日本型リベラルの崩壊とエネルギー問題への影響


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リベラルが世界で批判を集める。日本ではどうか。組み変わるのか。
(イメージ、iStockより)

2月の衆議院選挙で野党が大敗した。私はこの現象を、「日本型リベラル」の崩壊という根深い動きの現れと考えている。そして、この動きがエネルギー政策をめぐる議論に良い影響を与えることを期待している。政策論が、日本型リベラルの仕掛けるイデオロギー(ここでは政治思想をいう)色の強い論争から、合理性に基づくものに変わってほしいと願っている。

リベラルはおかしい? 世界に広がる批判

リベラルとは欧米では「国家からの自由」「社会的公正」を主張する政治的立場のことだった。しかし最近は世界で左派政治勢力の呼称に変わり、日本でもかつて「革新」「左翼」と呼ばれた人たちが自ら「リベラル」と名乗るようになった。

日本のリベラル勢力は、日本の政治空間で独特の意味を持つスローガン「護憲・九条を守れ」「反戦・反核」「平等・福祉拡大」を主張してきた。そして彼らは自分たちのイデオロギーの反映した主張を繰り返して、問題そのものの解決に熱心でないように見えることが多かった。そういう古い行動をする政治勢力を、仮に「日本型リベラル」と、この論稿では呼ぼう。

リベラルへの批判が世界で広がっている。理想論に流れ、社会改革の邪魔をする旧勢力であるとの批判だ。トランプ米大統領はその先頭だ。そうした世界の潮流と重なりながら、日本でも同じような批判が広がっていた。ここ最近、日本型リベラル政党への30代以下の若者の支持率はゼロ近辺を推移していた。また現役世代も、問題を具体的に解決する政治家を称賛していた。国民の本音が良くも悪くも出るSNSでは、日本型リベラルをめぐる批判が今も続く。エネルギー問題では、価格の上昇という現実の問題の解決に熱心ではなく、反原発に固執する一部の政治勢力への批判がSNSでは強かった。

過去数回の選挙では与党自民党が自らの金銭スキャンダルなどで自壊した。そのために、その大きな変化が現れなかったのかもしれない。それが今回、一気に出てしまった。

日本型リベラルの崩壊が始まったのか

しかし当事者の「日本型リベラル」の中の人の多くは、こうした社会の変化に気づいていないようだ。ベテラン議員だった岡田克也元民主党代表は、中道改革連合で出馬して今回の衆議院選挙で落選した。「ネットを見ている人の支持が非常に低かった。デマや批判が渦巻いていた」。日本型リベラルへの批判を認識せず、そしてネットに敗北の責任を転嫁している。岡田氏は選挙の時に72歳。年齢を悪くいう意図はないが、時代の変化に取り残されているのかもしれない。

岡田氏だけではなく、「ネットのせい」「高市人気がすごかった」などの分析を日本型リベラル勢力の中の人、それと仲の良かったオールドメディアは繰り返している。私には間違っているように思える。

リベラルな政治観を持つ人は一定数いる。今回は「社会的公正」を経済改革で実現すると主張する新興政党のチームみらいが議席を伸ばし、国民民主党も逆風の中で横ばいだった。こうした政治家や支援する人々は、古い日本型リベラルに愛想を尽かしているのだろう。期待を込めて言えば、今後の日本の政治空間は、日本型リベラルの勢力が縮小し回復できないまま、本来の意味のリベラルの人たちが増え、変わっていく可能性がある。

敵視された原子力

日本のエネルギー問題は、政治に振り回されてきた。原子力産業と大企業の多いエネルギー業界は、1970年台から左派勢力に敵視された。さらに2011年に東京電力の福島原子力事故が起きてしまった。事故の検証や批判は当然だったが、その事故を利用する動きが、一部の政治勢力に残念ながらあった。

福島事故直後の2011年7月の衆院本会議で、民主党の菅直人首相(当時)は福島第一原発事故に関し原子力を推進してきた自民党や公明党にも「責任の一端はある」と批判した。菅氏は首相退任後に反原発の活動をし、責任を「原子力ムラ」になすりつけていた。このような合理性のない行動をする政治家が、エネルギー問題ではあまりにも多かった。

福島事故当時の混乱は、原子力政策、エネルギー制度改革、再エネ振興策に影響を与え、今もその余波が続いている。そうした問題を放置している政権与党の政治家や経産省・資源エネルギー庁には大きな責任がある。だが政治的な争いの中で、一度作られた制度をなかなか修正できなかったのだろう。国会などで、日本型リベラル勢力の政治家たちの多くは、原子力発電や電力会社批判を続けた。

どのような政治主張を持とうと、私はその人の考えを尊重する。ただし社会問題に向き合うとき、合理性ではなくイデオロギーや政治闘争を持ち込む風潮が日本の政治空間はあった。それにはうんざりしていた。日本型リベラルの政治勢力は、そうした動きをしがちだった。その圧力がようやく弱まった。

イデオロギーに左右されない合理的な政策論を期待

この選挙で状況は変わった。私の「日本型リベラルが崩壊しつつある」という仮説が正しければ、社会問題に向き合う場合に、日本ではイデオロギーの力は一段と弱まり、合理性や問題の解決を図ろうとする動きが強まるはずだ。

特にエネルギーをめぐる議論では、問題解決に状況が動いてほしい。原子力発電が活用される合理的な選択がなされることを期待する。その活用を進め、そこで作られた安い大量の電力が今以上に供給されれば、日本のエネルギーの供給体制で多くの問題が改善する。

エネルギー産業側も、この政治情勢の変化という好機を利用して、そして社会のためにどのようなエネルギーの制度がいいのか、積極的に問題を提起してほしい。

私は日本のエネルギー産業を外から眺めてきた。この産業は、中の人に「真面目さ」「愚直さ」という良い特徴がある。一方で、その長所ゆえに自己主張や社会への働きかけを怖がり、消極的な面があったように思える。それを改めるのだ。

政府はエネルギー産業を中心に、GX(グリーントランスフォーメーション)に大きな予算をつける意向だ。エネルギー産業は、受け身ではなく、消費者やステークホルダーを巻き込みながら、制度づくりに積極的に動いてほしい。

そして私たち消費者は、便利で安定的なエネルギー供給体制づくりのために当然、「ものを言う権利」がある。この政策をめぐる議論に、積極的に参加をするべきだ。今回の「日本型リベラルの崩壊」が、エネルギーをめぐって、イデオロギーにとらわれない、冷静な自由な議論、そして合理的な体制づくりにつながることを私は期待している。