WTOは環境も救うか?
菊川 人吾
国際環境経済研究所主席研究員
ITは効率化だけか?
こうした関税撤廃対象製品の拡大は既に専門誌にも取り上げられているようにデジタル製品ユーザーにとって朗報であろう。しかし、ITデジタル製品という分野だけにその政策的意義を留めるべきなのだろうか。シンポジウムでキーノートスピーチを務めた中鉢氏のプレゼン資料によればIT製品が生み出す価値を人間の生活すべて(医療、環境、農業、防災等々)に影響を与えるものとして単なる経済的価値に留めるべきでないと訴えられたようだ。会場で聴いた人によれば、その点が、他の主要先進国の元交渉官の声高かつ強圧的?とも取れる拡大交渉開始の主張が途上国を中心に違和感のあった様子だった一方で、多くの途上国を含む会場全体の好評を得られたとのことである。
COP交渉と同様、WTOもマルチ交渉であり、基本的にあらゆる途上国を含めてコンセンサスを得ることが前提である。このITA拡大交渉もその前提で進むことになろう。その際、この貿易自由化が途上国にどのような富をもたらすのか、経済的側面だけで説明していては賛同が得にくいであろう。実際にITA委員会公式会合の場では一部途上国からは完全な賛同を得られていないとの話もあるようだ。(注4)
交渉という側面から経緯を追ってみると、昨年APEC首脳宣言でこのITA拡大交渉を進めるべきと決定されたことが契機となっている。実は、その首脳宣言には別パラグラフではあるが、”Promoting Green Growth”の意義の下、APEC域内で2015年末までに環境物品の関税を5%以下にすべく、その環境物品リストを作ろうと決められていた。しかし、その環境物品交渉に関しては目立った動きは見えないのが実情のようである。
もしそうであれば、このITA拡大交渉の対象品目をITデジタル製品と狭く捉えて交渉するのではなく、この環境物品交渉も一部先取り出来るような内容を目指してはどうか。それは、中鉢氏が指摘していた人間生活にとっての意義にも繋がるのではないか。冒頭引用した報道によれば、交渉対象品目として取り上げられる可能性として、リチウムイオン電池もあるようである。これは新エネルギー導入を進めるのに欠かせない製品であろう。それ以外にも、IT製品そのものといってよい“ビルや家庭用のエネルギーマネジメントシステム”といった”スマート”に資するものもIT製品として拡大交渉の対象として進めてもよいのではないか。
まだどういった製品群が拡大対象となりうるのか分からず、まさに交渉はこれからのようである。しかし、そうしたITに名を借りた環境製品も対象となって交渉が妥結すれば、冒頭引用報道にあった“国際競争力が比較的高いデジタル製品を生産する日本企業にとって追い風”という記述も“環境製品とデジタル製品に国際競争力を有する日本企業にとって追い風”という見出しに変わるはずであろうし、そうなることを期待したい。
(※本文中の記述は、筆者の個人的見解であり、筆者の属する組織を代表するものではない。)
(注4)
このITAには中国も参加しているが、中国がこの交渉に応じる姿勢になっている(冒頭引用報道参照)という点は、WTOでの交渉が米中対立を軸に膠着していると見受けられる事情にかんがみれば興味深く、マルチの交渉構造を考える上で大いに今後の参考となろう。この点はまたいずれ考察してみたい。
(参考)
1.WTOのITA委員会公式会合の結果
http://www.wto.org/english/news_e/news12_e/ita_15may12_e.htm
2.WTOのITA15周年記念シンポジウム
http://www.wto.org/english/tratop_e/inftec_e/symp_may12_e/symp_may12_e.htm
3.日経トレンディネット
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20120517/1041055/?rt=nocnt
4.WTOのITA15周年記念シンポジウムでの中鉢氏のプレゼン資料
http://www.wto.org/english/tratop_e/inftec_e/symp_may12_e/speaker3chubachi.pdf
5.APEC首脳宣言(2011年ホノルル)
http://www.mofa.go.jp/policy/economy/apec/2011/pdfs/aelm_declaration_1111.pdf