日本には行政の「結果に対する責任(アカウンタビリティ)」を問う仕組みがない
岡 芳明
東京大学名誉教授、前・内閣府原子力委員会委員長
日本には、担当する政策の結果に対する責任(のアカウンタビリティ)を各省庁に問う仕組みがない。これが、日本の企業や諸団体・法人の国の制度と予算への依存を温存し、日本の長期低迷の根本原因だと考えるので欧米政府の調査結果をもとに意見を述べる。
原子力発電は社会との接点に課題があると考え、原子力委員会退任後、欧米政府等の文書で根拠を確認しつつ、2冊の本を書いた。(参考文献1、2)。その時に、この課題に気が付いた。欧米省庁の文書は、欧米の原子力政策とその結果を理解し、日本の原子力発電の問題を考える参考になったが、欧米の会計検査院の報告書は、行政推進側とは異なる視点で、調査に基づいて確認した事実を記載しており、役立った。
日本の長期低迷は省庁の結果責任(アカウンタビリティ)を明らかにする仕組みがない事に起因する
そのために業界や各種団体の国の省庁の予算や制度への依存が、改められないまま放置される。責任もあいまいになる。これが日本の長期低迷の根本原因と感じるがいかがだろうか。産業の国際競争力の低下、予算膨張による国家財政のひっ迫など、他の多くの日本の課題も行政の結果に対する責任(アカウンタビリティ)を明らかにする仕組みがあれば、改善を図ることが出来るのではないか。最近騒がれている政治資金の問題も、日本にこの制度がない事に関連する問題であると気が付くはずである。政治家に伝えられた企業や団体の希望は、担当省庁に伝えられる。それらがすべて実現するわけではないが、企業や団体の国の制度と予算への依存が温存される。日本ではこうした構造が放置されてきた。産業界が担当省庁に希望を伝えることは必ずしも非難されることではないかもしれないが、偏った視点で政策が作られ実行されると、国民にとって頑健な政策とはならず、予算も効果的に使われるとは限らず、広い意味の発展は期待できない。
アカウンタビリティを説明責任と訳すのは誤り
アカウンタビリティは「行政庁による担当の政策の説明とその結果に対する責任」のことである
日本では「説明責任」と言う言葉がよく使われるが、「マネジメント」を「管理」と訳すのと似た、日本特有の誤訳である。日本ではアカウンタビリティを「説明責任」と訳したので、説明して終わりになってしまっている。むしろ「結果に対する責任」と呼ぶほうが本来の意味に近いのではなかろうか?
会計検査院が政策の結果に対する調査権限を持っていないと、アカウンタビリティは明らかにならない
犯罪は警察が捜査するので明らかになる。警察は捜査権限が与えられているので、犯罪を調べることができる。省庁が行った政策の結果は、調査権限を持った各省庁とは独立な機関(会計検査院、行政監察院とも言う)が調査しないと明らかにならない。米国ではGAO(Government Accountability Office)が、英国ではNAO(National Audit Office)が、フランスではCour des comptesが、政策の結果を明らかにする報告書を作り、その役割を果たしている。それぞれ米国会計検査院、英国会計検査院、フランス会計検査院と呼ばれる。米国の会計検査院は2004年にその名称をAccountingからAccountabilityに変更している。米英仏では会計検査院は省庁とは独立した機関で、内閣と議会の決定を支援している。
2004年の米国会計検査院長の“Key National Indicator Systems: an Opportunity to maximize National Progress and strengthen Accountability” (参考文献3)や、GAOの”Informing our nation, improving how to understand and assess the USA’s Position and Progress”(参考文献4)を読むと、これらの表題が表しているように、アカウンタビリティと会計検査院の国家の繁栄に果たす役割が、いかに重要であるかを理解することが出来る。GAOのホームページ(参考文献5)にはGAOの役割や、省庁ごとにGAOが作成した報告書が公開されている。米国のアカウンタビリティ改善の歴史は長く、100年間に多数の文献や書物が存在する。これらが日本のアカウンタビリティを考える際に役に立つはずである。
日本の会計検査院は省庁の政策の結果を調査する権限を与えられていない
