松井英生・石油連盟専務理事に聞く[後編]

震災を教訓に、石油製品の平時からの利用と備蓄の体制づくりへ転換を


国際環境経済研究所理事、東京大学客員准教授

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東日本大震災直後は、東北、関東地方で「ガソリンがない」とパニックのような現象が発生した。こうした緊急時に石油業界はどのように対応したのか。松井英生・石油連盟専務理事に、震災後の対応と今後のエネルギー政策で果たす化石燃料の役割について聞いた。

――連絡体制も今後の課題ではないでしょうか。

松井英生氏(以下敬称略):今回の災害で大変混乱したのは、いろいろなところから様々な要請が来るわけです。警察とも自衛隊とも連携しなくてはいけない。ところが、今までお互い顔も知らないわけです。地方自治体も災害関係の対策本部がありますので、普段から連携を取っておく。関係省庁もいろいろ絡んできますから、非常事態時には一元化していただきたい。バラバラに要請が来ても困るわけです。こちらも一元化して受ける体制づくりが必要でしょう。情報共有と連携体制を平時からやっていかなくてはなりません。

――平時からリスクを想定した体制を整える必要があるということですね。

松井: 3月11日と12日のニュース番組を見ると、皆さん体育館にお逃げになって寒くて暖が取れないと話され、灯油がこないとテレビで報道される。ところが、そこに灯油をタンクローリーで持って行きたくても、大きい灯油タンクがないと給油できないわけです。ストーブもないかもしれない。テレビで「灯油が来ないのが問題だ」と言われても、普段からお使いいただき受け入れ設備がないと、緊急時に供給することができないのです。

 石油の需要は1999年がピークでしたが、2005年頃まで横ばい、2005年から右肩下がりになり、毎年約3%減っている状況です。実はこの震災が起きる前は、日量450万バレルの精製能力があっても需要は330万バレルしかない。オーバーキャパシティのため、ビジネス上でコストアップ要因になっていました。

 電力やガスのように国の管理の下に総括原価方式でコスト回収を行っているのではなく、我々は自由競争ですので、余分な設備や製品を持てない。需給に供給能力を合わせるのが大きな課題です。需要量に適応して精製能力をダウンするだけでなくて、油槽所、ガソリンスタンド、タンクローリーもどんどん減らしスリム化していくわけです。今回はまだ余剰設備削減が行われる前で余裕があり、西日本から石油製品を回すことができましたが、需給が一致するくらいギリギリの能力まで絞り込まれれば、いざという時に供給できなくなります。