潤沢な脱炭素エネルギー提供する原子力
経済成長維持へ対策急務
竹内 純子
国際環境経済研究所理事・主席研究員
(「電気新聞『でんき論壇』」より転載:2024年7月29日付)
規制の最適化、資金調達、人材・・・/ 環境整備 国は覚悟示せ
<今回の論点>
潤沢な脱炭素エネルギーを入手できるか。これが今後の日本が社会課題解決と経済発展の両立に成功するか否かの分水嶺となりつつある。政府は原子力再稼働の迅速化と新増設の可能性を打ち出した。実現に向けて必要な環境整備とは、国の役割の明確化と費用便益に基づいた「安全規制の最適化」、損害賠償制度および自由化の見直しも含めた「資金調達を可能とする制度設計」、そして事業を支える技術や人材を維持していくために「定量的な必要基数の見通しを国として示す」ことだ。
これまでエネルギー事業は、需要を前提として供給側の体制をいかに整えるかを問われてきた。エネルギーは直接的に顧客体験を提供することはなく、その「手段」でしかない。
需要がある場所に必要量を供給するのが当然であった。しかし、脱炭素化の主力と期待される再生可能エネルギーは地域的な偏在性が高く、そうした構図が変わりつつある。
筆者は、本年2月、ドイツに赴いてエネルギー政策関係者との対話を行ったが、エネルギー価格の高騰や供給不安が企業の投資計画に重大な影響を与えていることを痛感した。逆に、4月に訪れた豪州では、南オーストラリア州首相から「当面は日本に水素を輸出することを目指すが、豊富な鉄鉱石とグリーン水素を強みとして、クリーン鉄鋼業の育成を進めたい」という希望を聞いた。低廉・安定的な脱炭素電源を潤沢に供給しうる国はそれを武器として産業構造の転換、産業誘致を図っている。踏み込んで表現すれば、潤沢な脱炭素エネルギーが入手できるか否かが、社会課題の解決と経済発展の両立に成功するか否かの分水嶺(れい)となりつつある。
わが国は、太陽光発電に適した広大な平地を有する訳ではなく、モンスーン気候であるため安定した風況にも恵まれない。わが国のGX、DXを再生可能エネルギーのみで支えることは極めて難しい。加えて、生成AI(人工知能)の拡大による電力需要増加のスピードは極めて速く、これに対応できるのは、既存の原子力発電の再稼働のみとなろう。また、2030年代以降もGX、DXが続くのであれば、新増設も含めて原子力発電と向き合う必要がある。
岸田政権は22年7月にGX実行会議を設立し、その第2回会議において早々に「再エネや原子力はGXを進める上で不可欠な脱炭素エネルギー」であるとした。その上で、原子力発電の再稼働の迅速化や新増設の可能性にも踏み込んだ。原子力基本法を改正、原子力発電の活用を「国の責務」として明記したが、具体的にその活用を進める政策的措置は今後に委ねられている。
どのような技術も、テクノロジーを市場で実用化するには、諸条件を整える必要がある。事業環境整備とは、主として投資予見性の確保という文脈で使われがちだが、OECD/NEAの小型モジュラー炉の実装に関するリポートが整理するように(図参照)、(1)政策、規制、法制(2)人材供給のシステム(3)パブリックエンゲージメント(4)サプライチェーン、技術基盤の維持――などを含むものだ。
そもそも原子力はその技術の幅の広さもあり、原子力政策大綱などの長期計画を策定してきたが、福島原子力事故以降その策定は中止され、原子力委員会の委員定数も減少している。エネルギー基本計画のみが原子力技術に関する国の方針となっている現状を見直すべきだが、次期基本計画が原子力関連で示すべきことについて考えたい。
わが国の原子力発電事業においては特に、安全規制の最適化や原子力事業のファイナンスに関わる制度、サプライチェーンや技術基盤の維持が喫緊の課題となっている。まず、安全規制の最適化について述べたい。
一般的に規制行政は、技術利用に伴う潜在的危険性が顕在化する確率を最小化し、仮に顕在化した場合でも被害を最小限に抑えるための措置を講じ、その技術が社会にもたらす便益を最大化することに貢献することを目的とする。
原子力規制が適切に行われ、国民、特に原子力施設立地住民の信頼を得ることは、技術利用に対する受容性に大きな影響を与えるのみならず、事業性に大きな影響を与える。原子力発電は、発電コスト(バックエンド費用含む)のほとんどが固定費だ。筆者の概算だが、損益分岐点となる設備稼働率は約70%となり、設備の安定的な稼働が事業の成立を左右する。
原子力規制行政の最適化について、日米の制度比較から考えたい。一般的に原子力事業は、国際的な核物質管理の必要性や、各国の政策・安全規制の影響を強く受けること、大規模な投資を必要とすることから、多くの国において国営体制で発展した。日本と米国は事業創成期から民営体制を採ったが、両者の原子力規制行政には黎明(れいめい)期から大きな差異があった。