日本の会計検査院は、会計不正の調査の権限を持っているが、各省庁が行った政策の結果がどうであったか(アカウンタビリティ)を明らかにする権限を持っていない。日本では総務省で行政評価が行われている。これは省庁による自己評価である。その中のトピックスについてさらに総務省による評価が行われている。これも基本的には行政庁による自己評価である。
欧米の会計検査院は評価をしない。評価は議会の役割である
欧米の会計検査院は評価をしない。その報告書は、調査結果を淡々と述べるだけで、評価は述べていない。評価は議会の役割である。議会が評価して、省庁の予算と定員などに反映する。評価をしようとすると評価のための指標が必要である。日本では評価をすると、評価指標をどうするかが議論になり、結果的に欧米追随の政策になりがちである。評価を行い、予算や省庁の定員に反映するのは欧米では議会の役割である。単純な指標で評価できるほど、実際の行政の評価や改善は単純ではない。米国では連邦議会での聴聞会が行われ、評価に反映される。
例えば、米国には17の原子力関係の国立研究所がある。その多くが核兵器開発を行っていた。冷戦終了に伴い、1990年代に、国立研究所間の仕事や役割の重複、運営の非効率が指摘され、国立研究所を所掌する米国エネルギー省(DOE, Department of Energy)の管理能力が問題にされたことがある。米国のGAOは約100件の報告書を作成し、DOE自身が作成した数10件の報告書を挙げて「DOEの役割と組織とアカウンタビリティの根本的再評価の必要性」と題する報告書を連邦議会のエネルギー・水資源開発委員会に2001年に提出した。これに基づいて、それぞれの国立研究所の役割や運営が見直されている(参考文献1の264頁)。
アカウンタビリティのためには省庁による政策説明文書の作成と公開が必要である。日本では省庁による担当政策の文書による説明がない
省庁は国から与えられた予算と権限を用いて政策を実行するのが役割である。省庁は国民にそれぞれの政策を説明する義務がある。政策の説明は、省庁が行った政策の結果を会計検査院が調査するためにも用いられる。日本には省庁による担当政策の文書による説明がない。「White Paper(白書)」は欧米では政策を説明する文書だが、日本では当該年度の行政のアーカイブである。原子力委員長の時に「原子力白書」を欧米政府等の会合で説明したが、日本では「白書」は政策を説明する文書でないと断る必要があり、恥ずかしかった。
米国の省庁は、大統領府と議会が決めた方針と予算を考慮して、それぞれの担当政策をStrategic Planとして4年毎に作成し、公開する義務がある。各省庁のHPでは、課ごとに課長が施策の簡潔な説明を作成し公開している。説明を読むと政策のみならず間接的に課長の能力まで理解出来る。
米国の会計検査院(GAO)や原子力規制委員会(NRC)は独立した行政機関だが、米国ではこれらの独立行政機関もStrategic Planを作成することが求められている。たとえば、米国原子力規制委員会(NRC)はStrategic PlanとInformation Digest, Citizen’s Guideを作成し、国民にその役割と政策を説明している。Strategic PlanはNRCの行政の目標とその方法をのべている。Information DigestはNRCの文書とその所在を示している。NRC職員もそれを利用する。Citizen’s GuideはNRCの活動とその根拠の情報の所在を国民に示している。東電福島事故の後、米国NRCの概要を知りたいと考えて、NRCに勤務したことある米国の知人に連絡したところ、これらの文書を教えてくれた。これらを読むと、NRCの役割と活動をおおよそ理解できる(参考文献1,4.4節)。なお、GAOや NRCなど独立な行政機関のアカウンタビリティは連邦議会が直接調査する。
英国政府はGov.UKという統一的な情報サイトを作って、その活動と政策を国民に説明している。英国では省庁の組み換えや名前の変更が時々行われるが、このサイトによって、過去の情報が保存され、国民の知る権利にこたえている。英国の会計検査院(NAO)は様々な報告書を公開している。英国の原子力分野では、核開発施設の廃止措置に膨大な予算と期間が必要で、最近はその関係の報告書が多い。
アカウンタビリティ確保のための3つの条件
米国政府のアカウンタビリティは次の3つの条件を満たすことで確保されている。
- 1.
- 責任ある人または組織が行った決定や行動についての情報が存在すること(省庁の役割)
- 2.
- その情報を受け、または発見して、それを検討・調査・報告する人や組織が存在すること(会計検査院の役割)
- 3.
