気候変動への適応など忘れよう

経済開発による気候への適応こそ重要だ


ブレークスルー研究所(Breakthrough Institute) 気候・エネルギーチーム 共同ディレクター

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監訳 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 杉山大志 訳 木村史子

本稿はPatrick T. Brown 2024年7月17日「Forget Adapting to Climate Change: We Must First Adapt to the Climate We Have」をブレークスルー研究所の許可を得て邦訳したものである。

 気候変動への適応は、国際的にも米国内においても注目され続けている。このような議論においては、以下のようなことが言われ続けている。「人類は多かれ少なかれ過去の気候に十分適応してきた、だが現在では、気候変動の急速かつ前例のない速さが、気象・気候災害に対する社会の強靭性を高めるための投資の主な動機となっている。また、気候変動への適応はうまくいっていない。なぜなら気候は、私たちが適応するよりもはるかに速いスピードで変化しているからだ。」

 だが実際のところ、人類はこれまで、様々な気候に対して十分に適応してきたとは言い難い。私たちの歴史的な気候は、穏やかさや優しさからは程遠く、私たちの幸福には無頓着であり、しばしば敵対的ですらあった。だからこそ歴史を紐解けば、気候が社会に壊滅的な影響を与えた事例が数多く存在するのだ。

 同時に人類は、気候変化による悪影響が顕在化するよりも以前に、気候が本来持っている敵意に対する防御力を強化することに大成功を収めてきた。このような気候への適応(いわゆる気候変動への適応とは異なる)は、国連の報告書地方自治体の取り組みに関連した新しい現象と言うわけではない。むしろ、経済発展や技術進歩に後押しされ、環境に対する人類の脆弱性を減らそうとする、絶え間ない原動力が継続していているだけのことだ。

気候への適応には実績がある

 これまでの経験則によれば、人類が長期的に気候への適応力を高めていることは、非常に好ましい事実であり、社会において気候的影響を受けやすい側面のほぼすべてが、概して良い方向に傾いている。農作物の収穫量が増え一人当たりで利用できるカロリーが増え栄養失調飢饉による死亡率が減少していることが分かっている。安全な飲料水の利用は増加し、マラリアのような気候に影響されやすい疾病の流行は減少した。さらに、寒さと暑さの両方の極端な気温による死亡率が低下し、自然災害による死亡率も低下した。

 経済指標もこの状況を裏付けている。一人当たりGDP極度の貧困状態にある人の割合のような一般的な経済指標は、気温が上昇する中にあって大きく改善しており、GDPあたりの災害による経済的被害は横ばいまたは減少している。

 これらの指標が時間の経過とともに改善している理由を理解するために、今日の空間的な差異を分析することが重要である。特筆すべきは、低所得国と高所得国の間の差が歴然としていることである。洪水、干ばつ、暴風雨などの自然災害による死亡率は、低所得国の方が高所得国の15倍も高い。さらに、GDPに占める災害による損害額の割合は、富裕国の方がはるかに低い。したがって、気候への適応の歴史的成功を語るには、何よりもまず、経済の発展が不可欠なのである。

なぜ適応は評判が悪いのか?

 私たちの頑強性の向上をこれほど強く裏付ける経験的証拠があるにもかかわらず、なぜ適応は「効果がない」だとか、アル・ゴアが言うように「怠惰な対処療法(lazy cop-out)」だとか、さらには「非道徳的」だとか、といったように、ずいぶんと評判が悪いのだろうか。

 文化的には、気候変動への懸念を表明することと結びついた社会資本が非常に多く、頑強性の向上と言う成功を認めることは、その懸念を弱めることにつながるからだ。また、自然への追加的な影響をおよぼすことは、伝統的な環境保護主義の枠組みのもとでは、本質的に道徳的に間違っており、必然的に自己破壊的であると見なされてきた。そのため、適応は効果がないとみなす社会的・道徳的な動機付けはかなり大きいものとなっている。

 適応の評判が悪い理由として、よりテクニカルなこともある。それは適応の効果に関する学術的研究が、公式報告書やその後のニュースの見出しを支えているからである。この場合、研究は「気候変動」への適応に焦点を当て、一般的な「気候」への適応を除外した狭い定義をすることによって、適応の効果が相対的に低い、とすることが多い。より具体的に言うと、適応は、気候が変化した場合に、変化していない場合に比べて追加的な技術や活動のみを含むよう定義される傾向が強い。

 David B. Lobellの 論文「農業生産における気候変動への適応(Climate Change Adaptation in Crop Production )」では、技術が現在の気候でも将来の気候でも等しく作物収量を増加させるのであれば、それは気候変動への適応とはみなされないと論じている。その代わりに、将来の気候における、気候変動に対する適応による追加的な利益のみを、その技術の気候変動適応効果に算入すべきであるとしている(その技術のもたらす全体的な利益ではなく)。