一つは米国においては、国の役割が明確に定められていることだ。わが国の原子力基本法と米国の1954年原子力法とを比較すると、後者は具体的に政府の行うべきプログラムが書かれている。こうした違いは原子力損害賠償法など関連法令でも同様で、米国のプライス・アンダーソン法は、原子力災害が生じた時に米国原子力規制委員会(以下、NRC)あるいはエネルギー省、連邦議会、裁判所がすべきこと、与えられる時間的猶予などが細かく規定されている。
もう一つ、日米の規制行政の大きな違いは費用便益分析を厳しく問われることだ。米国の連邦行政機関の規制的活動に費用便益分析が求められることの歴史は古い(若園[2016])。「費用便益分析は、現代の規制国家において最も重要な意思決定ツールの一つ」であり、「1950年代から1960年代にかけて、行政国家の発展と福祉経済学の概念の発展に伴い、政府の政策をどのように実施するかを決定する際に費用便益分析を用いることが支持されるようになった」(CCMC[2013])。
ニクソン、フォード、カーターと歴代の大統領が規制の費用便益を高めるよう大統領令などを発出しており、これが行政機関にも徹底されている(竹内[2022])。わが国では一般的に、規制行政に費用便益分析を導入する考え方に薄いが、米国NRCの活動原則をなぞって制定された原子力規制委員会の行動原則から「効率性」が除外されていることが象徴するように、納税者の便益最大化の意識が希薄だ。米国の議会がNRCの規制活動をチェックするのと同様に、国会にそうした機能を持たせることも検討の必要があろう。
次いで、原子力事業に対するファイナンスを可能にする制度設計が必要とされる。ファイナンスに影響を与えるものとしては、事故時の損害賠償制度の改定と自由化の見直しが挙げられる。わが国の原子力事業者は無過失かつ無限の賠償責任を負う。規制料金制度が残置されていればまだしも、無限の賠償責任を負う可能性のある民間事業を市場原理に移行すれば、資金調達コストの上昇は避けられない。電力自由化による投資回収の予見性低下も同様の効果をもたらす。大きな固定費投資を伴う原子力事業において資金調達コストが上昇すれば、プロジェクトが不成立となる。原子力発電を国民経済に貢献する安価な電源として期待するのであれば、原子力損害賠償制度や電力自由化を見直さねばならない。原子力事業の資金調達に対して公的な支援をするのであれば、公的電源としての役割を果たすことが期待されるだろう。事業体制の見直しに波及する可能性もあり、議論を急ぐ必要がある。
最後に、技術・人材の維持に向けて政府が今すべきことを考えたい。原子力という言葉を含む学科を有する大学は現在2校、そのうち国立大学はゼロだ。教育現場の立て直しは政府の重要な役割だが、それ以前に、どれくらいの原子力発電所をわが国は必要とするのかの定量的見通しを示す必要がある。例えば、英国は2022年に「30年までに8基建設」との意向を表明し、フランスも同年、最大で14基を建設すると表明した。なぜ具体的な建設基数を明らかにするかといえば、そうしなければ原子力事業に必要なサプライチェーンが立ち上がらないからだろう。「市場に委ねた結果、1、2基の建設に至るかもしれない」ということでは、原子力発電所に必要な設備製造に関わるラインを立ち上げる判断はできかねる。
ボリュームの見通しを示すのは、まさにエネルギー基本計画と同時に提示される長期エネルギー需給見通しの役割であるが、今次の改訂に間に合うものではないだろう。しかし福島原子力事故以降のエネ基に書かれていた「原子力依存度の低減」という方針を削除し、加えて本稿で述べた論点をどのようなプロセス、スケジュールで議論するのかを示すべきだ。もちろん、論点は今回指摘したものにとどまらない。時間的な切迫度は本稿で整理したものほど高くないとしても、バックエンド問題の解決や福島の復興や廃炉、東京電力の事業体制など、さまざまな課題があるが、それらに取り組む政府の覚悟を具体的に示し、潤沢な脱炭素電源をわが国でも確保しうると伝えることが、わが国への投資を確保するうえで重要なポイントになるだろう。
- CCMC[2013] “The Importance of Cost―Benefit Analysis in Financial Regulation” ,U.S.Chamber’s Center for Capital Markets Competitiveness,2013年3月
- 若園[2016] 若園智明「米国証券規制の経済的評価:現状と検証」 証券経済研究 第96号2016年12月
- 竹内[2022] 竹内純子「電力自由化後の日本の原子力発電事業のあり方に関する総括的研究」 2022年3月
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