- これらの情報に基づき、欠陥を是正する行為が存在すること(連邦議会の役割)
日本では、アカウンタビリティについて、2と3が注目されているようだが、1が抜けている。
アカウンタビリティは議会制民主主義の要件
「活発なオーディツトなきところでは、アカウンタビリティは成立せず、アカウンタビリティが成立していないところでは、デモクラティック・コントロールもありえない」と言われていると、日本の法学者が会計検査研究の1989年の創刊号でのべている(参考文献6)。日本の議会制民主主義は、欧米に後れを取っている。
これまでに日本でおこなわれた行政改革は行政効率化のための改革であって、アカウンタビリティのための改革ではなかった
本稿の主題ではないが、日本で行われた行政改革については次のようにまとめられる。1980年代には鉄道や電気通信事業を政府の外に出す民営企業化が行われた。サービスの質の向上と経営の効率化が実現したので、これは行政改革の成功例であるが、その後行われた公務員の定員の削減は、国立大学法人化に見られるように、独立法人を作って、見かけ上の国家公務員数を減らしたが、独立法人を含めると、総数は減らなかった。その後、地方分権改革による権限移譲がこころみ見られたが、国の業務を地方に付け替えるだけの改革になりかねない。
我が国の行政改革は行政サービスの質量は削減することなく、行政組織のスリム化効率化を目指してきた。今日のように財政が危機的な状況にあって、財政の改善を図るには、サービス本体の必要性を見直す必要がある。財政赤字の主要原因は社会保障費の増加である。社会保障費はこれまでは国民の所得や資産の額にかかわらず、広く支給されてきた。国民ID制度によって、所得をもれなく正確に把握し、所得と給付を連動させて、給付額をきめ細かく調整することが必要となっている(参考文献7)。これは行政効率化のための改革であって、今後とも必要である。しかしこれだけでは、日本が長期低迷を脱するためには十分ではない。日本にはアカウンタビリティのための行政改革が必要である。
きちんと書かれた文書がロバスト(頑健)な政策実行のために必要である
伝言ゲームと言う言葉があるように、聞くだけ、あるいは伝聞をもとに書かれたものをもとにすると、あいまいな政策が実行される。政策の根拠もはっきりしない。日本の省庁は、政策課題を、外部の委員を含む委員会を開催して検討してきた。議事録や中間とりまとめと題する文書、あるいはパブリックコメントを経てまとめられた文書は存在する。これは伝聞により集約した意見である。意見の背景や根拠が書かれた文書は作成されず、存在しない。根拠を構成する検討結果や当該課題に関する説明・解説も、ほとんどない事が多い。欧米はこうしているとか、断片的で偏った情報が、業界誌やメディアを通じて流布されることも多い。
日本の政策は、このような危うい状態で実行されてきた。日本の大学教員や研究者による解説や論文も、実践的・実証的なデータや考察に基づくものは少なく、学説やその紹介に類するもの、狭い研究分野での分析が多いのではないか?世の中の事柄は一つの学説や狭い分野で説明できるほど簡単ではない。国際機関や国際組織の報告書は偏っている場合もある。米国はコンサルタントとして働いた方々が多く、彼らが作る報告書や解説は、実践的で政策や提案の背景を理解する助けになる。日本は、もっと実践的な研究に研究費や人件費を投じるべきである、なお、ここで言う実践的とは、産業界のための研究という意味ではない。まずは欧米がこの分野で積み上げてきた実践を踏まえた資料・解説・書物を勉強し、日本の課題を考えるとよいのではないか。
皆で決めるとの考えはおかしい。頑健な政策にはならない。責任も不明確になる
個別の政策を皆(国民や県民全体の合意)で決めたらよいと考える方々が日本に存在する。しかし、これはおかしい、対話で頑健な政策を作ることは困難である。政策の結果に対する責任もあいまいになる。責任は権限と予算を持つ省庁にある。皆で決めると考えることで、責任をあいまいにしている。日本では、皆で決めるべきと考えることで頑健な政策が実行できなくなっている。膨大な予算と労力を無駄にしている。集団の数が多くなるほど、お互いの意思疎通は困難になる。意思疎通には双方向の対話が必須だが、それが可能な集団の数は40名程度が限度である。
議会は政策の方向性や規則を決めるためにある。議員は政策の実行者ではない。実行には当該政策と法令に関する知識と経験と能力が必要である。政策を実行するのは、そのための専門知識を有する公務員である。政策を決めても、それが国民にとって、よい結果を生むような制度が作られ、実行されるとは限らない。日本の公務員は一般的に、大変優秀であるが、様々な方々がいる。結果的に業界べったりの方もいる。アカウンタビリティを問う仕組みがないと、かれらが税金を有効に使って、仕事をしてくれるとは限らない。
本稿では具体的にどうしたらよいかは述べていない
