日本語と文学から学ぶ

ー 気象が複雑な日本で再エネ導入は難しい ー


経済記者。情報サイト「&ENERGY」(アンドエナジー)を運営。

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『喜多川歌麿・「婦人相學拾躰」かざぐるま』 18世紀後期
(Wikipediaより)
日本人は風の力は知っていたが動力として使わなかった。なぜか

日本語にあふれる雨と風を示す言葉

 知人に和歌と俳句を嗜む女性がいる。その人は全くエネルギーに関する知識がない。私がエネルギー問題に取り組んでいるジャーナリストと知り、いろいろ質問をされた。そして「再エネには限界がある」と説明すると、「日本では自然を飼い慣らすことは難しいでしょう。言葉を調べればわかります」という。

 日本語には、雨の呼び名、風の呼び名が無数にある。それは日本人の気象への繊細さを示すと同時に、日本の気象の変化が激しいことを示すというのだ。

 言葉を使う人の感覚の鋭さになるほどと思い、家に帰って季語を調べてみた。俳句はルールとして季節を象徴する言葉を使い、それを季語という。確かに、美しい響きの風と雨に関係する季語が100ぐらいずつ並んでいた。

2100もの風、400もの雨を表す言葉

 雨を使った季語は次のものがある。春は雨鷽(あまうそ。ウソドリのメス、昔から雨を呼ぶ)、驟雨(しゅうう)、五月雨(さみだれ)。夏は梅雨(つゆ)、夕立(ゆうだち)、梧桐雨(ごどうう。梧桐はアオギリのことで、6−7月の梅雨の時期に花が咲く)。秋は月の雨、無月(むげつ。名月の夜、月を隠す雨)。冬は時雨(しぐれ)、寒の雨(かんのあめ)などがある。

 また風をめぐる季語も多い。春の風を示す東風(こち)、春一番。夏は白南風(しらはえ。 梅雨明けの時期に吹く南風)、青嵐(青葉が繁る初夏に吹く強い風)、薫風(くんぷう。かおるかぜ。若葉の香りを漂わせて吹く初夏の風)。山背(やませ。東北や東日本に吹く夏の北風、冷害をもたらすこともある)、秋は初風(はつかぜ。秋のはじめに吹く風)、やまじ(西日本に春、秋に吹く熱い風)、野分(のわき、秋の台風に伴う暴風)。冬は木枯らし(こがらし)などだ。

「五月雨や 大河を前に 家二軒」 (与謝蕪村)

「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花、主(あるじ)なしとて春な忘れそ」(菅原道真)

「時によりすぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまへ」(源実朝)

 雨や風を織り込む和歌や俳句、雨や風を重要なテーマにするその他の詩歌や文学作品は、数えきれないほどある。

日本は気象が複雑すぎる国

 ちなみに雨を示す日本語は400、風を示す日本語は2100もあるそうだ。私は他言語の知識は乏しいが、これほど雨や風を伝える表現を持つ言語はないだろう。

 これは日本人、その作る日本文化の季節への感性の鋭さを示すという意味だけではないと思う。日本の気象の複雑さを示すものだ。世界でも多雨地帯であるモンスーンアジアの東端に位置する日本は、年平均1718ミリの降水量があり、これは世界平均(880ミリ)の約2倍に相当する。しかも日本の降水量は季節ごとの変動が激しい。当然、日照時間は世界平均との比較では短い。

 日本の神話の中心は女性の太陽神の天照大神(あまてらすおおみかみ)だ。天岩戸(あまのいわと)の話がある。それが弟の素戔嗚(すさのお)の乱暴に悲しんで、天岩戸という場所に隠れてしまう。神々は歌と踊りでまた出てきてもらう。雨の合間を縫って日が照ることを、古代から日本人は神にお願いしてきた。

 地形も複雑だ。日本は海に囲まれ、列島の中心部には山脈が走る。海からの風は山にぶつかり、谷を抜ける。その中で風は湿度も強さも温度もさまざまに変化する。そして季節ごとに風の動きは変わる。これを使いこなすことは大変だ。

西欧では広がった風車-風力発電にも

 風は太古の昔から、帆船の移動のためのエネルギーだった。またユーラシア大陸の全域で、風車を使って食物の脱穀、重さを加えて物を加工するための動力にしてきた。風車は6−7世紀ごろペルシャで生まれたとされる。200年ほどで欧州全域、そして中国に伝わった。スペインの作家セルバンテス(1547〜1616)の「ドン・キホーテ」では、スペインの農村地帯にあった30〜40基の風車を巨人の群れと見間違えたドン・キホーテが、その群れに向かって突撃する。中世から近年まで、西欧では風車はどこにでもあった。

 西欧は1000年以上、風車を使い続けていた。そして最近は風力発電が急増した。これは、この地域の地形が日本に比べて平坦で、風の動きがそれほど変化をしないためだろう。小高い丘の上に風車を作れば、それが動力源となった。また太陽光でも、日本より日照時間が長い。日本より発電は有利だ。

 ところが日本で風車はほとんど使われなかった。昔の日本人の風車を作る、使う能力が足りなかったというわけではないだろう。使いこなせないほど、風の動きが複雑だったためと思われる。

国の状況に合ったエネルギーシステムを日本は作っていない

 「日本で再エネの力を発揮させることは難しい」。私たちが使う言葉、そして文学を振り返り、日本の国土の特徴と技術史を振り返れば、簡単にわかることだった。前述の女性のように、エネルギーのことは知らなくても、観察力のある賢い人は洞察できた。

 それなのに、その導入の際に風力や太陽光の長所ばかりを取り上げる声があり、今でもそれが続く。国土の形が全く違うのに「ドイツを見習え」「北欧を見習え」など、日本への批判が目立った。その人たちは、本当に日本の現実を深く考えていたのだろうか。外国製の知識を機械的に日本に当てはめる、明治維新以来の日本の知識人の悪い癖に、とらわれていなかったか。

 日本で再エネが急増したことについて、プラスとマイナスの面がある。マイナスの面は再エネ電力の強制買取制度による国民負担の増大、そして乱開発による日本の国土の破壊だ。これはすでに、先行して再エネ支援を行った欧州諸国で起きている。こうしたことを、政治も、経産省も、推進する人も、業者も学ばなかった。そのマイナス面が日本で大きくなって、再エネへの国民の不信が発生している。日本が学ばなかったことが不思議だ。

 問題の答えの一部はすでに、歴史、そして私たちの身の回りに中にあった、目を凝らせばよかったのに、私たちは見落としていた。落ち着いて考えれば、日本に合った再エネの仕組みができたかもしれない。

 失敗の後の再生とは悲しいが、今からでも遅くない。再エネの日本に合ったやり方を考える時期と思う。

(注)
この原稿の事実関係は「文明の主役-エネルギーと人間の物語」(森本哲郎、新潮社、2000年刊)を参考にした。