エネルギーコストが2割も上がるのは国難である

浦野光人氏・経済同友会「低炭素社会づくり委員会」委員長/ニチレイ会長に聞く[前編]


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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日本の成長において、原発問題が停滞するのは国難である

――安全性が高く、安定的なエネルギーの確保は、日本だけでなく世界にとっても大事なことですね。

浦野:化石燃料は埋蔵量の懸念がありますし、持続可能性という部分では常にひやひやしています。今後、世界の人口は確実に80億人以上になると言われるなかで、人類が持続的な発展を求めるのなら、早急に再生可能エネルギーを安定的で低コストのエネルギー源に変えていくのと同時に、原子力発電が最終廃棄物の心配もなく稼働できるようにしていくしかないと思います。だから、原発の問題が本当に国民の皆さんの納得を得られないとしたら、もう国難として対処するしかありません。

――国難ですか。

浦野:そうです。エネルギーコストが2割も上がって、一般市民の方々も企業もそれに耐えていかなくてはいけないわけですから。日本は20年間成長していませんが、今後、成長しようと考えているのだとしたら、原発の問題が停滞することは国難です。

――今の状況を国難だと考えている国民は少ないかもしれません。

浦野:そういう議論をしてないからです。

――むしろ、「原子力が危険だ」という声ばかりが広がっているように感じます。

浦野:どんなリスクも過大評価されることがあります。ただ、今までは原発のリスクを過小評価していたとも言えます。その繰り返しですよね。過小評価しては何か起きて、次に過大評価して、何も進まなくなってしまう。ですから、そこの見極めが少なくとも政治レベルでは急がれることです。

――結局、決断するのは政治ということになりますね。

浦野:話が飛躍しますが、例えば、ここ10年の米国のテロ対策についても同じことが言えるのではないでしょうか。テロを過小評価していたら9.11(米国同時多発テロ)が起きた。その後、米国は予防的な措置と先制攻撃が必要だとしてイラク戦争に踏み切った。それで本当にテロが根絶できたかというと、テロを根絶できなかった。この間に使った戦費は膨大ですし、世界経済をおかしくした要因になったのではないか。そう考えると、本当にリーダーの決断は難しい。米国が9.11以降、テロの脅威を過大評価したことは間違いないでしょう。しかし、あそこで対策を何もやらなかったら、同じようなテロがまた起こったかもしれない。本当にわかりません。

 ただし、間違いなく言えるのは、我々の持っている資源は有限だということです。だから、エネルギー対策についても、日本が完全に脱原発でいったときに、将来の可能性を含めて、日本の持っているいろいろな意味での資源がどれだけ失われるかを十分に考える必要がある。言ってみれば、「安全」というものをどれだけのコストで買うのか、その取引です。そのトータルコストについて、きちんと議論されていないのです。

(後編に続く)

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