(処理水放出)浜通りの今 ~相馬市・浪江町~
印刷用ページ『科学的な安全』と『社会的な安心』は異なるものである。科学的に安全だからと言って風評被害がなくなるわけではないと思う。
東京電力HD福島第一原子力発電所からのALPS処理水放出に先立ち行われた岸田首相と漁業関係者との会談で全漁連・坂本会長からあった発言です。
この翌日、政府は関係閣僚会議で放出を決定し、さらにその2日後放出が開始されました。漁業関係者の願いは、廃炉・ALPS処理水放出が終わる時まで安心して漁業を継続することで、だからこそ放出に反対という姿勢を堅持しながら、政府と東京電力HDの風評被害対策(被害発生時の賠償を含む)の徹底を求めています。
では、実際の現場の状況はどうなのか。放出開始から1週間が経過した某日、福島県相馬市にある「浜の駅 松川浦」を訪ねました。「浜の駅 松川浦」は日本百景のひとつに数えられる風光明媚な潟湖と相まって人気を集める観光スポットで、新鮮な「常磐もの」海産物目当てに多い日には8,000人もの人が訪れ、普段も休日には車の置き場探しに困るほどの場所です。
訪ねた日は平日でしたが、午前中から多くの買い物客の姿がありました。また評判の食堂「くぁせっと」はいつものことながら12時を迎える頃には満席となっていました。そこには風評被害を想起させる様子はありませんでしたが、それもそのはず、時を同じくして報道されたところによると、放出開始後1週間の「浜の駅 松川浦」の客足・売り上げは、ともに去年の同じ時期と比べ1.2倍に増加したそうです。
松川浦を訪れた数日後、今度は浪江町請戸地区を訪ねました。津波の甚大な被害からの復興途上にある請戸地区では、漁港の復旧工事、荷捌き施設の整備に続き水産会社が事業を再開しています。水産会社の直販所も開設され、昼にはその日の早朝に水揚げされた海産物を買うことができます。激しい雨に見舞われたこの日も、近くのお店の料理人と思しき方や連れだって訪れた主婦の姿を見ることができました。
また昼食を取ろうと訪れた浪江町中心部の魚料理が人気の食堂には店外まで行列が続いており、時間をずらして再訪せざるをえませんでしたが、ようやく入店を果たした時には多くのメニューが売り切れていました。ここでも海産物に対する忌避感の存在を感じることはありませんでした。
地元の人や近くで働く人が直販所で海産物を買ったり、食事をしたりすることは普通のことであり、それだけで風評被害の懸念なしと考えることはできませんが、「常磐もの」の加工品を返礼品から選べるいわき市のふるさと納税が急増しているという報道や、ヒラメが高値で取引されるなど、魚市場の取引価格にネガティブな変動が見られていない状況には安心感を覚えます。漁業関係者が明るい表情でインタビューに答えている姿をテレビで見ることも少なくありません。
ただ、中国、香港への輸出が多いナマコが放出前の半値以下で取引されるなど、禁輸措置の影響はすでに表れています。北海道や青森のホタテを始めとして、同様の状況は他にも見られます。新たな輸出先の開拓などの対応が求められる由々しき状況ですが、外食大手がホタテメニューを強化するといった国内消費の拡大に取り組もうとする自発的な動きもあります。
少なくとも国内においては「漁業関係者を支援するのは善だ」というムードが広く醸成されており、「科学的な安全」と「社会的な安心」とのギャップは小さいように思われます。これは福島第一原子力発電所事故の直後から長く福島を苦しめた状況とは大きな違いと言えるでしょう。
「美味しいは正義」
これは冒頭に紹介した「浜の駅 松川浦」のホームぺージに掲げられたキャッチフレーズです。
ホームページ上の記載ぶりは控えめですが、事故後、得体の知れない風評や謂れのない誹謗中傷と戦い続けてきた漁業関係者の思いが詰まったひとことに思えます。
「美味しい常磐ものを食べて喜んでほしい…」「俺たち(私たち)は漁をして食べたいという人に届けるだけだ…」といった言葉もよく耳にします。
三陸産に自信を持つ宮城県や岩手県の漁業関係者や食の宝庫と言われる北海道の漁業関係者もきっと同じ思いでしょう。
禁輸措置への対応は一筋縄ではいかないでしょうし、国内でも今後、何かをきっかけに風評被害の芽が大きくなることもあるかもしれません。現下の支援ムードも一定の時間が経てば縮小していくでしょう。
それでも今、現地を訪れたり、通販で取り寄せたり、あるいは近所の取扱店に足を運んだりして国産海産物の美味しさに触れることには大きな意味があると思います。
市場に流通するものが安全であるということが前提ではありますが、五感に直接訴える「美味しい」には力があります。「美味しい」が風評を凌駕する、まさに「美味しいは正義」、そんな展開を期待したいと思います。