本稿では、アカウンタビリティについて日本の課題を指摘したが、「こうしたら良い」とは述べていない。なぜなら、それは行政の構造について、知識と経験を有する方の協力を得て、責任ある方々(この場合は国会)が、考え実行すべきことである。行政や議会の状況全体を把握していない筆者が、安易にこうしたら良いと述べるのは失敗の原因になるし、責任も不明確になる。これまでのように国の制度と予算に依存する企業や団体の方々は多いので、抵抗も大きいだろう。方策を考えても、抜け道あるいは本質を外した方策あるいは運用にすることは、可能である。日本で行政の結果が省庁による自己評価になってしまっているのはその例である。省庁が自ら評価を行う理由として、「行政の結果は各省庁にあるため」と述べられているが、これで本質を外している。
優秀で改革の志のある行政官の協力を得て、アカウンタビリティが日本で実現し、日本が長期低迷から脱出できることを期待したい。政治資金の問題がクローズアップされている。アカウンタビリティが欠如していることが、日本の本質的課題だと気が付く、国会議員がおられるとよいのだが。
日本文化に問題を帰するのは誤り、解決につながらない
ある問題が、日本人特有の考え方(文化)のためであるとの説明や解説を時々見る。しかし、これでは、問題を説明して、納得しただけで、終わってしまう。欧米の根拠の文献を探し、日本の問題を、実践的・論理的に考えるのが良いのではなかろうか。
批判を取り入れる仕組みがない組織は劣化する
本稿では行政のアカウンタビリティについて述べたが、国、民間にかかわらず、いかに優秀な集団でも、批判を取り入れるための監査が機能しないと、組織は劣化する。監査役や外部評価委委員を、経営側・監査を受ける側の意向で選んでいては、監査は機能しない。外部の視点を経営に取り入れるため、民間企業では外部取締役を設けているところも多い。日本では国の税金で主に運営されている法人や団体で、監査や外部評価が機能していない組織や団体は多いのではないか。
行政のアカウンタビリティを機能させて、日本は長期低迷から脱出すべき
筆者は戦後生まれである。日本が右肩上がりの良い時代・平和な時代に生きることが出来たのは幸運だった。日本は社会保障も充実し、安全・安心な国である。この良さを残しつつ、日本の今後を生きる方々のために、より良い日本にしたいものである。日本の停滞が30年間も続くとは想像できなかった。このままでは今後もそれが継続する恐れがある。日本の今後は行政のアカウンタビリティを明らかにできるかどうかにかかっているのではないか?
なお、本稿は原子力利用に関してのべているのではなく、すべての政策にかかわる事柄について述べている。最初に紹介した2冊の本には、欧米政府の調査結果を参考に、日本の原子力分野の課題を説明したが、これらの課題は、日本に行政のアカウンタビリティがあれば、未然に防げる、改善できるはずと感じることは多い。東電福島事故は、原子力推進側が原子力規制側を虜にしたためであると言われた。アカウンタビリティがあれば、防げたはずである。現在、日本で行われている政策評価は、省庁による自己評価である。これは省庁と産業界や関連団体がアカウンタビリティを虜にした状態ではないのか?
日本ではアカウンタビリティの話を避ける識者が多い印象である。日本の企業や団体の省庁依存は深く浸透している。それだけこの問題は、根が深いとの認識をもって取り組む必要がある。
- 1.
- 岡芳明「原子力発電と社会:経済、安全、廃棄物、法制度の課題」AMAZON 2024年3月、英文版はSPRINGERから出版予定
- 2.
- 岡芳明「発電用原子炉の開発:歴史・技術・教訓」AMAZON, 2024年5月、英文版はSPRINGERから出版予定
- 3.
- Walker DM “Key National Indicator Systems: An Opportunity to Maximize National Progress And Strengthen Accountability”, World Indicators Forum, Palermo, Italy, November 11, 2004 (short version), Comptroller General of the Unites States, GAO
- 4.
- ”Technology Assessment Design Handbook”, GAP-20-246G, December 2019
- 5.
- GAO U.S. Government Accountability Office,
About: https://www.gao.gov/about, Agencies: https://www.gao.gov/agencies - 6.
- 西尾勝 “アカウンタビリティの概念−第一回公会計監査フォーラムの基調講演より−” 会計検査研究 創刊号、1989年8月
- 7.
- 森田朗 “我が国における「行政改革」の限界” 会計検査研究、No.46, 2012
なお、米国GAOの監査基準とその展開を参考文献とともにまとめた日本語の解説には、たとえば次がある。 - 8.
- 木谷晋一 “GAOの監査基準の展開とその要因”、会計検査研究、1994年3月