 これは、学術論文や教科書で述べるには有効な技術的視点だが、実用的な使い道は限られている。社会において、私たちは「純粋な」気候変動への適応となる技術や行動を、あらゆる気候に対して社会を強化するものと比較して、区別する必要が本当にあるのだろうか?私はそうは思わない。

 しかし、このテクニカルな区別は、学術的な学術雑誌の枠を抜け出し、気候変動への適応は効果がないという一般市民の感情の根底となっている。例えば、この狭義の適応の定義は、農作物生産における適応は気候変動の悪影響を相殺するには不十分であろうというIPCCの主張を裏付けている(温暖化が進むにつれて農作物の収量が増加するという一般的な言及があるにもかかわらず)。また、最近の連邦政府による炭素の社会的費用の300%増にも、一連の引用(リンク1リンク2リンク3)を通じて用いられている。この炭素の社会的指標とは、気候変動がもたらす影響に対して、我々が有する公的な包括的数値になっている。

 この曖昧模糊とした定義は、気候適応の真の有効性を見失わせる。だがそれにも関わらず、私たちは気候のもたらす危険に対してさらに適応していくことができるはずだ。

気候への適応を加速しようとする動機の大半は、気候変動とは無関係である

 世界中の社会は、かつてないほど気候に適応している。しかし、私たちの歩む道のりはまだまだ道半ばであることは、日々ニュースサイトを開けばわかるだろう。現在の気候の下では、世界で毎年約2,000万人(地球上の400人に1人)が気象災害のために移住を余儀なくされ、米国内では年間20件以上の「10億ドル規模の災害」が発生しているのである。

 これらの影響やその他の気候による影響については、過去の数々の文献によって、気象の自然変動が経済に大きな影響(リンク1リンク2)を与えることが実証されている(リンク1リンク2リンク3リンク4)。もし私たちが気候に本当に適応していれば、経済は環境から切り離され、強制的な移住も、10億ドル規模の災害も、気象と経済生産の間の目に見える関係もないだろう。

 アクティビストたちは、このような気候のもたらす影響は新しいものであり、気候変動の結果であると信じ込ませようとしているが、データと気候システムに関する我々の物理的理解は、それとは異なることを物語っている。約30年という長期的な観測計画や局所的な空間スケールにおいては、不可抗力的な自然変動が気候変動のシグナルを大きく上回っているのだ気候は期待値であり、気象は発生する個々の事象であるが、限られた時空間スケールで得られる気象は、温室効果ガスの排出量やその温室効果ガスが地球の気候をどれだけ温暖化させるかということよりも、大気のサイコロのランダム性によって大きく左右されるものである。そしてさまざまな気象・気候ハザードを個別に検証することで、このことがより明確になる。

 以上の事実から、私たちはこれらの危険に対して十分に適応しており、したがって、これらの危険に対する脆弱性をさらに減らすことに関心を持つ必要はないと言えるだろうか?
 もちろんそうではない!これらの危険はすべて、人間の生命と財産にとって極めて有害であり、そして私たちは、これらに対する備えを確実に維持し、あるいはさらに強化する必要があるのだ。

 さらに、いくつかの災害傾向では、極端な寒さが歴史的にも予測的にも減少しているなど、明らかに穏やかな方向へ向かっていることを示している。しかし、だからといって極端な寒さを心配する必要はないのだろうか?寒さによる死亡者数は暑さによる死亡者数をはるかに上回っており2021年のテキサス州電力危機のような出来事は、社会的な脆弱性を広範囲にわたって示している。だが気候変動による温暖化のシグナルは、社会が極端な寒さに対する防御を緩めるほどに大きいものには程遠い。

 新たな温暖化気候への適応を明確に考慮する必要がある主な例外は、沿岸の洪水(海面上昇)と猛暑である。これらの状況では、シグナル・ノイズ(S/N)比ははるかに大きく、したがって、これらがもたらす災害に対する備えは、将来の災害の強化を明確に予測することによって助けられる。

どうやって気候への適応を維持し加速させるか

 では、世界的な「気候への適応」を維持し、加速させるには、どのような方法があるのだろうか。それぞれの気象や気候のハザードに応じて、多くの戦略がある。

 極端な気温への適応には以下のようなものが含まれる。暖房と空調設備を備えた断熱性の高い建物の普及、極端な気温の下で増大するエネルギー需要に対応できる信頼性の高いエネルギー供給網、暖房や空調設備が法外に高価にならないような低いエネルギー価格、屋外での労働活動の自動化(農業の機械化など)を進め屋内で働く人口が増えること、などである。

 洪水については、例えば、洪水調節システム(堤防、ダム、堤防)、性能の良い雨水排水システム、氾濫原での建築を減らすためのゾーニング規制、リスクが正確に反映されるよう適切な価格が設定された保険などが挙げられる。

 そして干ばつに対しては例えば、貯水池やダム、その他の貯水システムの建設や拡張、干ばつや暑さに強い作物の研究や開発、水効率の良い灌漑(精密農業)の利用、海水淡水化技術への投資などが挙げられる。

