前(昭和38年10月26日、茨城県東海村に建設された動力試験炉により最初の発電が行われた)のことであり、国の財政基盤も電源構成における原子力発電の占める役割も全く異なる中でのことであった。賠償措置額の引き上げ等、原賠法の見直しは適宜行われていたが、根本的な曖昧さを残したまま福島の事故を迎えてしまったことは、真摯に反省すべきであろう。

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