 ハリケーンのような大規模な暴風雨の場合、これには、巧みな予報と準備や避難に関する情報の普及、整備された道路、避難が現実的なものとなるよう交通の便が良い地域を作ること、最低限の耐性を確保するための建築基準法の導入などが含まれる。

 山火事については、以下のようなものが挙げられる。火災を誘発する活動を抑制するために必要な気象予報や警報の周知、森林中に樹木が燃料として溜まらないようにするため大規模な伐採と搬出を行うこと、地域社会の近くに防火帯を建設すること、火災に安全な不動産を推進すること、構造物の燃えやすさを軽減する建築基準法を実施すること、ヘリコプターやブルドーザーのような備品と十分な人員を持つ潤沢な資金と装備を備えた消防システムの構築、そしてリスクを正確に反映した適切な価格の保険、などである。

 あらゆる災害において、正確な天気予報と効率的な警報の伝達は最も重要であり、非常に価値がある。しかし繰り返しになるが、これらは気候変動に適応するために開発されたものではなく、むしろ厳しい気候条件に対する一般的な頑強性を高める「気候への適応」のために開発されたものである。

 では、上記のような措置を指示するトップダウンのグローバル・プログラムが必要なのだろうか? 1つの手立てとして、たとえば食料安全保障についての、国家間での歴史的な差異を考えてみよう。例えば、最近の研究では、食料不安に対する過去の気候変動の影響を見ると、地域間の食料不安の差よりもはるかに小さいと推定している。具体的には、気候変動は、調査した全地域で食料不安を約3%増加させたが、アフリカ(50%)とヨーロッパ(13%)の差は37%であることが示されている。また、上に述べたように、自然災害による死亡率は、低所得国の方が高所得国の15倍も高いという結果もある。

 ではなぜ、高所得地域の食料不安や自然災害による死亡率は比較的低いのか。それは、これらの国々で何十年も前に始められた気候変動への適応のための壮大な政策によるものなのか、それとも単に社会全体の豊かさを反映したものなのか。それは主に後者で間違いない。

 つまり、エネルギー貧困の削減と経済成長の促進こそ、世界規模で気候への適応を加速させる鍵なのである。

 より具体的には、エネルギー、交通、通信インフラ、保健、教育といった経済の基礎となる部分への公共投資を受け入れ、海外からの直接投資を呼び込み、起業家精神を促進するようなビジネス・フレンドリーな政策で民間セクターを奨励することを意味する。そして私有財産権と公正な市場競争(すなわち資本主義)は、資源効率とイノベーションを促進する。富は人間の精神的・肉体的エネルギーを奮起させ、何十億もの小さな決断を可能にし、地域の環境や市場の動きに対して効果的に対応することで、気候への適応を加速させるのである。

 豊かで技術的に進んだ社会とは、ハリケーンの接近をさまざまなメディアを通じて数日前に知らされるような社会である。そして、すでに頑丈に建てられ、最新設備が整った家に、自宅のSUV車を使ってハリケーン用シャッターを手に入れ(あるいはアマゾンに配達してもらい)、取付を行い、その後、災害の際はそのSUV車を使ってより安全な場所にある手頃なホテルに避難することができる、というわけだ。そして、嵐の後、災害対応チームが道路を整地し、数日のうちに電気が復旧し、エアコンが稼働する地域に安全に戻ることができる、そんな社会である。

 大規模な防潮堤システムの構築のように、ほぼ間違いなく政府が支配的な権限を持っているプロジェクトでさえ、それらのプロジェクトの資金を賄うためには裕福な税収基盤が必要である。例えば、米国のような高所得国は、最近の2021年超党派インフラ法や2023年インフレ削減法のような法律に気候適応策を盛り込むための課税基盤を持っている。この法律では、洪水、ハリケーン、干ばつ、山火事、猛暑に対する地域社会の脆弱性を積極的に軽減するためにアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁(FEMA)に70億ドル、沿岸の暴風雨リスク管理、ハリケーンと暴風雨の被害軽減、内陸部の洪水リスク管理、水生生態系の回復に関連するプロジェクトのために陸軍工兵隊に70億ドル、そして干ばつ対策のために内務省に123億ドルが割り当てられているのである。

 総じて言えば、気候は私たちの幸福に無頓着で、しばしば敵対的であるのが自然な状態であり、だからこそ、過去も現在も、気候が社会に壊滅的な影響を与える例が後を絶たないのである。不自然であることであるが、その一方で良いことでもあるのは、私たちが比較的最近になって、往々にして敵対的である気候に、頑強になったことなのである。

 一般的な「気候への適応」のために確立された成功の道筋を受け入れることこそがヘッドラインを飾るべき話題であり、気候変動への適応というのはオマケに過ぎない。気候によって社会がどの程度の悪影響を受けるかは、主に社会の富によって決定され、その富は依然として温室効果ガス排出量と結びついている。したがって、気候への適応を加速させるためには、炭素予算が限界に近付きつつあるまたは既に破られていると主張する制限的なエネルギー政策よりも、一般的な経済開発こそが重要なのだ。